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わたしと能楽

こんにちは、kuniです。

今回はわたしが能楽に出会うまでの経緯と、お稽古を通して感じたことをざっくばらんに綴りたいと思います。

能楽と出会って7年。まだまだ道半ばですが、能楽と向き合うたびに価値観が日々アップデートされています。少しでも能楽の魅力が伝われば幸いです。

それでは。

能楽との出会い

わたしの実家は名古屋の旧城下町にありました。通っていた小学校は今でも同じ場所に存在していますが、近所の学校との再編を繰り返し大きくなっていった経緯もあり、当時の面影はありません。

さて、今から7年前。そんな小学校時代の同窓会が開かれました。なんと43年ぶりにして初めての同窓会です。案内が届いた際、本当に行くかどうか躊躇したことを今でも覚えています。

同級生のほとんどは中学校に持ち上がりでしたが、それでも半世紀近く会っていないため「顔と名前が一致しない気まずい時間が流れるのでは?」と危惧していました。しかし、そんな不安はまったくの杞憂に終わります。同じ時間を共有した力は凄まじく、あっという間に当時の関係性に戻ったのは面白かったです。

同窓会で私の隣に座ったのは6年生の時の担任。懐かしい話でひとしきり盛り上がった後、ほろ酔いになってきたタイミングでこう言いました。

「わたしね、60才まで校長職をやっててね。その後のポストも決まっていたけど、それを捨てて能を習い始めたの。今80才で名誉師範なのよ。」

と、少し自慢げ。さらに続きます。

「それで、来月に謡と仕舞の入門教室を主催するんだけど貴方来ない?」

恩師のお誘いを断るのも失礼だなと思い、体験会への参加をその場で快諾します。詳細を聞くと体験会の場所は小学校のすぐ近くの能楽堂。実家ともほど近く、息抜きに着物を着れる良い機会と軽く考えていました。

この一言がきっかけで、わたしは能という芸能を初めて意識することになります。日本文化には書道・茶道・礼法と、それなりに嗜んできていたつもりでしたが、能楽に関してはまったくの無知でした。

入門教室は全6回の連続プログラムでした。いざ能舞台の上で、先生のお手本を参考に見よう見まねで舞ってみた時、何故だかこころが震えた気がしました。

茶室でお抹茶を飲んだり、集中して書をかいている心境に近いものでした。うまく表現できないのですが、こころが満足している感覚です。

入門教室を通じて出会った方との交流も思いのほか楽しく、恩師からの勧めもあり稽古に通い始めることになります。

当時のフライヤーと認証状

能楽をお稽古で学ぶとは?

能楽のお稽古では年に1回の発表会に向けて、仕舞や謡、囃子の楽器や狂言の語りなどを幅広く習います。お稽古に通い始めて最初のつまずきは、発表会という大一番に向けたモチベーションの維持でした。

当時、わたしは大学院修士後期課程に在籍しており、学生生活の集大成である『一山一寧墨蹟集』の完成に向けて、筆禅のパフォーマンスを伊豆のお寺で行うことが決まっていました。一山一寧の700年遠忌に合わせた一世一代のイベントを前に日々準備に追われる日々でした。

息抜き程度に考えていた能のお稽古でしたが、学業との両立が想像以上に大変でした。修論やイベント準備と追い込まれている精神状況の中、お稽古のための予習や復習をする暇もなかったため、出来の悪い生徒だったように思います。

続いてのつまずきは、演目の謡本(日本語で書かれた譜面のようなもの)を見て何が書いてあるかまったく理解できなかったことです。この内容を覚えて、さらに声を出して謡えるようにならないといけないのかと途方に暮れました。

左:令和元年 仕舞「高砂」|右:平成29年 仕舞「羽衣」

しかし、どんなに忙しく、余裕がない状況でもひとたび能舞台にあがるとなんだかこころが落ち着く感覚は変わりませんでした。学業が修了し、最初の発表会を迎える頃にはすっかり能楽にのめり込んでいました。

そんなこんなでお稽古に通い始めて7年が経ち、2年前には能楽學舎を立ち上げることになりました。

今感じる能楽の魅力

能楽は敷居が高い、難しくてわかりにくいと思われがちです。わたしもその一人でした。

それならばプロの演目を見に行って研究だ、と思ってもお囃子の音色が眠気を誘い意識は夢の中…なんてこともしばしば。

リアルタイムで解説してくれる音声ガイダンスシステムは心強いけど、サポートがなければ観客が理解できない演劇なんて不親切だとすら思っていました。

ですが、能楽師の先生方の思想に触れる中で考えが変わっていきます。テレビドラマや映画などのエンターテイメントとは異なり、これまでの自分の経験と照らし合わせ内省できる余白をあえて残していることに気づくことができました。

左:令和元年 舞囃子「草子洗い小町」|右:令和3年 仕舞「巻絹」

分かりやすい答えを明確に提示しないからこそ、観客は自由に想像することができ、その想像力でもってお話が成立する芸術といっても良いかもしれません。

「能には観客に媚びない美しさがある。」

代々木上原にある師のお宅に行ったとき、古くからのお弟子さんが言っていたことばです。言われた当初は意味が分かりませんでしたが、今ではわかるような気がします。

能には、緞帳もなく最後のカーテンコールもありません。すっ、と始まり、すーっと終わります。冗談ではなく本当です。初見の方は、終わったあと置いて行かれたような気持ちになるかもしれません。

そこを不親切だと終わるのではなく、自分のこころの奥深くまで入り込み、昔の思い出とあいまって内省するひとときを味わってみるのです。

「あーこれでよかったんだ。」
「あの時の私もこの主人公と同じきもちだ」
「私の夫もきっとあの世で成仏しているにちがいない」

こんな思いが巡ってきます。すると、終演後にすぐに拍手をしたいなんて思えなくなるのです。自分のこころの整理をするための余韻までデザインされているのです。

左:令和3年 舞囃子「杜若」|右:令和4年 仕舞「融」

勉強すればするほど、果てしなく感じる能楽の世界。いま自分がどの地点に立っているのか検討もつかない。しかし、それだから面白い。

能楽師の先生方を見ていると、伝統芸能である能楽に一生を捧げていることがよく分かります。人から褒められるようではまだまだ。わたしは自分に甘いので達成感や楽しみをやりがいに求めてしまいますが、それはそれで良しとします。

今日も一日、元気に朗らかに謡や仕舞の稽古に励みます。1人でも多くの人たちに日本文化の素晴らしさを伝えるを使命に未来に向けて貢献していきます。

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