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映画「ソナチネ」もう一つの物語(追記、編集)


入れ子構造ーソナチネ


この映画を俯瞰してみて見ると、マトリョーシカのような入れ子構造のようになっているのではないか、と思った。
というわけで、別の視点で「もう一つの物語」を見ていきたい。

この物語は、大きく分けるなら
第1部:東京
第2部:沖縄(撮影地は石垣島らしい)、特に海辺の隠れ家に行くところから。
となるだろう。

この第2部の中において、村川たちが開放的な場所でまるで少年の夏休みのような場面が展開されるが、それが村川の人生を凝縮して再生されているかのように見える。
ある意味、これが「ソナチネ」なのではないだろうか。
ソナチネとは、「小さいソナタ」という意味らしい。
全体の物語の中に、小さな物語が含まれている。
そのように捉えられないだろうか。

「小さい物語」

ストーリーを大まかに拾っていく。

・浜辺、ロシアンルーレット(死)
・夜の浜辺(死)
・幸との出会い(性、生)  
・紙相撲
・浜辺での相撲
・幸とドライブ
・夜の浜辺で落とし穴、片桐「何やってるんですか」
・幸と談笑、タバコ&お酒
・雨が降る、幸が上半身裸になる
・宴(ケン、良二が踊る)
・夜の浜辺で花火で合戦(村川は銃)
・浜辺で4人歩く
・中松組「村松組は破門らしい」、ヒットマンに襲撃される
・ヒットマン、浜辺でハイビスカスの花を散らす
・フリスビーを銃で撃つ(村川のあとに、ケン)

遊びだけに注目してみると、
紙相撲→実際の相撲→落とし穴→花火合戦→フリスビーを撃つ
と、原始的な遊びから始まり、より高度で道具を伴う遊びになっていく。

ということは、この小さな物語自体が「ひと夏の少年」だけを表しているのではなく、村川の人生の縮図だということが推測できる。


村川の人生史

幸と初めて出会った夜に男女の関係になったことは、ここでは生を表す。
幸は符号として母の役割を与えられている。ここで村川が誕生する。

紙相撲は幼児期だろう。
実際の相撲は少年期。
幸とドライブは思春期。
夜の浜辺での落とし穴はおそらくヤクザに入った。片桐は父の象徴だろう。
幸がタバコ、酒を持つのは成人になったとき。
雨が降り、幸が上半身裸になるのは初めて男女の関係になったとき。
宴は結婚式。
花火合戦はヤクザに入ってからの銃撃戦。
浜辺で4人歩くのは子供ができた様子。
ヒットマンが中松組の組長を撃つのは、村川が北島を撃つ様子
ヒットマンが花を散らすのは、村川自殺。

フリスビーで銃を撃つのは、子供ができ父になった様子。
ちなみに、この浜辺のフリスビー場面のときにひまわりの種を持っていて、最後のシーンではこれが花開いていることから、ひまわり=子供ができた。そして、成長したという意味だろう。

村川の人生まとめ

こうして見ていくと、映画の中では直接的に描かれていないが、村川はおそらくどこにでもいるような少年だったこと、おそらく一般的な道を歩んでいたが途中から何かのきっかけで父親を殺害し、ヤクザに転落。女性と結婚し子供を設けるが今は疎遠になっている。が、妻(元?)と子供はどこかで元気に暮らしているということだろう。


「小さい物語」が入れられた意味は

この小さい物語は村川の走馬灯なのかもしれない。
はじめから死に向かって突き進んでいる中で、最後の場面の直前に映る走馬灯として私達観客に見せたのではないだろうか。

あるいは、もしかしたらこれはただの幻想かもしれなくて、このような可能性もある。
沖縄での楽しい出来事は一切無く、村川の夢だった。
東京から沖縄に行く、そこで車中で自殺。こんなことがあったらいいな、という村川の夢の世界の話が挿入されていただけだったのかもしれない。

追記。
ヒットマンと村川を重ねているところが乙だなと思う。
村川を美化しない意味でも、示唆に富む。
入れ子構造の妙も然ることながら、観る人に多角的視点で捉えることの重要性を提示しているのではないか。
北野武、ビートたけしの当時の背景、変遷も交えて複合的に考えてみると、その深淵を覗かせる。


やっぱり、何度見てもおもしろい。

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