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ある晴れた日に… 3


[ 前回の話はこちら… ]

車道脇には様々に多くの車が乗り捨てられていた…取り締まられている様子もない。
そういえば、街で警官の姿は一度も見なかった。
自宅マンションの玄関前の路肩に車を置き、取り敢えず自宅に戻った。

玄関のドアには鍵が掛かっていなかった…
「ただいま~…」
何の返事も返ってこない…

まあ、そんなことは珍しいことではない。我が家は決して仲睦まじい家族ではないからだ。

ところが妻と娘の姿は家にはなかった…
どこかに出掛けたらしい。ただ、玄関に鍵が掛かっていなかったことを考えると、きっとすぐ近所にはいるのだろう。
鍵を持って出掛けていないのかもしれない…玄関の鍵はそのまま掛けずに、自分の部屋であちらこちらに連絡を入れてみた。
異常事態で次の仕事が頓挫してしまいそうなので、声を掛けておいた関係スタッフには連絡を入れておかなければと思ったのだ。

ところがどこに電話を掛けても、誰の応答もない。仕方なくメールで簡単に状況を説明してそれぞれに送信する。もちろん誰からの返信もなかった。

しかし、この何とも理不尽な疎外感を誰かと共有したかった。

そこで、両親の住む実家や地方に暮らす兄弟、友人や知り合いなど、片っぱしから連絡を入れてみたが、結局誰1人として連絡を取ることはできず、ストレスは募るばかりだ。

ネット情報で何かが掴めないかと探ってみても、ニュースソースは昨日から更新されておらず、SNSの書き込みにも、今朝からの異変について書き込んでいるものは皆無だった。

居間でテレビを点けても、波多野の言う通り、どの局の画面にもテストパターンと『現在放送を中止しております』の文字だけが映し出されている。


夕刻…妻も娘もまだ戻らない…
取り急ぎ、何もすべきことはないので、ただひたすら2人の帰りを待った。

サッシ窓の外からは時折、大声で話す人の声や笑い声がうっすらとではあるが、断続的に聞こえている。


夜を迎えても、夜が更けても、2人が帰ってくる気配すらなかった。
やがて、どっと疲れが襲ってきた…私は居間のソファーでそのまま眠りに落ちてしまったらしい…


早朝、窓の外のただならぬ騒がしさで目が覚めた。
外から大勢の人たちの叫び声や大きな笑い声、嬌声が聞こえる。
昨夜とは比べものにならない騒がしさだ。

『何だ?…今度は何事だ?…』

まだ霞がかかったようにボンヤリする頭を抱えて、ソファーから立ち上がり、テラスに続く居間の窓のカーテンを開く…
一瞬、何が起きているのか理解できず、しばらく開いた口を閉じることができなかった…

窓の外、テラスの向こう側には沢山の人々が物凄い勢いで行き交っているのだ。
我が家は地上6階の高さ。テラスの向こう側は紛れもなく地上20mの中空である。

私は恐る恐る大きなサッシ窓を開き、テラスに出てみた。

男性…女性…若者…老人…子供…幼児…数えきれない程の大勢の人々が、大声で挨拶や嬌声を上げながら空中を埋め尽くすように自由に飛び交っているのだ…とても現実とは思えない光景だ。
これは…夢だ…夢であって欲しい…

「川村さ~~~~~ん、おっはよ~~~うございま~~~~すっ」
呆然とする私の目の前に真っ赤なセーターにスカート姿の女性が急接近してきた。妻のママ友で同じマンションに住む顔見知りの奥さんだ。遠くから勢いよく近づいてきて、目の前で宙返りして中空で止まったので、下着が丸見えだ。
「あ、吉田さん…」
「奥様と佳奈ちゃん、あっちの方で仲良く飛んでたわよ~~。ご主人も一緒に飛べばいいのに~。ほら~、いいお天気よ~~気持ちいいわよ~~~おーほっほっほほほほほほ…」彼女はそう言い残して見る見る遠くに飛び去っていった。

テラスから身を乗り出して、外の様子をよく眺めてみる…
どうやら、通りや地面の上を歩いている人は殆どいないようだが、中空を飛んでいる人の数は高度が低いほど過密な様子だ。
まだあまり飛ぶことに慣れていないからなのか、飛ぶ能力の高まりには時間がかかるのかも知れない。
100m以上の遥か上空を飛んでいる人はまだごく僅かだ。

可哀想なのはカラスや鳩やスズメたちだ。面白がって追い回す人々に恐慌をきたしている。

取り敢えず私は部屋に戻り、洗面所で身を整えた。
鏡に映った自分の姿をじっと見つめてみる…普段と何も変わった様子はうかがえない。
試しにその場で少しジャンプしてみたが、身体はいつもと同じ重さ…身軽な感触は微塵も感じられなかった。

まずはいつも通り、コーヒーを淹れて目を覚ますことにする。

妻と娘が連れ立って外を飛んでいるという情報を得たので、外を見回ってみることにした。
エレベーターは普通に動いていたが、利用する人は私以外誰もいない。

一階のエントランスから外に出る…

通りには車は一台も走っていない。歩道を歩いているのは私だけだ。
ただ、地面付近には沢山の人々が浮遊している。時折地面に降りてきては、地面を蹴って数メートル跳び上がり、またフワフワと降りてくる…を繰り返している。
コントロールが難しいらしく、身体を安定して垂直に保っている人は少ない。
従って、空中で回転する身体をジタバタと修正したり、真っ逆さまで浮遊している人も結構いる。
ただ1人地面を歩く私は、こういう人たちとぶつからない様に十分注意しなければならない。


マンションから少し離れた住宅地の奥側に広い芝生が広がる大きな公園がある。ここには建物もないせいか、大通りと比べると空中を飛ぶ人の過密状態はそれほど酷くない。

私の足がこの公園にさしかかった時だった…遥か上空から大きな声で私を呼ぶ娘の佳奈の声が聞こえた。
「パパ~~~ッ!パパ~~~~~~ッ!」
見上げると、4、50mもの上空から佳奈が満面の笑顔で叫びながら、物凄い勢いで急降下してくる。
私は思わず身を屈めた。

佳奈は私の頭上でクルリと宙返りし、目の前にふわりと止まる。身なりは昨日の朝の部屋着のままだ。年頃のせいか、あれ程見た目を気にしていたにも関わらず、髪は寝癖のままのボサボサで、靴はおろか靴下さえ履いていない。

「佳奈…お前、家に帰って来ないのか?」
「家っ?あはは…そんなの意味ないよ~。飛んでる方が楽しいも~ん。ほらあ、あははは…」佳奈はそう言いながら見事な宙返りを見せる。

「でも、寝なくていいのか?…眠くないのか?」
「ぜ~んぜん眠くないっ!お腹も空かな~いっ!気持ちいいんだよ~!」
「ママは?一緒なのか?」
「ママも一緒だよ~。ママ~~~あ!ママ~~~あ!ほらあ!パパが来たよ~~~~っ!」
佳奈は空の一点に向かって大きく声を掛けた。

「ほほほほほほほほほほ…あ~な~た~~~っ」
その空の一点から、妻が華麗にポーズを決めながら舞い降りてきた。
「いやだあ、あなたあ、まだ地面の上、歩いてる~ふふふふ…」
「いや…俺、まだ、お前たちみたいに飛べる様にならないんだよ…」
「え~~っ!そうなのお?昨夜はず~~~っと待ってたのにい」
「大丈夫よ~お、パパ。あたしたちだって、飛べる様になったの、昨日の夕方からだもんね~」
「そうよそうよ。あなた、ちょっと遅れてるだけよ~。そのうち身体がふ~わふわ浮いてきちゃうから、ね~~~~っ」
「そうそう、心配ない心配ないっ!すぐにパパも一緒に飛べる様になるよお~ははは…」
「大丈夫大丈夫、あたしたちこの辺にいるから、飛べる様になったら、ここにきてね~~っ!」
「じゃ~~~ね~~~」
「じゃあね~~、またね~~~」
「あ、ああ…また…」
2人は私を残して、遥か上空に飛び去ってしまった...

『しかし…なんで俺だけ…』
納得できない不満は残ったが、家族の元気な様子も確認できたので、ひとまず家に戻ることにした。
妻や佳奈が言った様に、そのうち私の身にも変化が訪れるのだろう…


私は自宅でまんじりともせずに、その時を待った…仕事など、する気になれない…冷蔵庫を漁り、レコーダーに保存しておいた映画を観て時間を潰した…

時折、私と同じ様にまだ飛べる様にならず、路上を普通に歩いている人がいないか、窓から外を見回してみたが、誰1人飛べていない人物を見つけることは出来なかった。

時間を追うごとに『不満』はやり場のない『孤独感』に、そして『恐怖』へと変わっていき、気分が高揚することなど、皆無だった。


そして、その日も夕刻を迎えようとする頃、それは突然起こり始めた…

その時間、既に地表付近には殆ど人は居なくなっていた。
人々は地上およそ10m以上の中空に浮遊し、漂い、行き交っている。
私はテラスからその様子をただぼんやりと眺めていた。
空には美しい夕焼けが広がっていた。

突然、中空の人々が、ゆったりとした動作で踊り始めた…
人々は移動を止め、その場で浮遊しながら踊り始める。
踊りの動きははそれぞれまちまちだが、ゆったりとしたテンポだけは見事に調和している。
そして、その踊りはどんどん広がっていく…

テラスの直ぐそばで踊っている人もいたので、声を掛けてみた。
「もしもーし?どうされたんですかあ?みなさん、何をしているんですかあ?」
返事を返す者は誰もいない…
中空の踊り手たちから高揚した笑顔は消え去り、皆静かに目を閉じ、恍惚の表情で、ひたすら踊りを続けている。

そして…全員が次第に空に向かって高度を上げていく…
少しずつ少しずつ…ゆっくりと天へ天へと昇ってゆく…


1時間ほど経っただろうか…
人々は暮れかかる夕焼け空の中、遥か上空へ…その姿はもはやケシ粒ほどとなり、やがて、日が暮れるまでには、大空の中に消えていってしまった…

この街には私以外、誰も居なくなってしまったようだ…

第4話(最終話)につづく…


この短編小説ではイラストレーターのTAIZO デラ・スミス氏に表紙イラストを提供して頂きました。
TAIZO氏のProfile 作品紹介は…
https://i.fileweb.jp/taizodelasmith/






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