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映画「JOKER」That's Life



アーサーという人物

人間関係が希薄なアーサー

優しくて気弱な人が犯罪者になってしまった、という見方もあるだろうけれど、やっぱりそれだけじゃないんじゃないかなと思う。
彼に不足していたのは人との繋がりであって、そこから得られる経験値だろう。
アーサーは母親、職場の人くらいしか日常的に話す人はいなかった。

「弱い者たちが夕暮れ さらに弱いものをたたく」

甲本ヒロトは何十年も前から分かっている。
だから人の心に届く。

社会の底辺でかわいそうなジョーカー、一見するとそこだけ拡大して見えてしまう。が、果たしてそうだろうか。
「職場の同僚(ゲイリー)を殺さなかったのは、ゲイリーが唯一優しくしてくれたから」という人もいるけど、私はそこに一言加えたい。

ゲイリーはランドルから嫌味を言われたりからかわれたりしていることから、もしかしたらアーサーも似たような目でゲイリーのことを思っていたのではないか。
かなり意地悪な見方かもしれないが、アーサーはゲイリーを自分より下に見て「子供と同じように弱いから必然的に庇護されるべき存在」として考えていたのではと思う。
ランドルを殺害した家のドアのチェーン錠はどうやったってゲイリーには届かない。対抗手段もない。
アーサーの脅威にはならない相手なのだ。だから逃がした。

本当にゲイリーを大切に思っていたら、元から友人だったかもしれないし、少なくとも目の前で殺人を犯すようなことはしないだろう。

他人の痛みや背景には鈍感なアーサー

カウンセラーが「市の予算削減でカウンセリングもなくなる。あなたも私も市長にとってはどうでもいい」といった趣旨のことを言う。
しかし、これに対してアーサーは鼻で笑う。
「自分の方がよほど苦しい、わかってないだろ」とでも言わんばかり。
でも、カウンセラーだって職が無くなれば転落の危機が待っているのかもしれない。

マレーに対してもそうだ。
金持ちVS貧困層の構図で考えてしまうと、マレーはアーサー(ジョーカー)から見たら悪になってしまう。
マレーに対して「こんなにも俺は不遇なんだ」といった態度で自分の要求を訴えかける。
テレビを通してしか知らないマレーに対して、彼の想像力はそれ以上及ばない。

つまりアーサーは他の人がどういう人なのか、どんな苦しみを持っているか知ろうともしない。
それなのに、一方的に好意を寄せた相手に妄想を抱き行動に出たり、勝手に被害妄想的に恨みを抱えたりする。
視野狭窄に陥っている。

もう少し人間関係の幅があれば、自殺も他殺も考えなくて済んだであろうし、福祉サービスが打ち切られたとしても他の有用な社会資源や情報にたどり着いたかもしれない。
そう考えるとやはり、アーサー個人にも、それを取り巻く環境にも目を向ける必要がありそうだ。


That's Life

・自宅でノックノックの予行演習をするとき
・マレーの番組のエンディング曲
・映画のエンディング

この3つで流れるのがザッツ・ライフという曲。

制作者がこの歌をエンディングに流す意味。
乙ですね。



自分の人生は喜劇だろうか、悲劇だろうか。
そんなのはどっちでもいいと思っているし、わからない。
評価するのは他人でもないし、一言で言えるものでもないだろうし。

でも死ぬときに「ああ、いろいろあったけど私の人生楽しかったな」
そう思えたらラッキーだよなと思う。
That's Life.

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