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戦闘服からヘッドセットへ 8 ~噂の真相~


 午後1時、ビルが立ち並ぶ街中で背の高い一人の男が、狭いビルの間に入った。彼は人混みの少ない箇所を探して、やっと良い場所を見つけほっとしたのかすぐに煙草に火をつけた。
 アイコスを持ち歩いてはいたが、やはり紙が好きな上杉は、何とかして吸いたい気持ちを抑えられないようだった。
 見上げると、ビルの間からでも綺麗な青空が広がっていた。
 こだわりの強い性格のせいか、上杉の身に着けている衣服は、柄にもなく上質の物が多かった。
 今日着ているセーターも、カシミア100%の好きなブランドのもの。アウターには、PaulSmith(ポールスミス)の羊皮で出来たブルゾンを着用。  
 肌に直接触れる製品は、海外ブランドであろうと日本製を選ぶ事をこだわりにしていた。もちろん、簡単にそんな商品が見つかる事はなく、長い間探し通すという執念ぶり。

 ふと、実家での漁師時代を思い出していた。
家族とは言え、厳しい父親のもと、早朝からの仕事はかなりの苦労だった。
 漁師の中で「上杉さんところは毎年必ず大きな結果を出す」と言う声を聞くと、子どもの頃は得意気になっていた。
 大人になり、父親と共に働くとそれはプレッシャー以外の何ものでもなく、人によっては嫉妬が含まれていると知った。

 朝は早いが、帰りも周りより遅い。
 それは、父親のギリギリまで働くという性格が起因していた。あっけらかんとし、合理性も重視する上杉には生真面目な父親の働き方は合わず。
 初めの頃は反発をしていたが、言っても聞かない事を理解してからは、何も言わなくなっていた。

 加工品販売もしているため、父に連れられて店舗に駆り出される事もあった。
 儲かっているなんて言うのは、外から見える良い側面だけで。父親は、雇っている社員を路頭に迷わせるわけにはいかない、という経営者の使命とも宿命ともいえる重い鉛を常に抱えていた。 
 帰宅の車の中は、海の潮の匂いがした。体に染みついているに違いないその香りが、仕事から気持ちを離れさせてはくれない。
 消すためか、忘れるためか、煙草の煙で上書きさせる日々だった。

 
「お、やばい。そろそろ行かないと」
 お昼休憩の終了時間が近づいていた。

 コールセンターは、正午も休みなく営業しているため、全員が同時に休憩をとる訳にはいかない。
 上杉の部署では、早シフトだと11時から15時を目途に一時間区切りでチームごとに毎日時間が決められ、メールで詳細が届くようになっていた。
21チームはその日、12時がお昼だった。上杉は、11時半にとったお客の操作案内に1時間近くかかり、やむなく12時半から昼休憩に入っていた。
 


 
「上杉さん!もう帰るんですか?」
「おう、さかぐっちゃん。お疲れ、どうした?」 
 莉理は、上杉の噂を確認するミッションをすっかり忘れており、帰宅をしようする上杉に急いで声をかけた。
「う、腕とか疲れてない?」
「は?腕は疲れてないよ。あ、ごめん!俺、今日急いでるんだ。予定があって」
「あ、そうか、ごめんなさい。わかった、じゃまた明日ね」

 上杉の腕の内側が怪しくぼこぼこしている事で、薬の常習犯との噂が流れてから、さらに広まりそうな状況だったが、真相はまだ誰にも掴めていなかった。

 莉里と仲の良いSVである有紀は、先ほどの様子を見かけ莉理に近づいた。
「莉里、今日はもうあがって良いよ。最近は残業が続いてたでしょ」
「え?ああ、でもチームの子で早上がりなのにまだお客様に案内してる子がいるから、その子が終わったら帰ろうかなって」

 有紀は、莉里に耳打ちした。
「今、上杉さん帰ったでしょ?例の件について話しかけるチャンスじゃない?莉里のチームの子は私らでフォローするから」
「・・・ありがとう!お願いしたい」
「大丈夫だよ。気にせず行ってきて」
 莉理は小さくお辞儀をし、急いで上杉を追い掛け、ロッカー室へ向かった。

 ロッカー室に着き見渡しても見つからず、やむなく自身のコートを羽織ってバックを手にし、上杉を探しながらエレベーターへ向かった。
 すると、男子トイレから上杉が出て来る姿が見えた。まだアウターを着ていない様子から、どうやらこれから帰宅の準備に入るようだった。

「あれ?坂口さん?今日は帰るの早いんだね」
 声のする方を振り向くと、瑠美がにこにこ笑っている。
 彼女は、ハイネックセーターのミニ丈ワンピースに黒いブーツ。アウターには短いダウンジャケットを着ていた。11月後半の札幌の気温でも、オシャレをしたいというエネルギッシュさが伝わる装いだった。

 坂口は少し焦った表情で、上手くごまかす事が出来なかった。
「あ・・・えと・・・。上杉さんは、最近、大丈夫かなと心配になって、追い掛けてて」
 瑠美は、勘が働いたようだった。
「・・・あ!もしかして虎っちの噂、聞いた?」
 

 上杉は、ロッカー室で鼻歌を歌いながら、何も考えずに帰る用意をしているようだった。ブルゾンを羽織ると、スマホのバイブが鳴った。 

 画面を見て、すぐに電話へ出た。
「おお、凌二?調べてくれたか、例の件。・・うん、色々と気になって。ああ、・・・本当か?」
 相手といくつかやり取りをすると、すぐに電話を切った。
 ロッカー室から出ると、急いでエレベーターに乗り、1階のボタンを押した。莉里と瑠美は上杉を見つけると、その後を付けて、もう1つのエレベーターから1階まで降りた。

 二人は、先ほどのやりとりで、真相をはっきりさせたい事が一致している事がわかった。
「田中さん、上杉さんの噂を知ってたの?」
「知ってるも何も、けっこう噂になってる。今日は同じ早番だったから、聞きだそうと思ってたの」
「じゃ、二人で聞き出しましょう」
 瑠美は、莉理がいると上杉が本当の事を言わないのでは、と思ったが。莉里の表情が本気だったので二人で聞き出す事にした。

 一階に着くと、ビルを出ていく上杉の後ろ姿が見えた。
「坂口さん、どこで話かける?虎っちは、さっぽろ駅で南北線に乗って、大通りに行くの。そこから、東西線で円山に行くよ」
「そうなのね。というか、円山に家があるの?・・・もしかしてお金持ち?」
「知らないの?金持ちどころじゃないよ、上杉水産の息子だよ!」
「えええ?!」

 莉理は驚きの声が大きかったため、瑠美に人差し指で静かにと制された。
「ごめんなさい」

 瑠美は、上杉の行き先を見て首をかしげた。
「あれ?いつもの駅に向かってない。大通りの方に行ってる。次の駅まで歩いて行くのかな・・・」

 そのまま着いて行くと、札幌大通西4ビルの中へ入って行った。そのビルは12階建て、西洋風の石造りが特徴的で周りの近代的なビルとは一線を画していた。
 札幌市大通りど真ん中、人が多く行き交う場所のため、市民は誰しも一度は通った事のある所だった。

「何でこのビル?」
 二人は困惑していた、歩くのが速い上杉に話しかけるタイミングも掴めず。あげくの果てには不明なビルの中に入って行く始末。 
「こんな所で買い物はしないわよね。ステラプレイスやパルコならまだしも」
 そう莉里が話すと、瑠美も目を瞬かせて首をかしげた。
「いや、本当それ、飲み屋もないでしょ。このビルだとビジネス系だよね」
「まさか、おかしな副業?」
 
『あ、元気にしてる?久しぶりで息子の声を忘れてない?母さん、実は仕事でヘマしちゃってさ、お金が必要なんだ。頼むよぉ、50万円なんとか工面出来ないかな』
 二人は同じ事を想像していた。
「詐欺?!」

 ビルを覗きこむと、二人が狼狽している間に上杉はエレベーターに乗ってしまった。
「やばい!何階に向かっているか確認しないと」
「虎っちしか乗ってなかったから、次に着く場所が目的地だと思う」
 見上げると、上杉の乗ったエレベーターの階数が一つの箇所で止まった。
 それから数分待ったが、動く様子がない。
「ここだ!」
「間違いない。行こう」
 

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