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レビュー「米津玄師/灰色と青(+菅田将暉)」



今回は、灰色と青のMVを見た感想などを書こうと思う。
(このレビューは、あくまでも個人の感想及び妄想です。)


昼間の公園  【米津さんが歌う部分。】※男性1

袖丈が覚束ない夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景

たくさんの遠回りを繰り返して
同じような街並みがただ通り過ぎた
窓に僕が映ってる

ささやく淡いハーモニー音。夜の残り香と朝焼けのグラデーションを想わせる。
そこにやさしく浮かぶうたかたのギター音。思い出が一つ一つ蘇ってくるかのように。

電車に乗って外を眺める男性1。冒頭は男性1にかかる部分が暗いが、歌い出しとともにだんだんと明るくなり表情が見えるようになる。

「袖丈が覚束ない夏の終わり」…今まで半袖で間に合っていたのに、少し袖丈が足りなくなってきた。
描かれている人物は、おそらく青春時代(夏)が終わりかけ、大人の入口が見える年頃。また、灼熱の太陽で暑かった時期を過ぎ、ふと秋の風を感じたのだろう。心細さ、寂しさや切なさも感じる。

「明け方の電車に揺られ」…人もまばらで街も静か。空気も少しヒンヤリしている。電車とともに気持ちも揺らいでいる。

「君」がいない今、何を見ても遠くに霞んで見えてしまうのだろう。「君」といたら、きっとこんなに窓に映る自分を見ることもなかっただろう。(自分自身を見つめている=内省している!?)

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

自転車で「君」といろんなところへ出かけ、すれ違いで喧嘩もした。やんちゃもした。
古傷が懐かしくなるくらい、今は虚しい。

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

大人になっても、変わらないものがありますように。
自分が持ち続けたいもの。
昔の思い出が支えになっている。
今も歌うのは「君」と散々歌った歌かもしれない。


夜の公園【菅田さんが歌う部分。】※男性2

忙しなく街を走るタクシーに
ぼんやりと背負われたままくしゃみをした
窓の外を眺める 心から震えたあの瞬間に
もう一度出会えたらいいと強く思う
忘れることはないんだ

男性1がいた公園。男性1が座っていたブランコの隣のブランコに座って喫煙している。男性1を思い出しながら。
タバコの煙とブランコが揺れている。
挿入される男性1の映像場面には朝もや(タバコの煙=男性2)が現れている。

記憶がなくなるくらいまで飲んだのか、タクシーに「背負われ」るように乗り込んだのだろう。忙しなく街を走るタクシーは、社会(世間)の象徴。男性2から見ると、社会の時計はせわしなく動いているように見える。取り残されている感覚もあるのかもしれない。ここでも寂しさや切なさが現れている。

「くしゃみをした」…おそらく、男性1が電車に乗っている同時刻(明け方)なので少し冷えてくしゃみをした。また、男性1が男性2のことを考えていたということだろう。
2人は、それぞれがそれぞれを思っているのにも関わらず、同時刻に別の場所にいる。
同じ朝の「ヒンヤリ」感と「窓」を見ているのに、それぞれの視点で別々の表現がされていることからも、2人のすれ違いを表している。

男性1との「心から震えたあの瞬間」を、懐かしく思っている。

どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を

「どれだけ無様に傷つこうとも終わらない毎日」に「花束」を。
ただの「毎日」ではなく、ボロカスでひどい目にあっている「毎日」。
先日発表されたばかりの新曲「毎日」に繋がる部分ではないだろうか。
こんな過酷な「毎日」に自分で花束を贈ってあげるのだ。
花ではなくて、花束を。

夜の公園 男性1/男性2 (交互に歌う)

今更悲しいと叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度初めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい

男性1。「すれ違うように君に会いたい」…君に会えないけれど、すれ違うようには会いたい。会えないけれど、どこかで「君」を感じていたい。煙のように名残だけでもいいから「会いたい」ということだろうか。

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

男性2。前段で男性2が「どれだけ〜」と歌っているときと歌詞が異なり、男性1が歌っていた「どれだけ〜」の歌詞と完全な一致。
ここで、二人の足並みが揃った。
お互いに心の整理がついて、それぞれが自分なりに答え合わせができたということなのだと思う。

映像には、無人のブランコが2つ。メトロノームの同期のように同じ振動で揺れている。
昔、2人が一緒に同じスピードで漕いでいたブランコ。
当時は、同時に、同じところから同じものを見ていた。

朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色

欠けた月は、心に穴が空いているような心情だろう。
今は別のところにいるけど、同じ月を見ているかなと彼は思う。
「滲む顔」「霞む色」だったところから、変化の兆しがみえる。
にっこり笑って明るい朝日を迎えたい。
青い空のような澄み切った色で始まりたい。
また、君との日々(青い時代)があったことを感謝している。
新しい1歩を踏み出す、そんな思いだろうか。



どのようなことが原因でこの2人は分かれることになってしまったのか、物語とはいえ、とても気になった。

交互に歌うところや、同時刻に別視点で書くことで、「すれ違い」を表現しているこの歌詞に痺れた。
まだ見落としていることがたくさんある気がしてならない。





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