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昭和な仲間と平成の帰国子女【元外交官のグローバルキャリア】

卒業30年を期して大学の仲間と会った。一人欠席で3人だ。当時は女子が一割の学部で、当然ヤロー共と不適切にも程がある飲み会だ。
私は平成を自認しているが、彼らは昭和感覚で、令和の今は生きにくい部分もあるらしい。

そうか、私はこういう時代を紅一点で駆け抜けて来たんだ、と振り返る。猥談も普通に受け流すし、それをなんとも思わない時代だった。すくなくとも仲間内であれば。そして、性的対象扱い(objectify)されず、ジェンダーも超越して、私は#metooとも無縁に生きてこられた。もはや従兄姉や兄姉の感覚だよね、という昭和とはいえレトロな関係だ。

今日はコンプライアンス抜きで、という無礼講。18歳や19歳からの付き合いで、職場での自分や肩書きは置いておける空間だ。言われて気づいたが、私は物心がついた昭和の大半を日本で過ごしていない。帰国した時は平成だった。

早稲田に行かなければ知り得ない仲間だ。私の数少ない、いわゆる純ジャパの友達。「お前は立派な日本人だよ」とありのまま受け入れてくれる同級生。彼らのおかげで日本を本拠地に出来ている。

アメリカの大学院に行く時に、全てを引き払って日本を去る時に、「俺らはいつでもここにいるから大丈夫。戻って来てもここにいる。」と言ってくれた仲間。離婚してすぐに一緒に飲んで「人生を失敗したな」と笑い飛ばしてくれた仲間。

改めて、日本で大学に進学して良かったと思う。帰国子女が少ない大学を選んで良かったと思う。昭和なおっさん達とセーフスペースで飲める、この幸せを噛み締める。

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