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レビュー「米津玄師/さよーならまたいつか!」


今回は、「さよーならまたいつか!」の感想&妄想を書いていこうと思う。
書くにあたって、少し予習をしてみた。
(※このレビューはあくまでも個人の感想(および妄想含む)です。)

この曲はNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌とのこと。
視聴してはいないが、HPで概要を見てみた。

主人公、猪爪寅子のモデルとなったのは、三淵嘉子さんという方らしい。
私は知らなかった。法学部の人だと勉強の課程で勉強するのかな?

1914年〜1984年の生涯。
約100年前だ。

曲のイメージは「漫画」
この曲を初めて聞いたときの印象は「展開の早い青春漫画みたい」というもの。
ページを捲るたびにハラハラドキドキする。
寅子というキャラが波乱万丈にページ上で暴れまくり(良い意味で)、現実世界に飛び出してきそうなところを想像した。

音楽は小気味よいテンポで、弦楽器(バイオリン?)が加わってお洒落な印象、ステップも軽快に弾んでしまう感じ。
テーマがやや堅く時代も戦時下で重たいであろう、それを中和させるために敢えて逆のイメージを当てて作成したのかもしれない。

戦争と平和を描く…のかな?
MVでは冒頭から治安が悪い状況(暴動)で、乱世や混沌を匂わせている。後半になると暴動の痕跡はなく、花火が打ち上がっていて人々は楽しそうに食事をしている。
これは戦争と平和をイメージしているのだろうか。
赤い衣装を身に纏った米津さんは同じ空間にいるのに、全く同様も見せず別空間にいるような様子。
戦時中の過酷な時代に対して、やや無関心な現代人を揶揄しているのだろうか。
衣装の赤は象徴的な色。血、口紅、ある種の主義思想などと関係あるのかな?
時代のせいで寅子ができなかったであろう若い女子のおしゃれ…「赤」=口紅、髪型(三つ編み)、イヤリングなどの姿を模したのだろうか。

激動の時代、初の女性弁護士ということは嵐の中を小舟で船出するようなものなんじゃないかと想像する。女性が仕事をするだけでも大変だと思う。
強靭な精神力、能力、信念など様々なものを持ち合わせていたのだろう。

ウィキペディアなどの情報を合わせて曲の意味を考えてみると…
曲の中で出てくる「春」は平和、「地獄」は戦争として捉えると、平和(春)な時代も知らずに生まれ、戦時中、戦後と激動の時代を生き抜く。
(あるいは、「春」は青春の春かもしれない。)
終戦を機に社会の価値観や規律も大きく変化するので、おそらく自分が寄る辺としていた法律にはしごを外され悲嘆にくれていた中、目の前の苦難を抱える人のために何ができるか、考え実行した。

米津節炸裂

誰かと恋に落ちてまた砕けて やがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く

主人公の状況を想像するとかなり過酷そうなのだが、「お涙頂戴」にせず、おはじきを弾いてぶつかった玉と玉が散らばるような、ポップで遊び心さえ感じる音調。
また、「空に唾を吐く」のところの歌い方が喉を痛めそうな歌い方でかつ露悪的な感じもするが、NHKっぽさが微塵も無く爽快だ。

100年先も憶えてるかな 知らねえけれど
さよーならまたいつか!

ここもしかり、NHKの番組のテーマ曲で「知らねえけれど」が出てくるとは思わなかった。前代未聞ではないだろうか。
米津さんが「したり顔」で挑戦したのかもしれない。

教室や教科書の中で「戦争」を学ぶ若い世代に訴求するものを考えた結果、若者よりの言葉を採用した経緯があるのかもしれない。しらねえけれど(笑)←使ってみたかった。

100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ
さよーならまたいつか!

寅子(嘉子)が100年先の私達に寄せたメッセージなのだろうか。
彼女や彼女を含む先人の人生、信条、功績…私達の今に繋がってる。

そして、私達現代人が今行っていることが100年先どうなっているか。

貰ったバトンを次の次代の人々に
「さよーならまたいつか!」
と言ってピースしながら渡せるだろうか。




余談を少し。
既に他界しているが、私の祖父母は寅子(嘉子)より少し後に生まれた。
身内に戦争経験者がいたので、直接話を聞く機会もあった。(たまに本人たちが話すおこぼれを受動的に聞いていたくらいの感じ。)それでも、「戦争」を遠く感じていた。それが平和の証であるとも言えるのかもしれないが。

100年経つと、生き証人たちが少なくなっていく。
若い世代の人が、リアルに自分ごとに感じられるよう、また考えるキッカケとしてこの曲は書かれたのではないだろうか。


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