【平成といえば、3回死にかけたな私…あ、4回かも】~長野冬季五輪 結婚妊娠編~
福岡での結婚生活開始
埼玉で生まれ育ち、難病となった私だが、あの血の海となった店で一緒に飲んだ彼と、退院して数ヶ月後に結婚した。
結婚の決め手は、入院してほぼ毎日見舞いに来てくれたこと。
都内の会社に勤め、千葉県内の独身寮に住んでいた彼が、仕事終わりに毎日遠回りをして見舞ってくれたのだ。
ほんの少しの時間でも、必ず来てくれたことから、病気を理解してくれている人。
今後一緒に病気と闘ってくれるであろう人と、思ったからだ。
彼は、九州支社から研修として、期間限定の東京勤務だったため、新婚生活は福岡での社宅住まいとなった。
病気があるため、子どもを産み育てるのには、不安のあった私だが、彼の方は「いつか子どもが欲しい」と言っていた。
それも、私の体調次第なのだ。
でも、結婚してしばらくは体調も良く、特定疾患の申請を福岡県に提出し、症状が見られないと、申請が却下されたほど落ち着いた状態だった。
あっけなく妊娠…そして
そんな安定した状態だったので、私も腹を決めて、家族計画を開始!
意外とすぐに妊娠した…
妊娠検査薬で陽性反応を確認した私は、すぐに近所の産婦人科で妊娠を告げられる。
不安はあるが、やっぱり好きな人の子どもを授かった事に、喜びを感じ幸せな気分だった。
二度目の検診では、内診しながら医師が
「ん?」
と言うので、不安になりプチパニックになる私。
「ええっ?まさか何か異常が見つかった?どうしよう?どうしよう?」
頭の中が、不安でいっぱいになった頃、医師が更にこう言った。
「これはツインズだな」
「え?なに?ツインズってなに?何かの医学用語????」
「!」「あ!」
「ツインズって双子のことか~」
「えええっ!ふたご~?!」
また、違った意味でパニックだ。
彼と共に喜んだ夜
帰宅した彼に、双子を妊娠したことを報告すると、本当に喜んでくれた。
彼の嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。
そして、子ども達が生まれてきた時の想像をし、互いが幸せな夜だったと思う。
まだ、男か女かも分からない我が子。
その2人が私たち夫婦に、幸せな時を運んでくれたのだ。
この幸せが、この子ども達と共に、ずーっと続くことを信じた夜。
かけがえのない家族を、感じた夜だった。
大きくなるお腹、近づく出産
双子を妊娠したことで、総合病院で産んだ方が良いと、産婦人科医に奨められ、持病の担当内科医がいる総合病院にて出産をすることにした。
双子だし、総合病院だから帝王切開出産を勧められる覚悟をしていたが、予想に反して女性医師は
「せっかくだから、自然に産みたいよね~」
と、半ば同意を求めるような感じで勧められ、自然分娩をすることになった。
持病もあるため、内科との連携もしっかりしてくれて、心強い出産環境が作られていったのだった。
そして年が変わり、平成10年。
この年、長野冬季五輪が開催されるとあって、日本中が活気に満ちた新年を迎えていた。
私は、お腹が前にせり出す感じで大きくなるが、全く異常も無く、元気に妊婦をしていた。
多胎児出産で無い場合の、出産予定日は2月下旬。
なのに、双子の出てくる気配を、1月中旬に入っても感じず…
ちょっと不安になったので、少し風邪をひいた用心として、入院することに。
2月に入っても、子ども達は出ようとする気配は無く、お腹がはち切れんばかりの大きさに成長するだけ…
TVではオリンピックの中継が始まり、病院内でもその中継で一喜一憂する人たちで、連日賑やかとなった。
そして、私の長く辛い、もしかしたら死んでいたかもしれない夜が、近づいているのであった…
<続く>
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