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抗がん治療とスキンヘッド

末期の膵臓がんであることが分かり、余命1〜2ヶ月と宣告されてから既に8ヶ月が過ぎた…

8ヶ月前、余命を宣告された慶應大学病院の病室窓から見たその日の夕景…

幸いなことに化学治療に使用した2種類の抗がん剤が見事にヒットしたのだ。
転移や浸潤は留まり、膵臓のがんも少しずつ縮小傾向にある。

がんの化学治療といえば、誰もが気に掛けるのが抗がん剤の副作用。
今回私が使用しているのは『アブラキサン』と『ゲムシタピン』。
両方とも2010年代から使用され始めた抗がん剤で、アブラキサンはがん細胞の分裂を阻害するもので、主に進行を抑制する役割。
ゲムシタビンは膵臓がんの細胞そのものを自滅させる効用があるらしい。

毎週点滴治療を受けているのでパッケージも読ませて貰ったことがあるが、そこにははっきりと『毒薬』と記されている。
もちろん副作用もあるが、よく映画やドラマの世界でがん患者がゲーゲー・オエオエやっているような激しい副作用は近年ではあまり見かけなくなった様だ。
ただし、毒薬は毒薬。自分の体力で勝負しなければならない。

毎週、通院で1時間半の点滴を受ける…

そもそも、膵臓がんと判明する以前、半年以上腹痛や食欲不振、さらに倦怠感や激痩せ(約20kg)に悩まされ続けるも、原因は一向に掴めず、がんマーカーはいつもネガティブ。しかしこの痩せ方はいよいよヤバいんじゃないかと思っていた昨年暮れ、膵臓の細胞診の為慶應義塾大学病院への入院検査(胃カメラの先に針を付け、胃壁を突き破って膵臓の細胞を調べる)を行なったところ、ようやく立派な膵臓がんであることが判明した。
ただし、膵臓がんは腹痛を感じる様になったらもう末期ということなので、既に私はいつゲームオーバーしてもおかしくないという状況だったのだ!
本当に膵臓がんは厄介だ。まあ癌の性質にもよるのだろうが、これじゃあ人間ドックくらいじゃあとてもじゃないが発見されることはない。

抗がん治療を始めた頃… 体重は激痩せして63kgから43kgへ…

で… 覚悟を決めました。
コロナ以降、撮影の仕事は激減していたし、体調が悪くなって以降ほぼ仕事はストップしていたので、会社の処理や身の回りの整理… 幸い我が家は不動産収入もあるし、新たに集合住宅や自宅を建て替える計画も進めていたので、私の死後家族が困らないように遺言書やら相続やら、色々と準備に専念した。

化学治療は週1回。通院で1時間半の点滴を受ける。これを3回続けて、1週休み4週間で1セット。
結果が出なければ抗がん剤を変えていかなければならない。ただ私には試行錯誤をしている余裕はなさそうだ。

さて問題は副作用だ。
毎週金曜の治療の日は血液検査を受けた後、医師の検査結果の確認を得て、問題がなければ午前中点滴を受ける。
治療を始めた当初は漫然とした腹痛と倦怠感が著しく、1日のうち殆どをベッドで過ごすことも少なくなかった。

2ヶ月が過ぎた頃だろうか、次第に体力が回復しだし、生活も普通に起きている時間が多くなって、自分でもこのまま死を迎えていくとはあまり思えなくなっていた。

2セット後の画像診断… がんの進行が止まっていることが判明した!
物凄くラッキーなことに使用した抗がん剤が効果を発揮し出したのだ。
あの時診察室で担当医が満面の笑顔で「川崎さん!癌の進行が止まってますよ!やりましたね。効いていますよ!このままガンガンいきましょう!」と言ったあの言葉を今も忘れることは出来ない。
そして、少しずつ寿命は伸び始めた…

今現在も化学治療の日は倦怠感が増し、グッタリ… 午後はたっぷり昼寝… ただ、鎮痛剤を定期的に飲んでいれば腹痛はないし、膵臓がんに特化した食欲増進剤を1日1回飲んでいれば食欲もそこそこ問題ない。体重も5kgほど戻して、今では48kgと20代の頃の体重をずっとキープしている。
尤も、中年以降は常に60kg台だったので、相当スリムで身軽になったのだが、その分体力も落ちているので、まあプラマイゼロといったところだろうか。

翌土曜日は大抵の場合朝からやけに元気が出る。
これはどうやら点滴時に投与される吐き気止めや気力増進の投薬の影響らしい。元気でやる気がみなぎり、創作活動も可能な状態だ。

調子がいい時には出かけることも増えてきた… 個展中の仲良し写真家ミンギョンと…

日曜日は昼ごろからお腹がグルグル言い始め、下痢の状態が始まり、これが大体翌日まで1日続く。
月曜日辺りから少しパフォーマンスが落ちてきて、疲労感・倦怠感が増してきて日中2時間くらいの昼寝が必要になる。
火曜日、水曜日、木曜日は比較的元気を取り戻し、普通に生活が出来るが、この期間気をつけなければならないのは『便秘』だ。
なるべく排便を心掛ける様にすることが大事だ。
こうして、また次の1週間が始まる… といった日常だ。

もちろん、週によって具合の良し悪しはあるが、概ねこんな感じ。それでもセットを追うごとに体力も少しずつ底上げしている自覚がある。
担当医の話では「治療は非常に上手くいっていますが、基本的にはいつ何が起きてもおかしくない病状ですので慎重にいきましょう」ということ。、
今現在、こうして日常を続けていられることは奇跡的に幸運だったということなのだ。

ま、かといって精神的にはどんどん前向きになっている。
家の建て替え計画にも積極的に参加し、およそ2年後の新しい生活環境にも想いを馳せている今日この頃だ。

もちろん今現在抱えている化学治療の副作用はいくつかある。
まずは末端神経の麻痺…痺れ。両足先は丁度正座した後のように常に痺れている。
通常の歩行は問題ないが、うっかりぶつけたり、躓かないように注意は必要だ。
指先にも多少の痺れがあるので、吸いかけのタバコをうっかり落としてしまったり、指先の細かい作業には注意が必要だ。

末端神経に異常があるので味覚障害もある。
私の場合は塩味のファーストインパクトが鈍い。美味しそうなおかずの最初の一口が「あれ?味がしないぞ?」と期待を裏切られる。
甘味と酸味は問題ないが、味覚のバランスが崩れるということは食生活に大きな影響が出てくる。
これまで好物だったものがあまり美味しく感じられなかったり、思いがけないものが美味しく感じられたりする。

大好きなトンカツはいまいち味がよく分からない… でも七味を沢山振りかけると美味しくなる
これは美味しかった!ビールも冷酒も飲んでしまった…
目玉焼きとソース焼きそば… こういうはっきりした味のものは問題ない
先日食べたアジアンランチ、フォーガーとガパオ+α… 美味しく頂けました
甘いものは基本美味しい… 家内作のリンゴのタルト
先日遊びに行ったお宅でご馳走になった梨と葡萄… 果物はすごく美味しい!特に梨は大好物!

ご覧の様に、基本食欲はキープしているので、大きな問題ではないのだ。

元の病原が膵臓だからだろうか、消化に関しては色々常に問題がある。
便秘と下痢の繰り返しや、腹部のガスだまり、漫然とした腹痛… など…
試行錯誤しながら工夫して付き合い、それも大分慣れてきた。
大したことはないのだが、小さな口内炎も頻繁に発症する。

こういったさまざまな症状には服薬で対応している。
こちらも試行錯誤し、今ではきっちりと各症状と付き合っていけるようになった。

服薬は各食後と深夜の1日4回。

家内からプレゼントされた1日分のピルケース… ここに薬を用意することから1日が始まる

強力な鎮痛剤『トラムセット』。これは麻薬系鎮痛剤一歩手前の強力なもので、私は何とかここで踏みとどまっている。
朝1回の吐き気どめ消化剤『プリンペラン』と利尿と血圧降下を促進する『ラシックス』、便を柔らかくする『マグミット』は各食後に。
昼と夜の食後には一般市販の『第一三共胃腸薬プラス』、深夜には膵臓がんに特化した食欲増進剤『エドルミズ』、さらに就寝前には口内炎予防のうがい薬『アズノール』を使用。

割とポピュラーなうがい薬アズノール… これを1日1回使い始めたら口内炎になることがなくなった

ここまで色々と試行錯誤はあったものの、これで今の所上手く対応出来ている。
服薬というものもなかなか難しいものだ。

そして… 抗がん化学治療にはつきものの『脱毛』だ。
思い返せば私の場合、治療開始3週目から始まった。
やたらと抜け毛が増え始め、洗髪時にはごっそりと抜けるようになった。
抜け毛が鬱陶しく、まずはシェバーで坊主頭にした。

その後も脱毛は続き、眉毛やまつ毛も全て失い、髭もポヤポヤしか生えてこないのでほっぽらかしだ。
その他の体毛も抜け(なぜかすね毛だけは黒々と残っている)、頭髪もシェーバー以来、力なくぽやっとしか生えてこない。

1度バリカンを当ててから数ヶ月ほっぽらかしていたが、この程度しか生えてこなかった…
髭もぽやっとしか生えない…

ところがこれが今年の夏に向けて意外や意外、とても気持ち良いのだ!
試しに安全剃刀でスキンヘッドにしてみたら、何とも清々しい!
で、新たにスキンヘッド用のシェーバーを購入。これがまた気持ちいい!

新兵器… スキンヘッド用シェーバー…
こんな風に使います… 
使用後は水洗いもできる!

朝起きたら、顔と一緒に頭も洗える。暑い日にすっきりと汗を拭える。
今ではすっかりこのスキンヘッド・ライフが気に入ってしまった。
将来もしも化学治療が必要なくなったら、およそ1か月半で脱毛は解消されるというが、どうしようか今から悩んでいる。
まあ、要するに生き続ける気満々ということなのだ。

何よりも、何もする気力が起きないどころか、文章を読む気にもならなかった私がこうして自ら文章を紡ごう、何かを創作しようという気持ちになっていること自体、自分でも驚くべき変化なのだ!

如何だろうか?
これが私の抗がんライフだ。
末期がん宣告の臨床の一例に過ぎないが、もしもどなたかの何かの役に立てばと、ここにエッセイに纏めてみました。






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