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環世界が気になる話

「環世界」という単語を知ったのはつい最近。それまではラノベのタイトルによくある「異世界」がなんか派生したやつかと思ってました。

実際に私が初めて出会った「環世界」の定義はこんな感じ。

身体とは別に存在している世界のことではなく、身体の延長線上に、身体と互いにかかわりあって現れる世界を指す。
ー『文化人類学の思考法』 松村圭一郎他 編

「環世界」を提唱したドイツの生物学者であるユクスキュルさんはマダニを例に挙げて、人間が認識する「環世界」とマダニが認識する「環世界」の違いを教えてくれています。

私が理解したことをすっごく簡単に言えば、人間とマダニでは見えている世界が違うし、生活する上での優先順位とか作用させる身体器官も違うよってこと。

これって人間とそのほかの生き物で考えると、当たり前じゃないか!と感じるかもしれないのですが、人間と人間だったらどうでしょう。
同じような生活様式で暮らしている現代でも、それぞれが自分の五感を通じて得ている「環世界」って違うと思うんです。

突然ですが、私の視力は0.1にも届きません。
朝起きたらすぐにメガネを掛け、外出するときはコンタクトを着けるのでほぼ一般的な人が持つような視界で日々生活をしています。

でも時々「自分の視界」で世界を見たくなる時があります。
特に夜、ふと道で立ち止まってメガネを外したりするとピントがずれて、すべての光の輪郭がぼんやりと、ふわふわ浮いているように見えるんです。
私はそれを「美しい」と思います。


ある意味、うまく見えない世界を楽しんでいるんです。
別の人の視点を持っているようで、なによりこんな経験を日々私や周りのひとたちはどこかで望んでいるんではないかなと感じます。

この気持ちをどうやって表したらいいのかと考えていた時に出会ったのが『情報環世界』でした。

詳しくはぜひ書籍を読んでくださいという感じですが、中でも「環世界をうつしあう」という表現にすごく共感しました。

情報と聞くとあらゆる媒体から私たちの目に、耳に、脳に飛び込んでくるものを想像します。更新しつづけてしまうTwitter、永遠に検索フィードを見続けられるInstagramもう正直おなか一杯です。

でもここでいう情報はちょっと違うような気がします。
未来につながる情報とでもいえばいいんでしょうか。
自分、ではない他者が感じる情報を彼らの「環世界」を通じて知り、共感を高めることが、新しい試みの糧になると思います。

どんな方法かちょっとまだわかりませんが、私は他者の「環世界」をもっと気軽にうつしあえる仕組みがあったらおもしろいなぁと思います。
なによりそれが新しいものにつながる気がしてならないんです。

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