戦闘服からヘッドセットへ 16 ~奇異な二つの事件②~
気づくと、もう48歳。時間が過ぎるのは、早いものだ。
17年前、彼女との出会いを振り返ると、最初はどこにでもいる可愛い女の子だと思っていた。
初めてデートをした日。
予定時間に着いた約束の場所には、白いワンピース姿の彼女が花のように佇んでいた。
ウエストは細いベルトで締められ、スタイルの良さが際立ち、髪型や雰囲気はオードリー・ヘプバーンのように愛らしかった。
だが、強く印象に残っているのは彼女の胸元少し上で揺れている黄色いバナナだった。よく見ると、肩からかけられたショルダーバックの留め具にも小さくてキラキラ光るバナナが付いている。
私は眉間に皺が寄っていたかもしれない。少し首をかしげていたかも知れない。
・・・なぜ黄色いバナナのネックレスとバックなんだ?頭の中をその疑問が反芻してしまう。
彼女は楽しそうに小さな口を大きく開けて、昨日あった出来事を話してくれた。いや、話し出すと止まらなかった。
「それでね、後ろからぶつかって来た自転車に乗ったおばさんに言ったの。この紙に名前と電話番号を書いてください。何かあったら電話しますからね!って」
反芻していた疑問は吹き飛ばされ、笑っていた。
「あはは、君はすごい顔をするんだね」
異色な魅力に落ちてしまうのに、時間はかからなかった。
21歳の彼女に、年が10歳も離れているけれど僕で良いのかと聞いた。
「年齢なんてただの番号でしょ。私はいつでも気持ちで生きているの!」と言った。
「ただの数字でしょ」というセリフは聞いた事があるが、・・・番号?
やはり、疑問よりも面白さと愛らしさの方が上回っていた。
彼女は意外にも料理が上手かった。
娘が産まれてからも、楽しそうに専業主婦を謳歌していた。
子どもの学校行事やPTAにも欠かさず出ていたし、保護者の井戸端会議も率先して参加して楽しんでいた。
娘が大きくなってから始めたアプリでの商品販売も「すごい上手くいってる!忙しくなってきた」と話していた。
「聞いて!すごいのよ。宣伝用のインスタでフォロワー数も10万人突破して、大手企業とタイアップする事になったの」
「え?!すごいじゃないか。まさかそこまでだとは知らなかったよ。何年も続けてみるもんだな」
「本当に、ママすごいよね。10万フォロワーって、YouTubeだと銀の盾もらえちゃうよ!」
洗い物をしていた彼女は大きな目をさらに開き、にっこり笑った。
「でしょ!それで・・・急な話に聞こえるかも知れないのだけど、私やっぱり東京で仕事がしたい」
「え?東京?」
驚く私に、娘がちらっとこちらを見た気がした。
「私、器用じゃないからあなたを支える事と仕事に家庭って全部は頑張れないのよ。だから、・・・離婚がしたいの」
「え?」
「急にじゃないのよ、もう半年くらい考えていたの。住む場所や、行ってからの仕事のやり方とか」
「いやいや、俺は初めて聞くぞ」
「そうよね、言おうとしたらあなた出張とか入って、忙しかったりして。私もお客様とのやりとりや商品の動画配信とかで時間がなくて、言いそびれちゃって」
「まさか、・・・本気で言ってるのか?」
妻と娘は目を合わせた。
「うん、本気なの。友華(ゆうか)は私に付いて来るって言ってる。高校も東京に行きたいって楽しみにしているのよ。ねぇ」
「うん!パパ、私は大丈夫よ」
二人は初めからその話をしたかったのか、事前に用意していたセリフを言っているかのように聞こえた。
「大丈夫よ、離れたって離婚したって、紙切れ1枚の話じゃない」
「いや、そんなフランクなものじゃないだろう」
妻はニコニコと笑いながらキッチンからこちらを見て、言う。
「人生は長いのよ。楽しく考えないと」
「・・・・」
驚愕と困惑が混じり合い、こんな思いになるのは初めてだった。
「パパ、私、東京に行ったらモデルになりたいの。東京ガールズコレクションに出たい!応援してほしいな」
頭がクラクラしていた。
「いや、君の仕事が上手くいっているのはわかる。だけど、将来はどうなるかわからないだろう」
「そうよね、でもここ数年の稼ぎで、5年は生活出来るくらい貯まったの。娘の大学費用と東京で暮らす分はある」
私は、想像以上の額を稼ぎ出していたのだと知り、とんでもない顔で妻を見ていた気がする。
これは現実なのか?!
彼女は歌を歌うかのように、離婚についての具体的な事や頻繁に会いに来ても良いなど話していたが、私の心には何も届かなかった。
朦朧とする頭の中で、考える事を放棄していた。
やっと現実なんだと感じた頃には、愛妻も愛娘もいなくなった(愛犬も)部屋で、ソファーに黙って座っていた。
庭に面した大きな窓を開けると、夕日が綺麗に染まっていた。
ああ、そうだ。私は知っていた。
今まで見て来た女性の中で群を抜いてバイタリティのある奇想天外な人だと。だからこそ、色んな困難を彼女となら楽しく乗り越えられそうだと思った。
その魅力に惹かれてしまったのは、私だ。
娘は妻に似て、大きな目をした可愛らしい子で。賢く聡明なところも似て、希望する高校への入学はなんの問題もなかった。
「パパ、私ね東京に住んだら、行って見たい場所がたくさんあるの!ああ、楽しみ!!」
彼女たちには、希望しかない。
大きな悲しみに暮れていたのは、私、一人だけだった。
佐々木の話を聞き終えると、皆、予想外の展開だったのか、驚きを隠せなかった。
「熊さん、意外だな。俺は寡黙に一人で生きていた自衛官バカだと思ってたよ」
「いや、そうなら良かったのかな。俺だけ、置いてけぼりだよ。犬まで連れて行きやがった。せっかく札幌市内に3LDKの家を建てたのに。一人身には広すぎだよ」
一人になった部屋で、空を見上げるのにも飽きた頃。
気づくと、長年使用していた二つ折り携帯の充電が、半日で切れるようになっていた。
「使い主の気持ちが反映するのかな」
近所の携帯会社にふらっと立ち寄ってみた。運良く、他の客はいないようだった。
店員から手厚い接客を受け、絶対に使わないと決めていたスマホを、断るという気力もなくなっていた。
店を出て、空を見上げ、我に返ると手元にスマートフォンを握りしめている事に気がついた。
こんなもの、使い方も解らないのに・・・。自分の人生の行く先と同じようだ。
使用方法を説明していたような気がするが、上の空だったので覚えていない。
自宅へ帰宅し、先ほどの店へ電話のかけ方を知りたいと固定電話から確認すると、月額オプションの操作案内に加入しているのでそこに電話をするよう言われた。
「大変長らくお待たせして申し訳ございませんでした。担当の上田でございます。本日どのようなお問い合わせでしょうか?」
「あ、初歩的な質問でお恥ずかしいのですが。初めてのスマホでして。電話の掛け方と切り方、あとはLINEの使用方法を教えて頂けますか」
「初めてのスマートフォンでございましたか、ご購入大変にありがとうございます!全てご案内いたしますのでご安心ください」
長い時間をかけ、びっくりするほど丁寧に教えてもらった。
私は、感動した。
本音を言うと、かける前は緊張していた。こんな事も解らないのか、と思われるのではないだろうか、説明されても理解出来なかったらどうしようか、と。
「いやぁ、解らない事だらけでお恥ずかしいです。分かりやすい説明でした」
「とんでもない事でございます。私も、初めは解らない事や失敗が多くてスマホにした事を後悔しました。今となっては笑い話です」
その女性は笑いながら自身の失敗を話してくれた。コールセンターの対応でこんなに温かな気持ちになるとは思わなかった。感謝の言葉を言っても、足りないと感じた。
娘が近くにいたら、すぐに聞けただろう。妻がいたら一緒に悩んでくれたのかも知れない。
だが、私は円満(相手だけ)離婚をしたばかりなのだ。
「あ、あのう。ありがとう。本当に、本当にありがとう」
「いいえ、 佐々木様のお役に立てて本当に嬉しいです。解決して良かったです。また、いつでもお電話お待ちしております」
「あ、はい」
「それでは、貴重なお時間を頂きありがとうございました。失礼致します」
メンバーは佐々木の話に聞き入っていた。
「その時に決めたんだ。これだ!これをやりたいって。それで、自衛官仲間の奥さんが同じような仕事をしてるって教えてくれて」
佐々木は、それをきっかけにDasrのコールセンターの仕事を探し、お給料や仕事の内容と様々な条件をすべて確認すると、一人の生活費はまずまず問題なさそうだ、家を売ると将来の不安は払しょくされると踏んだ。
「嘘だろ・・・・。暴力の噂は何で熊さんて事になったんだ」
「それは、自衛官の間でも、俺なんじゃって噂されたんだ」
「え?どういうこと?」
「その、殴った部下は笹垣って言ったんだ」
「ささがき?」
「おう、少し名前も似ているし、顔も似てたんだ。よく間違えられたもんだ。だから、他に所属してた同期は、暴力事件はお前の事だろって勘違いしていた奴もいた」
上杉は驚いた顔で佐々木に食いついた。
「それって、岩見沢の飲み屋じゃないか?」
佐々木は顔を目の前まで近づいて問いかける上杉に驚きつつ、答えた。
「お、おう。そうだ、岩見沢駐屯地だったからな。俺は家族に会いに札幌に帰っててそこには参加していなかったんだ」
上杉は佐々木から離れて、両手を顔の横で振りながら発狂するかのように言った。
「マジかよ!俺、知り合いがそこにいたからその飲み会に入れてもらってたんだよ」
「なんだそりゃ!」
「でもなぁ、泥酔して横になってたから。その事件の音だけが耳に残ってる感じ」
「なんだよ、ダサいなぁ」
新藤は眼鏡を上にあげつつ、冷静に言った。
「結局、完全なるデマですね」
「おう、そういう事だ」
メンバーから、ホッとした笑いが起こった。
「その笹垣も、今は能力を生かしてジビエをやってるよ。山が好きな男だったし、銃の命中率も高かった。かなり稼いでるらしいって聞いて、好きな事を仕事にして楽しんでると思うと安心したよ」
そう話すと、店員が持って来たハイボールを受け取り、ゆっくり口にした。
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