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カントをめぐる対談:カント政治哲学と国際秩序の〈未来〉(第1回)

KUNILABO講座「アーレントからの政治哲学入門」(2017)、「アダム・スミスとヨーロッパ啓蒙 」(2019)を担当された上野大樹さんが講師を担う市民講座「みんなで読む哲学入門」において、2020年7月6日に上野さんの共同研究者の金 慧さん(千葉大学)と網谷壮介さん(獨協大学)をゲストに招いたオンライン対談が行われました。この対談は、同市民講座が4月から課題図書としていたカントの『永遠平和のために』読了を機に企画されたものです。対談では上野さんが司会を務められ、三人の政治哲学研究者によるカントの政治哲学についての活発な議論が行われました。この日の対談の模様を、三人の先生方よりご寄稿いただいています。

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対談の概要

 網谷さんと金さんはそれぞれカントの政治哲学にかんする単著をお出しになっています。金さんは『カントの政治哲学:自律・言論・移行』(勁草書房 2017/8/18)、網谷さんは入門書にくわえ研究書としては『共和制の理念:イマヌエル・カントと一八世紀末プロイセンの「理論と実践」論争』(法政大学出版局  2018/8/27)というご本です。おふたりともカントの、とりわけ政治哲学に焦点をあてて本をお書きになっています。

 今回は「カント政治哲学と国際秩序の<未来>」という副題を設定し、お二人とお話して、以下4点のトピックを扱っていきます。(1)なぜカントの「政治」哲学なのか、(2)『永遠平和のために』を読む上での同時代的な文脈および歴史的な文脈、(3)『永遠平和』の内容自体をめぐって、(4)その議論が現代のわれわれに対してどういった示唆を持ちうるのか。網谷さんにしっかりしたスライドを作ってもらっているので、これに沿って議論を進めていきたいと思います。

 私から最初に少しだけ導入的なお話をしますが、基本はお二人を中心に議論していただけたらと思います。(上野)

カントをめぐる対談(1)

イントロダクション

上野: まず初めにカントの「政治哲学」の意義という話題から入っていきましょう。この市民講座は政治哲学・社会哲学を中心に輪読をしていますが、カントというと政治的なものよりは、純粋哲学や道徳哲学、実践哲学、倫理といった領域が中心だというイメージがあります。おそらく日本の学界での最近の現象として、金さん、網谷さんのご本が出、また、斎藤拓也さんが『カントにおける倫理と政治−思考様式・市民社会・共和制−』(晃洋書房、2019年)というご著書を出されて、にわかにカントの政治論、政治的議論が盛り上がってきています。そこで、こういう対談を設定させていただいた次第です。
 一般的には、カントは道徳や倫理については語っているけれども、それがややもすると理想論、理想主義──非常に悪く言えば「机上の空論」や「絵に描いた餅」のような議論だと受け止められ、「政治的なものに対する感度が弱いのではないか」というイメージがかなり強かったのです。ところが、最近これらのご本が立て続けに出版されたことによって、政治哲学の面でもカントが注目されてきています。
 金さんも網谷さんも強調しているのが、カントの議論の政治的言説としての性格です。あるいは、理論性とならんで実践的性格です。抽象的・観念的な議論であるということだけではなくて、その当時のドイツやヨーロッパの政治状況に積極的に介入して、新しい歴史を行為遂行的に切り開いていく、カントはそういう政治実践としての「政治哲学」を行っている。こういう視点はお二人とも共有されている点です。

 この市民講座でも当時の時代状況を簡単に見てきました。
 カントは18世紀に活躍した思想家です。18世紀ヨーロッパ史の年号を一つだけあげるとしたら、1789年、フランス革命が思い浮かびます。このフランス革命を準備したのが啓蒙思想の発展だというのが、教科書的な理解です。文学的公共圏や市民的公共圏、つまりカフェ、コーヒーハウス、サロン等でさまざまな議論が展開され、やがて一つの政治的帰結として、大革命に至る。それらの場では書簡や小説などの文学作品についての社交的な会話が交わされましたが、同時に体制の改革や経済改良、ときには共和政の理念のような、かなり急進的なトピックも密かに扱われました。そういった歴史状況の中で、カントも実は政治情勢に大いにアンテナを張りながら言論空間に(慎重にですが)介入していました。
 ということで実はカントの政治哲学を論じることは、とてもアクチュアルな意義があるということで市民講座でも扱ってきました。
 網谷さんのスライドにあるように、『永遠平和のために』の中身に関しても(3)のところで議論してもらいたいと思います。くわえて、このテクストに関わる周辺の政治的言説、政治実践という意味では、内容自体にフォーカスを当てるとともにそれがどういう文脈でこういう議論が出て来て、誰に向けてどういうメッセージを発しているのか、というような視点も政治哲学を論じる上では非常に重要でしょう。
 当時の政治状況、社会・経済状況、先ほどのフランス革命を含むような政治変動とならんで、カントがそれまでのどういった議論や思想伝統を継承したり批判したりしてきたのか、という視点も重要です。さまざまな思想史上の流れ、共和主義や自然法学などを継承しつつ批判するなかでテキストが編まれてくる、という意味で、テクストそれ自体と同時に、それを囲む周辺状況も見ていきたいということです。
 最後に、時間が許す限りで、政治哲学が対象ですから、現代の我々の政治に対するビジョンにどうかかわってくるのか、ということにも触れられたらと思います。大きくいうとそういう4点ほどの流れ。

(1)カントの「政治哲学」の意義

上野: まず、網谷さんからカントの政治哲学と意義についてお話ししていただき、それに応答する形で金さんも議論していただきたいと思います。

網谷: カントの政治哲学の意義ということですが、カントを政治思想史のなかにどう位置づけるのかという問題自体が非常に新しいものです。そういう問題意識が出てくるのがこの20年、30年ぐらいのことで、それまで政治思想史の中でカントが触れられるという場合には『永遠平和のために』の国際連盟構想が非常に先駆的だったという程度の評価です。もちろん哲学や道徳思想の歴史のなかではちゃんとした評価があったわけですが、政治思想の分野はその影に隠れてしまっていました。
 カントの政治思想の見直しの機運が高まったのは、英米圏の現代の政治哲学者であるジョン・ロールズがもう一度社会契約論を見直そうとしたときでした。ジョン・ロックやルソーとならんで、カントもその流れに取り入れられました。ロールズ以降、カントの政治思想をもう一度見直そうという機運が世界的に高まってきたんだろうと思います。そのようにして読み直した場合、例えば、政治に関する理念や規範を、カントが非常に説得的に示しているという部分が、カントを読む上で一つの重要な視点になるかなと思っています。
 自由も視点の一つです。自由といっても、哲学的な意味での自由意志に関する事柄ももちろんありますけれども、政治の分野でいうと自由の権利です。今だと我々は「人間には等しく人権というものが備わっているんだ」と言われているし、日本国憲法にも書かれているわけですけれども、一体どうして人間に生まれながらにそんな権利が備わっていると言えるのかという部分は、結構正当化が難しいですね。例えばキリスト教だったら「神が与えてくれたんだ」と言えるわけですが、神学的な前提をとらないとすると、じゃあどうして私たち人間には人権や尊厳が備わっているといえるのか。こうした政治哲学的な部分で自由の基礎を与えてくれるような議論をしているのがカント、ということになります。

上野: なるほど。それはカントの政治哲学・法哲学の総体にかかわる議論にもなってくるでしょうか。

網谷:  そうですね。その話は『永遠平和』というよりは、もう少し別のテキスト、例えば『人倫の形而上学の基礎づけ』や『人倫の形而上学』を読まないと分からないところです。
 いずれにせよ、現代の政治思想の潮流の中にカントを位置づけるなら、一つはリベラリズムの潮流に位置づけることができる。リベラリズムの本当に古典的な発想をちゃんと正当化して示した哲学者という位置づけです。もう一つは、法というものがどういうものなのかということを、非常に綿密に考えた人でもある点です。日本だと法治主義とか法治国家という言葉がよく使われますし、ここ10年ぐらいは立憲主義という言葉が流行していますが、法治主義といった場合には、もちろん人治主義と対比されるわけです。人治主義というと、「安倍政権が検察の人事に介入して」みたいな、生臭い話になってくるんですが、法治主義という場合も単に日本人の一般的な理解として「とにかく法律に従うことが法治主義なんだ」みたいなところがあると思います。

上野: 21世紀に入ってから「日米同盟」が普遍性をもった基本的価値を共有している、といった言説が強まって、そこで「法の支配」が強調されますね。それに対して、発展途上国の「独裁体制」が「人の支配」というコントラスト。今日の情勢でも顕在化していますが、中国の拡張主義を批判するときにも、「法の支配」の観点から、立憲主義の不在を含む中国の国内体制を批判したり、南シナ海への海洋進出を「国際法」違反として非難する。はたして、では日本で「法の支配」が十分理解されているのか、検察問題や森友・加計学園問題を考えても大いに疑問はありますが。

網谷: 西洋思想史での「法」の理解について簡単に解説します。翻訳の問題もあって、法律と法は日本語ではほとんど同じような印象がありますし、英語でも法律も法もどちらもlawで表されますが、大陸の言語だと違う言葉が当てられます。「法」はドイツ語だとRecht、フランス語だとdroitになりますが、いずれも「正しい」という形容詞の用法が元になっています(これらはラテン語のiusの意味の多重性を引き継いでいます)。いずれにせよ「法」には「正しさ」というニュアンスがあるのです。「カントは法治主義だ」ということを私が言っているときに念頭にあるのは、こうした「正しさ」としての「法」です。カントの法治主義とは、単に法律にしたがいさえすればいいのではなくて、その法律が正しいと言えるのでなければならないという意味です。カントは法律が正しいとはどういう意味なのか、法律の正しさの基準とは何なのかということを考えたのです。そういう意味で、法治主義の最初の基礎づけを行った人だという風にも捉えられるでしょう。
 最後にもう一つ、私たちにとって重要なのはカントの人民主権についての思想です。私たちはなんとなく「民主主義っていうのは素晴らしいものなんだ」みたいな感じを持っています。最近はちょっとどうかわからないですね、コロナのせいで。世界中でまた独裁がもてはやされそうな機運ではありますが。ともあれ、大方の人は民主主義、人民主権って大事だと考えています。では、どうして人民主権が大事なんですかというとなかなか答えるのが難しいかもしれません。民主主義の正当化についても、カントは重要な議論を提供してくれます。
 もちろん『永遠平和のために』の国際平和の思考も重要です。国際平和を真正面から論じるということは、政治思想史のなかでは実はそんなによくあることではないわけです。例えば社会契約論の系譜を考えた場合、ホッブズから始まってロック、ルソーとくるわけですけれども、ホッブズにせよロックにせよ、たいして国際平和の話はしていません。ホッブズなんかは「国家間は当然自然状態なんだ」みたいなことを言って終わってしまうわけです。  「じゃあその自然状態は克服しなくていいんですか?」という、その方には行かないのですね。国内の内戦をいかに収めるかというところに議論のポイントがある。これに対してカントは社会契約が一国の中だけではなくて、世界中に広がっていかなくてはいけないと考えています。そうしないと平和は達成できないし、なにより人間の権利が保障されない。一国内でたとえ完璧な国家があったとしても、他国との関係で常に緊張関係に置かれているなら、国内の人々の権利も危ういということになります。平和とは個人の権利、自由の問題と結び付いているのです。
 私の研究としては、カントを歴史的な文脈、とくにフランス革命を目の当たりにしたプロイセン国内の論争ですね、その文脈の中に位置づけるということをしています。先ほど上野さんのイントロダクションにもありましたけど、従来カントは「非政治的な哲学者」だと言われていたんですが、カントは実は当時の論争や政治状況に目をやりながら、自分の理論を組み立てているところがあります。そこまで非政治的な哲学者と言われる筋合いもないだろうと思うわけです。もちろん、ホッブズと比べてどっちが非政治的かって言われたら、やっぱりカントの方が非政治的じゃないかという感じはするにせよですね(笑)。すごく教科書的なお話をしてしまって恐縮でしたが、現代の政治理論との結びつきのなかでカントを読まれている金さんからみて、導入的にお伝えしておくべきことはありますか?

金: やはり従来のカントの政治哲学というのは、リベラルな政治思想だとまとめられてきたのではないかなという気がするんですね。あるいはリベラリズムの一要素としての「法の支配」を強調する思想だと。でもよく見てみると、「人民主権」、「人民が法を作る」といった側面を強調した思想家としてみれば、共和主義の思想家でもあるし、もうちょっとうがった見方をすると、私自身が強調した点ですが、「熟議」というものを重視した思想家にも見えるんです。人民の熟議を通じて、「正しい法」というのを見出すことができる、その「正しい意見」というものが法になるべきなんだ、と。現代の熟議デモクラシーを先取りするような思想を展開した思想家として見ることもできます。そうすると、見方によって、「何々主義」というのをいくらでもカントから引き出すことが出来るような、そういった多面的な思想家だなという感じがします。

上野: カントの政治思想はリベラリズムの側面と同時に、共和主義や(現代でいう)民主主義の側面が色濃く表れているということですね。啓蒙期当時の言葉づかいでいくと「民主主義」には否定的なニュアンスがあって、カントもルソーらと同じく立法権と執行権が分立されていない専制的な仕組みとして民主主義を規定していると思いますが、カントの共和主義的な議論の内実は、今日でいう「熟議民主主義」をある意味先取りしているというお話です。
 カントがリベラリズムだという部分で一点だけうかがいたいのですが、市民講座で議論していくなかで、カントの自由論はその一方で、現代人の考える自由とはだいぶ印象が異なるという意見も出ました。他人に危害を加えないかぎり何をしても基本は自由であるという個人主義的な自由の理解と比べると、カントは倫理的・道徳的自由としては、現代人の感覚からするとだいぶ「不自由」にも思える自由観を提示している感じもするわけです。たとえば、他人からの干渉がなくても自分の物質的な欲望にしたがって行為している場合は、自然の必然性に従属した他律状態であって、真の自由ではないのだ、云々と。この点は、どのように理解したらよいでしょうか?

金: その問題については、道徳的な自由と法的な自由を分けて考える必要があると思います。確かにカントの道徳哲学における自由は、私たちの感覚からすれば非常に窮屈に感じます。道徳的な自由は、普遍化可能なルールに従うことを意味するとともに、義務であるということを唯一の動機として従う場合にのみ成立するからですね。これと法的な自由、あるいは幸福追求の自由は相当性格が異なります。この場合の自由は行為の動機がまったく問われることがないですし、普遍化可能なルールに従った行為だけが自由と呼ばれているわけではないので、今日私たちが自由でイメージするものに近いと思います。

上野: なるほど。そうなるとアクチュアルな観点からいっても、カントの政治哲学に注目することはいっそう大切になってきそうですね。

網谷: 上野さんの冒頭での説明にちょっと付け足すと、僕と金さんは同じようにカントの政治哲学を研究しているわけですが、僕は「現代的意義」とか、普段はあんまり言いたくない人で(笑)。「現代的意義」というよりも、もう少し歴史の中でカントを読んでいきたいなと思っているタイプです。金さんは「現代の政治思想家」としての、──あとでお話しいただきたいと思いますが、ロールズやドイツのハーバーマスとか、あるいは現代でずっと流行っているハンナ・アーレントとカントをどういうふうに繋げて、あるいは批判していくかということで、現代の方にかなり目を向けて研究されています。というふうに、私たちはだいぶスタンスは違っています。ぜひ今日は金さんに現代パートを担当していただきたいと思っていますが(笑)。

(第2回はこちら。)

金 慧(きむ・へい)
千葉大学教育学部准教授。 早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得退学。博士( 政治学)。早稲田大学政治経済学術院助手、 日本学術振興会特別研究員を経て現職。著書に『カントの政治哲学:自律・言論・移行』(勁草書房、2017年)。
網谷壮介(あみたに・そうすけ)
獨協大学法学部専任講師。京都大学経済学部卒、 東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。 立教大学法学部助教を経て現職。著書に『共和制の理念: イマヌエル・カントと一八世紀末プロイセンの「理論と実践」 論争』(法政大学出版局、2018年)、『 カントの政治哲学入門:政治における理念とは何か』(白澤社、 2018年)。
上野大樹(うえの・ひろき)
一橋大学社会学研究科研究員。思想史家。京都大学大学院人間・ 環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士。 日本学術振興会特別研究員DC、同特別研究員PD等を経て現職。 一橋大学、立正大学、慶應義塾大学にて非常勤講師。 最近の論文に、"Does Adam Smith's moral theory truly stand against Humean utilitarianism?" (KIT Scientific Publishing, 2020), "The French and English models of sociability in the Scottish Enlightenment" (Editions Le Manuscrit, 2020).

【市民講座「みんなで読む哲学入門」次回イベントのお知らせ】

市民講座「みんなで読む哲学入門」では、西洋近代哲学の古典をとりあげ、上野大樹先生(政治思想史専門)と一緒に入手しやすい文庫を中心に読み進めています。
・著者と語る 哲学オンライン対談(2): 井奥陽子『バウムガルテンの美学』をめぐって【みんなで読む哲学入門・特別編】
◎日時:2020年11月16日(月) 19時〜21時
こちらは上野大樹先生がオンラインで対談する一回完結のイベントになります。井奥陽子著『バウムガルテンの美学』(慶應義塾大学出版会)を題材にとりあげますが、未読の方も奮ってご参加ください。

・みんなで読む哲学入門:アダム・スミス『道徳感情論』#3
◎日時:2020年11月30日(月) 19時〜21時
こちらはアダム・スミスの『道徳感情論』を上野大樹先生と一緒に読む講座です。

※これまでの授業の様子はブログの授業ノートなどをご参照下さい。どのような話題が登場したのか雰囲気がお伝えできれば。
ブログ「みんなで読む哲学入門
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NPO法人国立(くにたち)人文研究所が運営する、人文学の学校です。2016年4月開校。 大学の講義と同レベルの内容を、現役の大学教員・研究者から学べる、本格的な教養講座です。 HP: www.kuniken.org