戦闘服からヘッドセットへ 9 ~虎のもう一つの姿~
莉里と瑠美はエレベーターが着くまで、緊張していた。職場を出た時とはあまりにも異なる展開に、まるで探偵になったかのような気分でもあった。
「エレベーター着いたら、会社がいくつか並んでるかも知れないね。虎っちが入った場所はすぐには分らないかも」
瑠美はそう言うと、アッシュベージュの長い巻き髪を耳にかけた。緊張している時にする彼女の癖だった。
「そうね、このビルなら1つの階に複数の企業が入っている可能性は高そう。セキュリティカードがないと入れないかも知れないし」
エレベーターは目的の11階で止まり、扉が開いた。すると二人は驚いて、そこを見渡した。
「え、何ここ?」
どうやら、この階は一つの企業しか入っていないようだった。想像していたものとは異なり、瑠美は莉里の顔を見た。
「あれ、ここってもしかして」
入口は、自由に出入りしやすい様に大きく開かれており、二人は吸い込まれるかのように足を踏み入れた。
中は、オシャレなカフェのように見えた。
全体的に白を基調とし、手前の左側には淡いグリーンのソファーが設置されている。その横にある棚には、最新の図書館のようにたくさんの雑誌が置かれていた。
奥はガラス張りで、外観を見ながらお茶が出来るようで。ガラスにへばりつくほどの距離で本を読める幅のテーブルが横に設置され、一人席の白い椅子が並んでいる。
そこから見渡せる景色は、大通り公園に札幌テレビ塔、クリスマスが近づく今の季節のイルミネーションが輝きを放ち、知る人ぞ知る穴場と言っても過言ではなかった。
フロア全体のライトもまさにおしゃれカフェ、そう感じたかと思うと、左奥にはカフェには置かれる事のない紙コップに注がれて飲み物が出る自動販売機が置かれていた。
瑠美は、入ってすぐ右横にいた受付女性に見られている事を懸念したが、その自販機へ近づいた。
「坂口さん。これ見て!」
呼ばれて、一人席のある方で景色を見ていた莉里もその自動販売機へ近づいた。
「すごいよ!これ無料で飲める自販機だよ」
「え?うそ?!」
「ホットの番茶や抹茶オレもある。めっちゃ良い」
二人がドリンクを飲んで良いかどうか入口の受付女性に尋ねようか話していると、二人のいる反対側の奥からスーツ姿の男が現れた。その後ろには、脱いだブルゾンを片手に抱える上杉もいた。
男は笑顔で上杉をソファーに促していた。
「上杉様、いつもありがとうございます。今回、50回目の記念という事で記念品のガラス器でございます」
その男は、器の部分が透明で高台の部分のみ綺麗な翠色で出来たガラス器を手渡した。
「おお!俺、50回も献血してましたか。嬉しいな。健康だけが取り柄なんすよ」
「50回?!やば!あんた何者なの?」
そう言うと、身を潜めていた瑠美が上杉に近づいた。
「おっ、瑠美じゃねーか。あれ?!さかぐっちゃんも」
上杉は片方の腕の内側に小さな絆創膏を付け、献血をしたばかりの様だった。
「お知り合いですか?献血に協力的な方が多いんですね。上杉さん、次は70回でシルバーのガラス盃が記念品となります。今後とも、どうかよろしくお願い致します」
そう言って、献血センターの男性は受付へ戻って行った。
ソファーに座る上杉は、二人に目を向けた。
「お前、何でここにいんだよ。まさか二人で献血?」
そう言い、莉理の方に目を向けると莉理は気まずそうに目を逸らした。
瑠美は上杉の隣に座った。
「後ろから付いて来た。ここで何してんの?」
「いやいや、お前知ってるか?ここな、献血すると無料でドリンク飲み放題なんだよ。雑誌だって見放題。最高な遊び場だぞ」
「いやいや、だからって50回は目的がなきゃ出来ないよ。面倒くさいし」
「本当にそう!そんな簡単に出来る回数じゃない。何年かかるか・・・」
莉里はそう言うと、1年に何回、そして何年続けるとこれだけの回数になるか計算してみた。
年に3回やっても、10年で30回だけど・・・。
瑠美も同じように計算をしているようだった。「え、10年以上献血してる?あんた本当に何者?」
上杉も少し考えた表情をした。
「ああ、まぁ高校生からやってるな。俺、今32歳だから・・・。ちなみに、献血って男だと12週間過ぎないと出来ないんだ」
「いや、3ヶ月ごとに来てるって事?ちょっと腕見せてよ」
「ちょ、何すんだよ」
瑠美と莉里は二人がかりで上杉の腕をつかんで確認した。
今回、注射をしていない側の腕をまくり上げると、確かに何度も注射をしてきたであろう痕が残っていた。
「これ、献血だったんだ」
莉理はそう言うと安堵の表情で上杉を見た。
瑠美は舌打ちをして言った。「誰だよ、薬やってるなんて噂流したやつ。・・・・てか、虎のする事は本当に理解できない」
「はぁ?何言ってんだ?」
まくられた袖を元に戻し、瑠美を一瞥して言った。
「献血して何者って。別に、俺だって人の役に立っても良いだろ。てか、さかぐっちゃんまでどうした?」
莉理は、亡くなった祖父の家の前で飼われていた柴犬を思い出していた。
番犬として有名で、家の前に来ると警戒する人も多かった。祖父が亡くなったあとも、その事に気づかず健気に家を守っていた。
長年、嫌わ役を買って、家主を守り通した犬の姿と、律儀さが上杉と重なって見えた。
「・・・いや、もぉう。噂なんか信じちゃダメだね」
莉理はそう言って瑠美と目を合わせると、互いに頷きあった。
「噂?おう、お前さっき薬がどうとか言ったか?」
「え!?そんな事言ったかな・・・」
「まさか、俺が?」
莉理は、ソファーに座る二人の前に立ち、大げさにリアクションしながらフォローした。
「いやいや、上杉さん、少し三人で話そうよ!私、今日は残業しなくて良くなったの。軽く飲みに行こう」
「おいおい、献血したばっかりの人間に何を・・・。って行くに決まってるだろぉ!酒盛りだぁ!」
「うるさい、恥ずかしいって」
三人は近くの居酒屋を見つけ、子上がりに座る事にした。
「いやぁ、横尾はLINEが返ってこないから来られなさそうだな。残念だけど三平だけだ」
「え?三ちゃん来られるの?」
「おう。さっき、店の情報を送った。近いからすぐ着くってよ」
「え、高田君も来る感じ?」
莉理は奢るつもりだったのか、財布の中身を確認していた。
「SVだからって奢らなくて良いよ。気にせず!」
「そうだよ、気にすんな。俺ん家は金があるんだ。あと、他の奴らの連絡先がわかんないから、今後のために聞いておくわ」
三人は生ビールを3つ頼むと、置かれたおしぼりを手にした。
「それにしても噂話、流したやつに腹が立つ」
「火の無い所に煙が立ったね」
二人は職場での噂に対し、悔しさを覚えた。
「まぁ、俺は良く思われてないんだろうな。こんな柄だし、口も悪いし態度もでかいからな」
すると、子上がりから見える奥の入口が開き、三平が入ってきているようだった。三平は、店員に声をかけたが、こちらを見て笑顔になっていた。
「おお!本当にこのメンバーで集まったんですね。お疲れさまです」
三平はいつものリュック姿で、子上がりに向かって来た。
「三ちゃん!」
「おお!来たか、座れよ」
「いや、今日は早上がりだったのに。最後になかなか時間のかかるお客様に当たって、やっと終わったんですよ」
「まぁまぁ、そのお陰で4人で飲めるからな。ビールで良いか?」
上杉にそう言われると、三平は頷いた。
チームのメンバーが集まった事に莉里は嬉しさを隠せず、笑顔で皆の姿を見ていた。
「三ちゃん、聞いてよ。例の虎っちの噂話ね。今日、真相を探ろうとして2人で虎に付いて行ったら、とんでもなかったんだよ」
瑠美は頬を紅潮させ、上に上がったバサバサと音がしそうなまつ毛を更に上げて、目を見開いた。
事の経緯を聞いた三平は笑いが止まらなかった。
「なんだよぉ。僕、少し信じて、距離置いちゃってた」
「お前、ふざけんなよ!」
「ごめんごめん。いやいや、ていうか献血ってうけるね」
三平は早くも酔いが回っているようだった。
店員が現れ、テーブルの沸騰し始めた鍋を開けるよう促したので、莉理は鍋に手をかけた。
「三ちゃん、それだけじゃないんだよ。50回記念とか言われて、ガラスの器とかもらってんの」
「おう、凄いだろ。高校からずっとかかさず行ってんだ」
上杉はそう言って枝豆を口にした。
「ご、50回?高校生から?マジですか!」
三平はそう言いながら鍋の蒸気で曇った眼鏡を拭いていた。
「あれ、高田くんて眼鏡取ると、目が大きくて可愛いんですね」
「うわ、本当だ。三ちゃん可愛いじゃん」
女子に褒められた三平は照れくさそうに口元を緩めた。
「いや、そんな事ないけど。たまに言われるかな。前の彼女もその前の彼女もそう言ってたし」
上杉は口を曲げて驚いた。
「三平!お前、そんなにリア充なのか?見損なったぞ」
「なんで見損なうのよ」
4人は初の飲み会とは思えない盛り上がりで、楽しく時間を過ごしていた。
「そう言えば、佐々木さんの噂は皆さん聞きましたか?」
「なんだよ、おっさんの噂って」
三平は声を潜めて話を続けた。
「佐々木さんて自衛官出身じゃないですか。しかももう良い年齢で辞めて、続けた方が退職金も良いはずなのに。辞めた理由って言うのが・・・」
3人は手を止めて三平の声に聞き入った。
「飲みの場で二十歳くらいの若い部下をボコボコに殴って、その部下の家族から訴訟をかけられたからって聞いたんです」
「え、あの優しい佐々木さんが?仕事だって、すごく頑張ってるし」
上杉は、神妙な面持ちで黙ったままだった。その姿に瑠美は何かを察した。
「虎、どうしたの?もしかして何か知ってる?」
「・・・いや、実は昔、自衛官で同期だったやつから情報は少し入ってて。ただ、同期は熊さんとは違う駐屯地だから、直接は知らないらしいんだけど。色々、調べてもらってる所だった」
「そうか。え?て言うか、同期って虎もやってたの?」
「高校出てすぐの時にな。もう、10年以上も前の話だよ。昔は上司に殴られるなんてよくある話で。もっと嫌な目にあってる奴、見たりもしたよ。さすがに、今はないと思ってたんだけど。熊さんの真相はまだ聞けてない」
三平は手元のビールを一気に飲み干して言った。
「熊虎コンビは、フロアを噂で沸かすね」
「お前、へそで茶を沸かすみたいに言うなよ」
三平と虎はおお!と言って、互いを指さしていた。
瑠美は呆れた顔をして言った。
「2人って、ちょいちょい古いよね」
「なんだと?!」
「私、そんな噂が出てるなんて知らなかった」
「うーん。でもさ、熊さんは、そんな人じゃなくない?」
瑠美はそう言うと、フライドポテトを口に頬張った。
「おう、俺だってそう信じてるよ。だから、きちんと真実を聞きだそうと思って調べてたんだ。まぁ、でもな、お前らが俺を疑ったように、事実はとんでもない結果になるかも知れないけど」
莉理は研修中の佐々木が、どこか心ここにあらずだった事を思い出していた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?