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ペットとは何か、を考えつつチューバッカに言葉を教えてみた

転勤や出張が多いからペットなんて飼えない。そう言って夫を説得してきた。子供の頃は理由なく犬を恐れていた私は、ペットが欲しいと思ったこともなかった。人間の子供とは会話が楽しむけれど、喋らない動物に関心を寄せたことがなかった。生涯には何人もの5歳児や7歳児のともだちがいた。

シカゴに勤務していた時から、夫は犬を飼いたいと言っていた。仔犬が欲しい。昔はビーグルを飼っていた。ペットが欲しい、と。

総領事館の同僚の中にはアメリカに着任後にしばらくして、日本に戻りご実家から犬を連れて来たご夫婦もいた。「うちは犬がいるから」と、旅行はいつも車で陸路だった。そのご夫妻はキューバに転勤が決まると、今度はご実家に犬を預けにまた一時帰国した。大変だなあ、と思って聞いていた。パキスタンでは、前任者が滞在中に猫を飼っていて、引き継がないか聞かれたがきっぱりとお断りした。

日本に帰国して外務省での本省勤めが始まると、夜は遅く海外出張が多いことになった。そして両親と同じ屋根の下に住んでいるとはいえ、慣れない日本で一人私の帰宅を待つ夫が気の毒になった。宮仕の私の転勤のタイミングや場所さえもはっきりしないことから、夫が請ける仕事の予定が立てにくいことも申し訳なかった。

転職先が見つかったら外務省を辞める、その意志の証として犬を迎える、と夫に宣言し、ビーグル犬に会いに行くことになった。正直なところ、アトピー性皮膚炎で2度の長期入院を経験している私はビーグルのような短毛犬ではない方が良いと思ってはいた。アレルギー物質が少ないとされるHypoallergenic な犬種のトイプードルが良いと思っていた。

ウェブで見たビーグルは、間一髪の差でお迎え先家族が決まっていた。来る前にビーグルと同じサイトで何故かちょっと気になったミックス犬がいた。

指名手配犬

お目当てのビーグルの新しい家族とのやりとりを見ながら、どうしたものか、と店内を見渡すと目が合った犬がいた。ケージの中で、遊ぼうと乗っかってくる犬を相手にもせず、じゃけんにもせず、おとなしい目つきで私を見つめている犬は、ウェブでみた仔犬だった。

顔がこげ茶の毛で覆われているなんともぶちゃいくな犬である。シーズーとトイプードルのミックス犬だ。この覇気のなさが、初心者飼い主の私には、ちょうどいいかもしれない。トイプードルの血が入っているから、毛が抜けないタイプの犬だ。そして、まだ生後3ヶ月なのにすでに値引きされている。夫も私が良いなら、と二人でこの子を迎えることを決めた。お店が手続きを進めている間に二人で「モカ」「キャラメル」「バーボン」と思いつく限りの茶色に関する単語を並べた。なにかしっくりと来なかった。

「チューバッカ、副操縦士、相棒」と呟いた。別に私はスターウォーズファンではないが、ぴったり来た。焦茶の毛むくじゃらの仔犬は、本名チューバッカのチューイーと命名された。

ぼくチューバッカ

家で転がり回る仔犬は面白かった。しかし、トレイトレーニングなるものが私たちを待ち受けていた。なにしろ私は初めてペットを飼うのである。平日は出勤しているのであまり関わることもないが、週末になると犬を追い回して、オシッコ跡を拭いて回る。餌をやって、トイレの始末。その繰り返し。辟易した私は、真顔で夫に語りかけた「What's the purpose of a pet? 」ペットってなんのためにいるの?と。

夫はそんなに嫌ならば可愛いうちに里子に出すか、と切り返してきた。夫もブラフではなさそうだった。いや、そういうわけでは、とひるんだ。ただ本当にペットを飼うことの目的や意味がわからなかった。

春にもなると、コロナ禍でテレワークなるものが開始した。役所なので勝手にはリモートは開始しない。コロナ禍でのテレワークの制度変更の回章が出るやいなや一人手を上げて実行に移した。その後は機器や携帯番号を真っ先に申請し、省内で限られた台数の出張用ノートパソコンを確保し、班長という立場を利用して班内でテレワークシフトを組んだ。国会対応などでテレワークができない班、家族との関係で自宅で仕事がしづらい課員や、そもそも役人としてその発想転換ができない人たちもいた。そんな中でテレワークの導入回数を稼いでいたことは、後に課内の実績報告の提出を求められた時に大いなる貢献に繋がったと勝手に思っている。

そうして導入したテレワークの際に、3キロほどの重みが私の膝の上で寝息を立てていた。仕事中はずっとぴたっと私のそばに寄ってきた。部屋を移るる時には後をついてくる。愛でるでもなく、その存在意義を問うた私に身を委ね、慕ってきた。重みが7キロ近くになる頃には、禁じていた寝室にも入り、夜はベッドの上で寝ていた。

ほどなくインスタグラムで、犬が録音したボタンを押して単語を使って会話をするものを見つけた。アメリカの言語療養士が自閉症の子どもとのコミュニケーション療法を使って、犬に言葉を覚えさせたという手法だ。「How Stella Learned to Talk」という著書で、幼犬に言葉を教えた過程を綴っている。その本を参考に、限られた単語を、何度も繰り返して伝えていく内に、こちらの言わんとすることに合わせて行動するようになった。

Chewie, go outside? Go outside potty? Let's go outside potty! と言って外にトイレに連れていく。
Chewie, stay stay, okay? I'll be right back! Chewie stay stay.とちょっと待っていてもらう。

チューイーもお腹が空くとちょこんと台所の横でお座りをして見上げるようになった。それを私は「お願いします」とポーズと呼んでいる。たまにこのポーズをして、こちらが近寄ると走り出すことがある。それは「遊んでください」のお願いしますだ。動かなければご飯が食べたい。Chewie eat? Chewie all done eat? Chewie good eat! 

当初は留守番をさせる時に、おやつが入ったおもちゃを家の中に投げて犬の気が逸れている内に外出していた。足早に立ち去っても、チューイーの吠え声が角を曲がっても聞こえてくる。試しに、出かけるから留守を守ってほしいと説明してから家を出るようにした。語りかけると健気な表情で玄関でお座りをして、私を見送る。戻ってきて、鍵を開ける音を聞いても、吠えずに尻尾をちぎれんばかりに振って迎えてくれる。夫の長期出張の時も同様で、数日前から説明しておけば、以前のように別れ際に今生の別れかのごとくキャンキャンと鳴くことがなくなった。

チューイーは鳴き声やクシャミや足音で主張する。前足もちょいちょい、と使う。顔の表情も豊かだ。遅くまで机に向かう私に、「早く寝ろ」とばかりに足音を立てて入室し、私の目をじっと見つめて外へと促す。

「もう寝なちゃい」

家の周りをリード無しで散歩する。電柱に片足を上げかけて、no marking!というと3回に2回はマーキングせずに臭いだけ嗅いで立ち去る。off! off! というと人の敷地に入りかけても出てくる。一番大切なのはstop!だ。Stop, car, sit!と号令をかけるが、車が来て止まってもお座りまでするのは5回に1回だ。

お手て繋ぎましょうねー、とのごとくleash! leash! と呼びかけると首をリードがつけやすいように傾ける。チューイーは犬が苦手なので、怯えている時にhug!と言ってしゃがむと、私の肩によじ登って避難する。

チューイーとインドネシア語には時制がない。<明日・今日・昨日、私は行く。> tomorrow, car ride! today, car ride! soon, car ride. soon soon. yesterday, Chewie, all done car ride! 車でのお出かけほどにチューイーを喜ばせるものはない。駅まで行くのはsmall car ride! 車庫入れするだけはsmall small car ride! 嬉しそうに肩によじ登り、行こう、今行こう、と目で促すからsoon, soonと落ち着かせる。

飼い主夫婦だけでなく、同居高齢者達の固有名詞も理解している。敷地内の3軒を自由に行き来しているが、人間が一堂に会している状態が一番好きだ。両親の家に迎えにいくと、「まあ、ちょっと遊んでいきなさいよ」とスリッパを持って踵を返して走り出す。チューイー、遅いからもう帰ろう。let's go home. go to daddy. let's go home.

寝る前はシャワーを浴びる。shower, shower! wipe feet. と足を拭こうとすると一本ずつ足を差し出す。寒い日は服を着せているので、clothes off!とリズムよく歌いかけるとばんざーいする。PJ on!と寝る前にパジャマを着せる時は頭を差し出し、前足を一本ずつ袖穴に通す。なぜか我が家でしか、洋服の着脱はうまく行かない。高齢者宅に泊まっている時は、「脱がそうとすると怒るの」ということで、薄汚れた外出着をずっと着たきり雀になっている。

犬に関心がなかった私が、チューイーと意思疎通をしている。人間でない友達ができるとは思っていなかった。チューバッカと私は対等な信頼関係を築いている。チューイーに気にかけてもらい、私もチューイーを守る。守るためには言うことは聞かせるし、叱る。

「ああー、チューイー、おこられた!」とまるで子供のように後期高齢者たちが無責任に囃(はや)す中、唸って噛んだチューイーをタイムアウトに送り込む。タイマーを10分かける。入る前も後も「ごめんなさい」と身体をすり寄せるが、お仕置きにいっときの交流停止だ。

父は私の目を盗んで、食卓から自分の食べ物をチューイーに与えようとする。目があって気まずい思いを何度かしたせいか、最近は与えてからは私と目を合わせない。おばあちゃん子は三文安い、とはよく言ったものだ。

インスタの犬達の様に、自分から人間の言葉を発せられるように録音できるボタンも取り寄せた。ボタンは何度試しても使わないので諦めた。チューイーのボディランゲージと表情を見つめていれば、言わんとすることはわかる、気がする。

ペットの果たす目的ってなんだろう。

チューイーはもう私にとってペットではないから分からない。家族でもない。チューイーは意思疎通ができる私のともだちだ。悲しい時に励ましてくれる、叔父が一人で留守番する時に見守ってくれる、私が仕事している時に机の上で監督している、夜更かししないように見張っている。うちのチューバッカは頼れる副操縦士で相棒だ。そして英語と日本語をちょっと理解するディスカウント犬だ。

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