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カントをめぐる対談:カント政治哲学と国際秩序の〈未来〉(第4回)

上野大樹さんが講師を担う市民講座「みんなで読む哲学入門」で行われた、金 慧さん(千葉大学)と網谷壮介さん(獨協大学)をゲストに招いたオンライン対談の模様をお送りする「カントをめぐる対談」。
カントの「政治哲学」の意義について(第1回)、『永遠平和』を読む上での史的・同時代的な文脈(第2回)、『永遠平和』のテクスト解釈(第3回)とここまでお話を伺ってきました(第1回の記事はこちら、第2回の記事はこちら、第3回)の記事はこちら)。
最終回となる今回は『永遠平和』のアクチュアリティについてのお話です。どうぞお楽しみください。

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(4)『永遠平和』のアクチュアリティ

上野: 最後に、『永遠平和』のアクチュアリティにかんしても一言お願いします。

網谷: 「共和制を採れば永遠平和につながる」という話が出てきたと思います。共和制では、戦争をするかどうかの判断が国民に委ねられる。国民は自分が戦争にいかなくてはいけないので、なかなかすぐには踏み切らないだろう。君主制だったら、国民が戦争の道具のように簡単に使われちゃうよね、というわけです。こういう議論は国際政治学のなかでデモクラティックピース論として現代でも受容されています。「民主主義国家同士はなかなか戦争しづらいんだ」という経験則のようなものです。もちろん、民主主義国家が戦争しないということではありません。それはアメリカを見れば分かることです。あくまで民主主義国家同士が戦争をしにくいというだけの話ですが、こうした受容のされ方もあります。
 もうひとつ、この10年くらい話題になっており、同時にカントの世界市民法と関連付けられるのは、移民や難民に関する問題です。難民を受け入れるか拒絶するのか。拒絶できる正当性はあるのか。こうした問題が、カントの世界市民法に依拠しながら語られ、難民の権利について論じる人も出てきています。
 特に『永遠平和のために』については、ロールズとハーバーマスという二人の思想家が異なる受容の仕方をしました。アメリカの政治哲学者ロールズはもう亡くなりましたが、ドイツの政治哲学者ハーバーマスはまだ生きています。どちらもカントを批判的に受容するというスタンスでやって来た人です。金さんは、彼らがカントをどういうふうに読んだのか、どうご覧になっていますか。

金: はい。ハーバーマスはまさにカントを批判的に受容したというか、かなりインスピレーションを受けていますけど、現代的に修正している感じですね。カントが世界市民的な状態と呼んだものを現代に置き換えるとどうなるだろう? ということをたぶんハーバーマスは構想していて、そういう点でカントにかなり修正を加えているのは確かです。どのように修正を加えているのかという点ですけれども、世界共和国か国際連盟かとよくいわれる二者択一のどちらも正しくないというのが彼の診断です。「カントの世界市民的状態を生かす道は第三の道にあるんだ」とハーバーマスは考えていて、それはなにかというと、「世界国家」を作る必要はないが、現行の国連のようなものではちょっと弱すぎる、したがって国連を強化する必要がある。どういうふうに強化するかというと、国連憲章を憲法のようなかたちで諸国家に課す。それを国際法の立憲化というふうにハーバーマスは呼んでいて、世界政府は存在しないんですけれど、諸国家は憲法によって縛られているような、そういった形に持っていけば、世界市民的状態と呼べるものに近づいて行くんだ、というのがハーバーマスの構想です。
 ロールズはもっと抑制的で、カントが『永遠平和のために』の第二確定条項で呼んでる「平和連盟」みたいなものに自分は従うのだとロールズははっきり言っています。そこでは「国際法の立憲化」という構想はまったくないし、ましてや「世界共和国」はまったくなくて、連盟があるだけなんですね。リベラルな社会──ロールズが生きていたアメリカのようなリベラルな社会は、その連盟の中に入っていて、自分達とはぜんぜん違うような国家──いわゆる「ならずもの国家」や「無法国家」などと呼ばれているような国家に対して、自分達が生きているリベラルな国家はどのように接すべきなのか、という問いが中心的に論じられています。その意味で、ハーバーマスと比べて、そしてカントと比べても、抑制的な国際秩序構想を提示しているのがロールズです。にもかかわらず、ロールズもハーバーマスも、どちらもカントからインスピレーションを受けている事を肯定しているという点はすごく興味深いですね。

網谷: 『永遠平和のために』は国際連盟の先駆的な構想を唱えたと言われることもありますが、現在の国連の状況を見たときに、じゃあそれが本当にカントが言っているような役割を果たすようなものなのかということが問題になると同時に、カント自身の理想がまだ不十分なのではないかということも問われるわけですね。カント自身の理想をより制度化するのであれば、もっと違う道を探らなくてはならない、と。
 ロールズの場合は、『万民の法』を読んでいると、アメリカ目線過ぎないかという感じがするんですけど(笑)、その点どうでしょうか。

金: そうだと思います。やっぱりロールズはグローバルな制度のようなものを構想したかったわけではなかったんですね。あくまで自分達が住んでいる社会はリベラリズムが確立された社会であるという自負もあって、そういう社会が対外的にどう振る舞うべきなのか、というふうに論じているので、自己中に見えるかもしれないけど、逆な見方するとすごく慎ましいんだと思うんですよ。どういう制度が好ましいかというのではなくて、自分達が他国に対して失礼じゃないような外向政策に従わなければならないという問題意識があって、それに沿って書かれたのが『万民の法』だと思います。
 
網谷: カントも慎ましいですよね。共和制を押し付けるために内政干渉していいんだという話には全然ならないし。

金: そうですね。

上野: 会場からの質問で、先程の「デモクラティックピース論」に関係して、「アメリカというのは共和制で民主国家なのに戦争しているじゃないか」という疑問が出ました。これに対しては、先程の網谷さんのお話だと「あくまで民主化した国同士の間には戦争が起きない」という話だ、という応答になりますね。

網谷: はい、そうなります。

上野: ただ、ネオコン的な「民主主義による平和」構想だと――カントが期待したように内発的には共和制化が生じないケースが構造的にあるとすると――他の国々を民主制に移行させなければならないという問題は残り、実際アメリカは結果として、国際関与で多くの戦争をして来ているという事実もあります。そうなると、まさに慎ましやかなアメリカ目線の構想(ローティのいわゆるエスノセントリズムもそういった類いの理念だ思います)と、安定的に継続するようなグローバルな国際秩序を積極的に作り出そうという立場とで、ある種対立があるのかもしれません。いわゆるネオコンの人々は、カントのデモクラティックピース論に部分的に依拠して、それを修正しつつ(というのはカントは非民主的な体制に対しても暴力的な内政干渉は認めないので、そこは修正されているわけです)そういう議論を展開していました。そうすると、修正主義的カント理解に依拠しつつ、グローバル秩序をかなり積極的に──場合によっては戦争も辞さず、構築しようという人達と、ロールズのような慎ましやかな構想の対立という構図が一方に存在しています。他方また別の形では、ハーバーマスのように、ロールズ的カントの慎ましやかな構想では現代世界では不十分で、もちろんネオコンとは違う形でですがグローバルな秩序を構築していこうと、そして場合によってはレジームチェンジ的なものを部分的には容認するという議論も存在します。コソボ紛争でNATOによる限定空爆をハーバーマスらリベラル派知識人が容認したという話は、よく取り上げられる例だと思います。
 もっともオバマ政権後期からは、国力低下でアメリカが「世界の警察官」として振る舞うような姿勢は弱まり、地域秩序への積極的関与からも撤退しつつあります。トランプ大統領の孤立主義的な「アメリカ・ファースト」政策で、米国が国際公共財としての世界秩序構築に責任をもつといった態度も後景化しましたが、その狭間を突いて(地域)覇権を狙う新興大国が台頭してくるので、結局引くに引けなくなってくるというのが現状でしょうか。ミアシャイマーらがつとに指摘していたように、米国が部分的孤立主義を目指したとしても東アジア地域でのプレゼンスを下げていく過程で、やっぱり米中衝突は避けられないという予言は残念ながら現実味を増しています。

金: 最近知ったことですが、最近アメリカのBLMの関係で、ウッドロウ・ウィルソンの名前を最近聞きましたか? ウィルソンの人種差別的な態度とか政策があったので、プリンストン大学がウィルソンセンターから名前を外すという。

上野: 大学の建物からウィルソンの名前をすべて外そうとしているみたいですね。

金: ウィルソンは国際連盟に繋がるような思想を持ったカント的な人だと思われていますし、実際に政治学者ですよね。カントもちゃんと読んでたと言われているんです。でもウィルソンは「力による平和が重要」と考えていたようで、だから従来の勢力均衡はだめだというのはもちろん大前提なんですけども、伝統的な勢力均衡論に代わるものとして、司法によって国際平和を達成するというよりも、力によって達成すべきなんだ、それから国連の中に集団安全保障のようなものを持ち込んだのもウィルソンなんだという解釈を提示している文章を最近読んでですね。カントと全然違うという印象を抱きました。それについて論じられているのが『戦争違法化運動の時代』(三牧聖子、名古屋大学出版会、2014年)です。カントについては全く論じられていないのですけれど、ウィルソンの今まであまりよく知られていなかった側面を描いていて、すごく面白かったです。

網谷: ウィルソンもどこまでカント読んでいたのか、怪しいですよね。当時のエスタブリッシュメントですから、当然読んでいるだろうという感じはします。とはいえ、例えば、日本でも中曽根元首相や渡辺恒雄がカント主義者だったらしいのですが、カントを愛好していたと言ってああいう立場になるということもあります。いずれにせよ、ウィルソンの場合、どこまでカントを受容して国連構想に至ったと言えるのか、怪しそうです。

上野: ありがとうございました。

(了)


金 慧(きむ・へい)
千葉大学教育学部准教授。 早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得退学。博士( 政治学)。早稲田大学政治経済学術院助手、 日本学術振興会特別研究員を経て現職。著書に『カントの政治哲学:自律・言論・移行』(勁草書房、2017年)。
網谷壮介(あみたに・そうすけ)
獨協大学法学部専任講師。京都大学経済学部卒、 東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。 立教大学法学部助教を経て現職。著書に『共和制の理念: イマヌエル・カントと一八世紀末プロイセンの「理論と実践」 論争』(法政大学出版局、2018年)、『 カントの政治哲学入門:政治における理念とは何か』(白澤社、 2018年)。
上野大樹(うえの・ひろき)
一橋大学社会学研究科研究員。思想史家。京都大学大学院人間・ 環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士。 日本学術振興会特別研究員DC、同特別研究員PD等を経て現職。 一橋大学、立正大学、慶應義塾大学にて非常勤講師。 最近の論文に、"Does Adam Smith's moral theory truly stand against Humean utilitarianism?" (KIT Scientific Publishing, 2020), "The French and English models of sociability in the Scottish Enlightenment" (Editions Le Manuscrit, 2020).
【市民講座「みんなで読む哲学入門」次回イベントのお知らせ】
市民講座「みんなで読む哲学入門」では、西洋近代哲学の古典をとりあげ、上野大樹先生(政治思想史専門)と一緒に入手しやすい文庫を中心に読み進めています。
・著者と語る 哲学オンライン対談(2): 井奥陽子『バウムガルテンの美学』をめぐって【みんなで読む哲学入門・特別編】【終了しました】
◎日時:2020年11月16日(月) 19時〜21時
こちらは上野大樹先生がオンラインで対談する一回完結のイベントになります。井奥陽子著『バウムガルテンの美学』(慶應義塾大学出版会)を題材にとりあげますが、未読の方も奮ってご参加ください。

・みんなで読む哲学入門:アダム・スミス『道徳感情論』#3
◎日時:2020年11月30日(月) 19時〜21時
こちらはアダム・スミスの『道徳感情論』を上野大樹先生と一緒に読む講座です。

※これまでの授業の様子はブログの授業ノートなどをご参照下さい。どのような話題が登場したのか雰囲気がお伝えできれば。
ブログ「みんなで読む哲学入門

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