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極力通訳しないことでクライアントに感謝された【元外交官のグローバルキャリア】

もう若くない自分に10年以上ぶりに通訳の仕事が入り、八重洲の高級ホテルに行ってきました。大手通訳派遣会社の予約がすでにいっぱいで、周り回って親しい友人からLINEで依頼が届いたのでした。

いくら錆びついているスキルでも、自転車に乗る様に身についている技術だと期待し、本番に備えて事前準備を開始しました。確かに、久しぶりでも準備をし始めると感覚が戻ってきました。今の時代は便利なもので、youtube でスピーカーの話し方を事前に確認さえできてしまいます。こんな感じで本番に備えました。

  1. Youtubeで、スピーカーの非英語ネイティブの欧州大陸の訛りや話す速度に耳を慣らす。

  2. 会社のウェブサイトや報道ぶりにも日英で目を通す。

  3. 固有名詞でまごつかないようにカタカナ名の原語表記の確認をする。ムホーがMureauxだと誰が予想できよう。

  4. Youtube のインタビューを観ながら同じ言葉を被せて繰り返すシャドウイングをして、数日前からウォーミングアップ。

  5. 本番前にはイヤフォンで話ぶりを聴きながらぶつぶつと同時通訳をしてゾーンに入る。

  6. 本番は集中力がものをいうので、気が散らないように<今ここ>に意識を向ける。

  7. 慌てないように待ち合わせ場所に早めに到着して、会場の確認をして呼吸を整える。

すでに辞めている外務省で課長補佐になってからは通訳依頼は来なくなりました。まだやれるしやりたい気持ちもあったのですが、若手に譲るタイミングに達していました。
前職の経済団体でも、もう自分が通訳をすることはありませんでした。基本的に立場上、中間管理職は通訳はしません。

今は開業準備中の自由な身なので、頼まれた仕事を立場とか関係なくできます。異文化コミュニケーションを得意とするのであれば、通訳もお手のもののはずです。ところがこのほんの30分間のこの仕事は想像していたとおりに、通訳の中でも一番難しい部類のものでした。


通訳慣れしている立派な閣僚は、相手に伝える事が大切なことが分かっているので通訳を意識しながら話してくれました。まさに、情けは通訳の為ならずです。間合いも絶妙だし、なるべくシンプルに話します。一度なぞ一瞬私が半秒ほど言葉に詰まった気配を感じて、言い直してくれた官房長官がいました。銃弾に倒れたこの方ほど通訳しやすい閣僚はいなかったです。

英語が使える人でも、相手が言った事が分かったとしても通訳を挟むことで自分の次の発言を考える時間に使います。メインのスピーカーが英語が堪能でも同席者いかんによってはやりとりに通訳を通した方が良い場合もあるのに、英語で話してしまう人もいます。

通訳を通すことに慣れていない人は、時に通訳の存在を忘れて話し続けることがあります。でもだいたいは、こちらが間で口を挟むと、ハッとしてその次から訳す間を挟むようになります。時間が限られている場合は数回逐次で訳してから徐々に発言の、上から被せて同時で訳していったりもしました。逐語訳を「そうじゃないだろ!」と誤った訂正を入れて通訳のリズムを崩したスピーカーにとやかく言わせないように同時で被せたこともありました。

通訳で呼ばれたけど手持ち無沙汰だったという経験は外務省時代にもけっこうありました。現在某首長の閣僚時代に、官邸にイスラム国家の駐日大使たちが集まって回教断食月ラマダン明けの夕べである「イフタール」が開催されました。開会の挨拶の通訳に入ったのですが、大臣は、壇上に上がるなり 「Excellencies, Excellencies, Excellencies! Ramadhan Kareem(良いラマダンを)!」と言って颯爽と壇上を降りてしまいました。通訳の私は一言も発することはなく、役所に帰って机に戻りました。

国連機関の長とその大臣の表敬会談でも、ほとんど出番がないことがありました。大臣がニュースキャスターよろしく、質問を投げて先方の回答を待ち、意見を述べるでもなく次の質問をする、という流れで会談は終わり通訳した記憶はありません。

この大臣のように出番がないの通訳業務は慣れればシンプルです。でもアメリカ大使館にいた頃の国会議員との通訳だったでしょうか。通訳なしでそのまま双方英語で話すのか、と思っていると、突然「今の何だって?」と日本語で言われることがありました。ぼーっとしていたこちらはしどろもどろだったりします。「英語でこの単語ってなんでいうっけ?」と辞書扱いされるのも、ちゃんと話を聞いていて流れから内容を予期していないとすぐには言葉が出てきません。そんな経験を経て、出番はなくても気を緩めず、集中力は途切れさせないようになりました。黙っていても、いつでも訳せる体勢でスタンバイをすることを覚えました。

今回は取材するジャーナリストも英語を話すし、録音も取ってるからそもそも外部通訳は必要だったのか?と思ったのは私だけではありませんでした。取材を受ける本人も必要性を感じないのか、訳す猶予を与えずにひたすら英語で話し続けるのです。

取材開始間も無くは、話が長いと2、3回遮ってみたり、上から被せて同時に訳してみましたが、スピーカーは動じることありませんでした。ご自身が話すペースを変えることはなく、長い時間複数のテーマで澱みなく話します。こうなるともはや全訳するのはあきらめざるを得ません。冗長的な説明の全てを後から訳していると会話がだれてしまいます。そのまま話し続けているのを待ち、取材者の表情を見極め、スピーカーが息を継いだ瞬間に数行に要約する方式に切り替えてみました。これはなかなか斬新な技で、今まであまりやってみた経験がないものでした。普通ならば、俺の話をはしょるな!と言われそうです。

大手通訳会社からの派遣通訳であれば、そのはしょり方はリスクがあることなのかもしれません。直接の依頼でフリーランスで入った私は大胆にも要約さえせずに訳すことをやめる、という瞬間さえありました。分からなくて訳せないのではなく、訳すタイミングを逸したのでもありません。誰の目にも明らかに意図的に訳すことをやめているのです。通訳を放棄したのではないので、途中でまた大事な点は遮って要所要所で端的にまとめて訳しました。元組織人として最大に場の空気を読んだ結果であり、年の功じゃないかな、と思います。

自分が発注者の時に、限られた時間だというのに丁寧に全て訳す大御所の通訳者がいました。大御所のプライドをかけてか、時間をかけて完璧に全部訳していました。クライアント側としてはちょっと、場を読まない<通訳オンステージ>に感じました。

その経験もあり、信念を持ってはしょった通訳と会話の放置は日本の依頼側である代理店や媒体にすこぶる好評でした。「明示的に「よかったです」と声をかけてくれた人さえいました。こんなに、訳さないことで感謝された通訳も初めてです。

歳を相応に重ねての久しぶりの通訳は、力まず、枯れた通訳だった気がします。幾つになっても通訳は楽しいなと思ったお仕事でした。

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