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実録短編小説『北温泉』 3

連れと別れた私は、「男湯」への通路となる廊下を恐る恐る進んでゆく…
板張りの廊下はすぐ終わり、木のサンダルが石の通路に続く階段に5、6足置かれている。
石の通路に降りると足元の寒さがひときわ厳しくなり、隙間風も雪混じりとなってくる。
行く手の通路の奥の小さな電球が木戸を照らし出しながらゆらゆらと揺れている…

『なんだよ、まだ先があんのかよ…』
私がその木戸を開けようとした時、背後から「おう~い!ちょっと~お!」
と、隙間風の音に混じって連れの声が聞こえた。
私は振り返り声のする後方に向かって、「なんだよー!お風呂入ってるんじゃないのお!?」と、応えた。

連れは寒そうに廊下の切れ目まできて「あたしダメ!入れない!」
「どしたの?どんな風呂だった?」
「そんなの分かんないよ!暗くて湯気しか見えなくて、どこで服脱いだらいいかも分かんないし、湯気の中からなんか出てきそうだし、お風呂だってどこにあるか分かんないんだよう!もーいや!ねー怖いからさあ一緒に入ってよう!」
「ばか言ってんじゃないよ!女湯に入れるわけないじゃんか!」
「じゃ、あたしこっちに入る。」
「そうか...まあ、他に誰も居そうにないし、そんならいいか、そのかわり誰か他の人入ってきても知らねえぞ」
「もうどうでもいいよ。寒すぎるし怖すぎるよー、ここ」
と言いながら、さっさとサンダルを履いてカラコロとこちらにやって来た。

木戸を開けると、さらに風は強く冷たくなり、直ぐにもう一枚の木戸に突き当たる。
この木戸にはよく見ると消えそうな文字で『天狗の湯』と書かれている。
なるほど年代物の岩風呂といったところなのだろう…と一瞬イメージしたのだが、木戸を開けると、だだっ広いだけの石のたたきが広がるだけだった...
いや、厳密に言うとだだっ広そうな石敷きの部屋で、入り口左手からもうもうと湯気が押し寄せているので、正面も左手も天井も空間がどこまであるのか確認することができないのだ。
ただ、右手の古い板張りから推測すると、4、5メートル以上の高さの、相当大きな納屋のような建物のようである。
風呂場の照明は小さな裸電球一つが湯気の中を隙間風に吹かれてぶらぶらと揺れているだけ…

サンダルのままカタカタと前に進んでゆくと、正面の板張りがようやく現れ、その前に一段高くなった石の棚があって、その上に籐の脱衣カゴが重ねられている。
脱衣所の様子からして、誰か他の者が先に入っている様子もなかった。

「誰もいないみたいだな…」
「ここで服脱ぐの?」
「そうみたいだな…」
「でも、お風呂どこ?」
「あっちの方だろ、たぶん...」

2人は意を決して服を脱ぎ、何故かタオルで前を隠して、左手湯煙の発生場所方面に向かった。
石畳は冷たく濡れていて、隙間だらけの板張りから容赦なく雪混じりの風が入り込んでくる。

「さむいよ~~~う…死んじゃ~ぅ...」
「おっ!風呂だ!」
石の風呂桶の一辺が足元に出現!

手を入れてみると、ちょっと熱めのいい湯加減である。
早速入ろうとする私に「ねえ、お湯掛けないの?」と、連れ...
女とは、こんな時にも常識派なのである。

縁をつたって歩いてゆくと、蛇口が6つほど並んだ洗い場があり、そこに桶がいくつか置かれていた。
桶で身体にお湯を掛け、ようやく2人は風呂桶の中に…

茶色い湯の底が多少ぬるぬるするが、そんなことは気にせず肩までつかると、じーんと身体が温まってゆく…
暖かい...暫く身を沈める...身体がどんどん温まってゆく...

「ねえ、これ見て」と連れ合いがすくい上げたお湯... そこには一杯湯垢(湯の花?)が混じっている。
「もういいじゃねえか、そんなこと。あー、気持ちいい…ちゃんとした旅館の風呂だと思うと腹も立つけど、山ん中の野ざらしの露天風呂に板で囲い作ったって考えりゃ、納得って感じじゃない?」
「そうねえ…」連れはあまり納得していない。

湯煙は多少落ち着いてくる…
周囲の環境もぼんやりとではあるが、少し確認出来る様になってくる…
風呂桶は幅5、6メートル、長さ10メートル程もあろうかと思われる長方形の石のプールのようで、大きな三角屋根の小屋に囲まれている様子だ。

薄暗がりの中、時折吹き込む風がひゅーっと音を立てては湯煙を動かし、風呂の大きさや天井の高さを部分的にではあるが、さらに少しずつ見せてくれる。
確かに幻想的ではあるのだが、風情もへったくれもない寒々しい愛想のない風景である。

「しかし、一体これのどこが天狗の湯なんだろうねえ…」

と、その時ひときわ強い風がびゅーっと音を立てて吹き込み、いままで暗がりと湯煙で隠されていた一番奥の板張り辺りの湯煙を吹き飛ばした!
「わあああああああ!」
「きゃあああああああ!」
湯煙のカーテンの中から、差し渡し3メートル近くもありそうな巨大な古めかしい天狗の面がこちらを物凄い形相で睨みつけているではないか!

私の一部が風呂の中で縮み上がったのは言うまでもない…

『北温泉』4 につづく…







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