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心を現す。

知っているをどこまで”知っている”というのか。
興味深い一文があった。
「心的なものは物質的なものに還元できないのだ。」

私はいつもこの課題にぶつかる。
想いを言葉にするときです。

嬉しい、楽しい、ワクワクする

言葉は物質的なものではないが、
この感覚は同じことをしたあとに感じることだとしても
それぞれ違って
表現するには難しい。

実は、私は私自身「楽しい」と思えることが少ない。
今思い出してもおそらく1度や2度ほどしか「楽しい」と自ら思った経験がない。
でもそれを話すと、なんだか寂しい人だねって思われたりするんだけど、
そうじゃないんだなぁ。

私が至福を感じる時は
誰かに何かしてもらうこともそうだけど、
今私と同じ時間を過ごしている人が
嬉しい、楽しい、ワクワクするといったように感じている姿を
”私が感じたとき”に感じるようだ。
例えば”旅行”ということをしたとき、
旅行先でこんなこと、あんなことが楽しいということではなく、
一緒に行った人が楽しそうにしている姿を見ている方が
私は「楽しい」。

だから旅行は楽しかったのだけれど、
その人に「あなたは何が楽しかった?」と聞かれると
すぐに答えることが出来ない。
何が楽しいわけではない。
楽しいを見るのが楽しいのだ。
だから旅行は楽しいのだ。

しかし、それは人によっては
イコール楽しいことがないような人に思えて、
寂しい人のように捉えられる。

人の感覚は
いつまでも表現できないし、
モノとして表すことも難しい。
でもそれを出来るだけイコールに近い形で現すことが出来たらなぁ。


治療費にあてさせていただきます。大事に使わせていただきます! そして皆様の健康に役立つ情報をお届けできるようにこれからも学び、発信し続けますので温かい目で見守ってほしいです\(^o^)/