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隣人はナイジェリア人

ナイジェリアから来る隣人たち

東京・目黒の自宅は35年前に建て替えた家。
祖母が父の名義で持っていた昭和初頭からの古い平家を取り壊し、2軒の二階家を建てた。
父親の引退を機に、両親が老後収入を得られるように一軒を外国人用の賃貸住宅としたのだ。

当初は外資企業の駐在家族(ドイツ人夫婦、アメリカ人夫婦、日本人夫婦、オーストラリア人家族)に賃貸していたが、ここ20年はナイジェリア大使館と賃貸契約し、およそ3年毎に入れ替わる外交官家族の住居に使って貰っている。

貸家は木造二階建て、広さは200㎡の4ベッドルーム。子供3~4人の家族でもゆったりと暮らせる広さだ。
この20年間で迎え入れたナイジェリアの外交官家族は7家族。
様々な家族と隣人として付き合ってきた…

ところで、皆さんはナイジェリアという国をご存知だろうか?
西アフリカのニジェール川を囲む広大なエリアで、アフリカ大陸全人口のおよそ1/5、1億6千万人を有する文字通りの大国だ。
有数の産油国でもあり、南アフリカに次いでアフリカ第2の経済大国でもある。

ただし、この地域にはもともと数十の小国、500を超える部族が存在していた地域。それをイギリスが植民地として無理矢理一国に統合しまったという経緯がある。
部族はそれぞれ違う文化を持ち、全く違う言語を持つ小国の集合体なのだ。
その為、かの『ビアフラ戦争』に象徴されるような様々な内紛を繰り返したが、現在は小さな紛争はあるものの、民主連邦共和国として一応一国に纏まっている。
公用語は英語だが、多くの人々は部族内でそれぞれ独自の部族語を使っている。

ナイジェリアは36もの小さな国で出来ている民主連邦共和国

私の隣人たちは、この連邦政府の外交官なので、自国ではいわゆるエリートキャリア階級。
一部、元々富裕層の出身者もいるが、多くはそれぞれ、各地の町や村の教育機関で子供時代に優秀な成績をおさめ、コミュニティーのバックアップや奨学金を得て、各地の大学や欧米などの海外の大学に進学。連邦政府の外務省に入省という共通の経緯を持つ。

連邦政府は国土中央にある高セキュリティーの人工首都アブジャにある。
彼らはこの街に自宅を構えているが、大抵の場合は出身地の町や村にももう一軒家を持ち、双方共に家族親族たち大家族で暮らしている事が多いようだ。
また、彼ら外交官の年収は現地としては相当高額なので、地元に複数の不動産を持っていたり、親戚の子供の学資を援助していたり、地元の団体に毎年多額の寄付を行っていたり、それぞれ郷里や部族愛が非常に深い。

『部族』というキーワードが出てきたので、ナイジェリアの『部族』についてざっと触れておこう。
ここはイギリスによる植民地化以前は500を超える民族が点在していた地域で、今でも36の州に分かれ。それぞれ自治政府を持っている。
各部族はそれぞれ独自の言語と文化を持ち、共通してそれぞれの文化を大変誇りにして、大切に保っている。

大雑把にいってもこれだけの部族が分布される

我が家の隣人となった7組の家族も、よくよく付き合ってみると、アフリカ人、ナイジェリア人である以上に「自分はこの部族、この地域の出身だ」という話が必ず持ち上がってくる。
それもその筈、ナイジェリア人は部族によって、生活もノリも価値観も全然違うのだ。
その違いを感じられるのは私が隣人で、大家で、日本での生活の世話役でもあったからだろう。

そもそも20年前、ナイジェリア大使館と賃貸契約を交わした頃、そこから2~3年間は大使館出入りの不動産仲介業者が間に入っていた。1人の男性個人がやっている怪しげな不動産屋で、まあ、多分大使館と一種癒着関係にあるブローカーだったのだろう。
東京に暮らし始めた外交官家族が習慣の違いから困った事が起きても、トラブルになっても全く我関せずと驚くほど無責任にほっぽかされる…かといって他の先進国と違って大使館自体にもそれをヘルプする機能はない。
見るに見かねて隣人である私が手を貸してあげると、ますます当てにされて、全く対応しなくなってしまった。
私は英語はそれなりに対応できるし、基本人好きでお節介なので、そうやって仕事の合間に世話役を買って出るのもそれなりに面白い。
それでも仲介業者のあまりの無責任さに頭に来て、彼をとっとと契約から外してしまった。以降、この家に暮らす外交官家族の面倒は私が直接行なってきたという経緯がある。
他の大家さんはそういう訳にはいかない。つまり彼らにとっては私はちょっと変わった日本人大家さんということなのだ。

そもそも、外交官というものは『機密保持』が大鉄則。国家の重要な機密に日常的に触れているからだ。従って大使館側からはあまり現地の日本人と親密に付き合うことは禁じられている…というのが国際的な常識なのだ。
そういう意味では、特に意識せずに年数を経て私はかなり特別な関係を築いてきたという事になる。


1 ンウォスさん一家

最初の家族はンウォスさん一家。ティーンエイジャーのお嬢さん2人とやんちゃな男の子2人の6人家族。
奥さんが外交官で、旦那さんは外交官家族の特権を活用して、ブローカーをやっていた。
日本で中古車を買い付けてリペア工場でメンテして、コンテナでせっせと母国に送っていた。

ンウォスさんの子供たち。同級生やうちの息子と…

一家は日曜には必ず教会に赴く熱心なカソリック教徒。
我が家は丁度私の両親の介護(特に父親)が始まって暫く経った頃で、父親は都内のリハビリ病院に一時入院中。これが隣人たちとの関わりを深めてくれた。

ンウォス家はナイジェリア南東部最大の部族イボ族。
イボ族はナイジェリアのユダヤ人と呼ばれるほど昔から商売を得意とする部族として知られる。元々がブローカー気質で人付き合いが良く、大阪人のように明るく大らかだ。
かの『ビアフラ戦争』は1960年代彼らイボ族が中心となって起こした独立戦争。近隣のアフリカ社会は認めたものの、欧米の国際社会はこれを一切認めようとしなかった。
石油利権を手放したくなかったのだ。そして… 経済封鎖と地理的封鎖を強行し、最後は凄惨を極める結末(数百万人が餓死した)となった。
この時代にイボ族は多くの老人たちを失ったのだ。その為なのか、イボの人々には老人に敬意を払い、老人を大切にする風潮が根強く残ったと聞く。

ンウォスさん夫妻がまず初めにやったことは、私の両親への挨拶の申し出。これにはびっくりした。
恐ろしく煌びやかな正装衣装に身を包み、夫妻で病院に父のお見舞いに訪れた時には、さすがに父も病院のスタッフもびっくり仰天していた。

どの部族の方達も一概に言えることは、両親は子供たちに物凄く厳しいということだ。家の手伝いをすることは当たり前で、子供たちは親のどんな要求にも絶対服従が原則だ。
子供たちは家にいる間中「手伝え」「勉強しろ」と煩く言われるので、学校やクラブ活動など、外の活動に熱心だ。ンウォスさん夫妻の上の2人の女の子たちも昼間は殆ど家に寄り付かない。
下の男の子たちも、出来れば家にいたくないらしく、いつも2人で外で遊んでいる。我が家の息子もまだ就学前だったからだろうか、いつの間にか頻繁にうちに上がり込んできて、一緒におやつをご馳走になったり、私の仕事部屋でそこいらにあるものを手当たり次第散らかして、私にこっぴどく叱られて… それでも自宅にいるよりも我が家にいる方が気に入っていた様だった。
お陰でこの家族とはすっかり仲良くなってしまった。

ンウォス家在日中大雪が降った!子供たちは生まれて初めて見る雪に大はしゃぎ…

イボ族の少し困ったところは、物や環境に対してぞんざいな事だ。つまり… 我々から見るとちょっと乱暴なのだ。
何度注意しても靴のまま家の中を歩き回っているかと思えば、裸足のまま外に出ることもある。
貸家備え付けの家具や家電など『何でこんなところが壊れるんだ??』というところが破損していたり、何度注意しても床にゴミが沢山散らばっている。
ゴミの分別や回収日時などは、何のことか意味が分からないらしい。
約束もアバウト。気分本意が横行しているという状態だ。
それでも気質は大らかで陽気、人懐こく、礼儀正しい。
日本の習慣にも1年2年を掛けて少しづつ慣れて貰った。

私たち的には、一番最初のこのンウォス一家のお陰で、イボ族というナイジェリアでも最もコアな気質と親密に付き合う事ができた。以降は面倒な仲介業者もいなくなり、多少のことでは驚かなくなった。


2 ナババさん一家

2番目の家族はナババさん一家。高校生の長男を筆頭に小学生のお嬢さん2人、一番下はまだ低学年の男の子やはり6人家族。
ご主人が外交官。ロンドンで高等教育を受けた秀才だ。
この時分かったのだが、彼ら赴任する外交官は奥さん1人、子供4人まで連れて来ることが許されているらしい。
これはナイジェリアは一夫多妻の地域もあり、原則多産家庭が多いので、制限されているということだ。
今度の家族の出身は、ナイジェリア北部の大部族ハウザ族。
ナイジェリア北部は山岳地から砂漠地帯へ… 元々遊牧民が多く、基本ムスリム社会でもある。
一夫多妻の土地柄でナババ氏にも他に4人奥さんがいるらしいが、今回連れてきたのは1人だけ。ナババ氏は何故か熱心なバプテスト教徒。つまりプロテスタントだ。

とても静かなナババさん一家

日本のナイジェリアンコミュニティーはイボ族が多いせいだろうか、ンウォスさんの時には週末や夜、いつも来客があって、笑い声や子供たちを叱る声など、賑やかだった。
ところがナババ一家に変わった途端、物音ひとつしなくなった… いつもひっそりと静かに暮らしている。
当初は留守がちで誰もいないのかと思った… 兄弟喧嘩の物音ひとつしないのである。

ご主人のナババ氏は細身で流石に英国で高等教育を受けただけあって、物腰穏やかで礼儀正しい紳士だ。
来日当初、インターナショナルのバプテスト教会を探してあげたり、ご長男のインターナショナルスクールの中途入学の手伝いをしてあげたりしたので、ある程度気心は通い合うようになっていたが、彼は常に我々とは一定の距離を置いている様で、どこかよそよそしかった。

子供たちも外で遊んでいる姿を見ることは殆どない。学校に行っている以外には、いつも家にいて親の手伝いをしたり部屋で勉強したりしているのだろうか… あまりに静かなので流石に心配になる。
近所でお祭りがあったので、子供達だけ誘い出してみたが、子供山車について行くだけでニコリともしない…
退屈だったかなあ… と心配したが、後でご主人から聞いたら、子供たちは大喜びで、物凄く楽しかったらしく、その夜は興奮してなかなか眠れなかったらしい。
それほど表情がないのだ。

夏祭りの山車に参加したナババさんの子供たち

そんなナババさん一家だったが… ある冬の日、奥さんが自宅で倒れた!
学校から帰宅した子供が発見し、我が家に助けを求めて飛び込んできた!
すぐに救急車を手配し、英語の看護が出来る病院を探して貰う。夫の職場の大使館に連絡したが、対応は全く埒があかない。幸い無事日赤病院が引き受けてくれて、入院させることが出来た。脳溢血だった…
慣れない日本の生活にストレスが溜まったのかも知れない…
そこから行きがかり上ほぼ毎日、私は旦那さんや子供たちに付き添って病院通いに付き合うこととなってしまった。
今ひとつ親密な付き合いが出来なかったナババ一家だったが、ここからおよそ1年半、徐々に心を通わせることとなる…

入院から2ヶ月後、奥さんは半身に多少の麻痺を残した状態で無事退院。懸命に自宅でのリハビリを続け、みるみる回復していったが、その間の子供たちやご主人の懸命な介護は彼ら家族の絆がいかに強いものなのかを示していた。
ナババ家はとても真面目な人たちだ。
ご主人は仕事に励み、子供たちは実によく勉強し、あいている時間は手分けして家事を手伝う。
当時16歳の長男は母国では2年間の飛び級を果たしていた。本人は日本の大学でのコンピューター・サイエンスの勉強を目指していたのだが、日本では飛び級制度が認められず、深く悩んでいた…

さて、奥さんは身体が不自由になってしまった。
家族の食事はどうしたものか…と私たち隣人も放ってはおけない。
我々でよければ助けになろうかと考えたが、元々北部のハウザ族は米食が基本。
米も長米より日本と同じような米の方が好みらしい。
彼らは近くのコンビニで手軽に買える『のり弁』がとても気に入ったらしく、もっぱらコンビニ弁当ライフを楽しんでいた…


3 オコリーさん一家

3番目の家族は、最初の家族の同じイボ族一家、オコリー家。
外交官はやはり奥様で、小学生の男の子2人と女の子1人の5人。
この家族の特殊なことは、旦那さんがいつも家にいること。
何か仕事をしている様子はないのだが、入居当初からひっきりなしに来客がある。
東京中のイボ族の人々が次から次に訪れるのだ!
最初はどういうことなのか分からなかったが、ご主人の『マイケル』はイボ族のチーフだったのだ。
ナイジェリア最大の部族イボ族には古くから各地域ごとにチーフ、つまり『酋長』がいる。
酋長は代々家長から家長へと血脈で繋いでゆくらしい。
強い体力と知恵と信頼が求められる。
もちろん、小さい頃から特殊な教育を受けている。
母国ではガウンのような特殊な衣装で帽子を被り、片手に杖、片手に扇を持ち、地域ごとのトラブルや家族問題、商売のアドバイスなど、あらゆることに裁断を下す絶対的な権限を持っているらしい。

オコリー家と我が家の家族…

オコリー家のご主人のマイケル(チーフマイクと呼ばれていた)は、巨漢で穏やか、いつも優しく微笑んでいる。
チーフマイクは、時間のある時にはよく近所を散歩している。
子供たちも3人とも大らかで活発。いつも外で遊んでいる。
隣の大家の我々とも、初めから親密に付き合おうとしてくれた。
特に私とは馬が合い、私のことは『ブラザークニ』と呼ぶ。お陰で近隣の多くのイボ族の方達も私に一目置いてくれるようになった程だ。
家族同士で夕食会を開いたり、マイクと一緒に昼食に出かけることもよくあった。
彼(彼ら)の大好物はCoCo壱番屋のチキンカツカレー… 勿論辛さはいつも5倍だ!

ナイジェリア人の好物(主食)は主にヤム芋、キャッサバ、それに米。
肉は主に鶏肉かヤギの肉、干し鱈など魚もよく食べる。
それにオクラや玉ねぎなどの野菜類、豆、エグシと呼ばれる瓜科の種、それとたっぷりのアフリカンチリをパーム油で炒めたりスープにしたりしたものが多い。
私は概ねOKだが、結構癖が強いので日本人には好き嫌いがある。

エグシスープとオクラのスープ

オコリー家が在日中に起きた最も大きな事件は、何と言っても東日本大震災!
地震の経験は全くない彼らはほぼパニック状態!
「棚からテレビが落ちた!」と大騒ぎで我が家に駆け込んできた。
私は、国際ニュースしか情報頼りのない彼らに状況の詳細を伝えに毎日通った。
さらには、福島の原発施設が爆発し、遂に母国からの要請で大使館は一時閉鎖、外交官家族は数ヶ月の間母国に避難してしまったが、その後再び日本に戻り、日常を取り戻すこととなった。

オコリーさん一家は3年間を通じて、ずっと親密に付き合い、私の父親の葬儀の際にもお祈りを捧げてもらったり、とても仲良く付き合うことができた。


4 ウマーさん一家

これまでの外交官は皆40代〜50代前半だったが、4番目の家族は少しお歳の60前といったところ。
外交官はご主人で、ナイジェリア南部海岸のカラバ族という、比較的少数民族出身。
もう20歳を過ぎた長男と18歳の次男の2人を連れてきていた。

これまでのナイジェリアン家族は皆大柄だったが、ウマーさん一家は皆160cm台と小柄だ。
カラバ族のこの家族、これまでの家族と大きく違った点は、何と言っても綺麗好きなこと。
入居して直ぐに連れていった日用品の量販店では、真っ先に玄関先や庭の掃除道具を購入していた。
曰く「我々カラバ族はナイジェリアで一番綺麗好きな民族なんだ」と胸を張っていた。
ただし、綺麗好き… とは言ってもそれはあくまでも外面のこと…
玄関や玄関先、門や玄関への通路、庭の除草、客が出入りする広い居間やダイニングなどはいつも見違えるほど綺麗に掃除されているが、外からは見えないキッチンや二階のベッドルームなどはものが散らかり放題散らかっていて、掃除機すらかけた形跡もない。

ウマーさん夫妻と… ナイジェリア独立記念日のパーティーで…

外交官であるご主人はいつもキチンとした身だしなみで、少し強面… 子供たちには超厳しい。
我々に対しては常に目上に対する礼儀を払い、私と話す時はいつも言葉に『Sir.』を付けることを忘れない。
小柄で歯にかみ屋の奥さんは料理自慢で、出身の村では有名なダンスの名手という話。
1度だけその踊る姿をビデオで見せて貰ったことがあるが、アフロビートに乗って全身を躍動させる激しい踊りっぷりにビックリ仰天したことがある。

ウマーさんの奥さんはお料理と踊りの名人

次男のマイケル君はいかにも真面目そうな医学部志望の勉強家だったが、日本の医学部の試験は英語で受けられないことが分かり、結局インドの大学に留学を決めた。
長男のジョセフは一応工学部志望。地元でも国立大学に通っていたらしいが、日本の大学で本格的に電子工学を学びたいと当初話していた。ところがその準備となる1年間の日本語予備学習で見事に赤点を取りまくり、入学を許されなかった。
そのうちに、どこでどう知り合ったのか日本人の彼女を作り、子供もできてしまって、結婚…
その後が大変だった!
父親の日本勤務が終わり、帰国。その直後…
日本で家庭を持った筈のジョセフ、家庭内暴力で奥さんから訴えられ、離婚させられ家を追い出された挙句移民管理施設に強制入所… 大使館から相談を受け、私が身元保証人となり、処分が決まるまで我が家に住まわせることとなった。
ところが…このジョセフ、思いもよらないとんでもない大バカ息子で…
この話は長くなるし、まともなナイジェリア人の方達の大恥ともなるのでまたの機会にお話しすることにするが、とにかく私にとっては大迷惑大損害のおバカ長男だったのだ。
自分で言うのも何だが、このオープンマインドの私も流石にブチ切れた!

我が家でのお正月のお屠蘇… 奥さんとおバカのジョセフ…


5 オノジャさん一家

次のオノジャ一家はナイジェリア中南部ニジェール川沿岸のエド族の出身。
日本が最後の海外勤務という外交官のご主人は、貫禄のある押し出しの強い印象だったが、付き合ってみるとなかなか愛嬌のある人懐こい人物であることがすぐに分かり、あっという間に仲良くなった。
家族は高校生の長男を筆頭に、中学生の長女、小学生の次女と三女…
彼らは皆来日以来日本文化に興味津々で、隣の我が家にも頻繁に遊びに来ていた。

オノジャ夫妻とパーティーの席で…

この家族には沢山の思い出がある。
人付き合いが良く、親分肌のオノジャ氏は我々をナイジェリア人たちの集まりに呼んでくれたり、我々の友人たちの集まりに参加してくれたり、一緒に買い物に行ったり、奥さんとお嬢さんたちが日本の料理を習いに我が家を訪れたこともある。

我が家での食事会…
我が家で、家内主催のおにぎり教室

何よりも大きな出来事は、在日中に奥さんに赤ちゃんが産まれたこと。
彼らははこの新しい四女に私の家内と同じ名前の『ユカ』と名付けたのである。

日本滞在中に生まれた末娘は家内と同じ名前『ユカ』と名付けられた

そして、ご主人はいよいよ、外交官としての最後の任期を終え、家族は帰国することとなる…
ところが、その矢先の健康診断で前立腺がんが見つかった!
本人は「帰国前に見つかって良かった」と、まだ医療環境の悪い母国のことを配慮して、不幸中の幸いと言っていたのだが、大使館側は彼の任期が既に過ぎており、現状連邦政府職員ではないという理由から、治療は自費でやるようにと見放したのだ!

日本人として日本に住んでいると、我が国が外国人(特にアジアやアフリカの外国人)に対してとんでもなく厳しいことを知ることはないだろう。
日本人と結婚しているか、日本企業からの召喚がない限り、長期の滞在は許されない… 日本国内の銀行に口座も持てない… 母国から高額の送金をすることもできない。
もちろん大使館に勤める外交官には様々な特権が与えられるが、退任してしまえば全ての権利を失う。
オノジャさんのご主人の場合、日本でガンの治療を受けるには、もし大使館員であれば大使館が提携する日本の特定病院で国費で治療を受けられるが、職権を失った場合は自費(外国人の場合多くの病院では実費のおよそ倍額!)で治療を受けなければならない。
しかも治療期間日本に滞在するには日本人の身元保証人と滞在場所の確保、さらには経済的な保証人が必要となる。

で… 私は彼の身元保証人となり、家族たちの帰国後も自宅に彼を住まわせ、治療(手術)を行ってくれる病院と医師を探した。
かといって、親身になってくれる名医を探す伝手などない。
ネットで情報を集めたところ、比較的我が家から近い国立東京医療センターに前立腺がんのロボットアーム手術(ダヴィンチ手術)の名医がいることが分かった。ともかく当たって砕けろと、窓口で相談の申し込みをしてみた。
これがなんと大当たり!
正直に事情を全て話すと… 「そうか… それは大変ですねえ… 分かりました、何とか方法を見つけましょう!」と、執刀を引き受けてくれ、本来10日間掛かる入院期間も車での毎日の送迎を条件に4日間に短縮交渉してくれた。
無保険の外国人患者向け費用も日本人実費並みにしてくれて、概ね200万円以上掛かると思われた治療費用も数十万円に節約することができることとなったのだ!
本人手持ちの現金が足りない分は私が立て替えた。
術後の検診も再来日出来る様に、病院側担当医側としての入国管理局の書類を全て揃えてくれた。

無事手術を終えたオノジャ氏

こうして、オノジャさんは無事日本での手術を終え、3ヶ月後の検診も終え、今でも母国で元気に暮らしている…


6 アディエモさん一家

6番目の家族、アディエモさん…
アディエモ家はイボ族やハウザ族と同じナイジェリア三大部族の1つヨルバ族。
多くの学術者や芸術家を輩出する優秀な部族として有名だ。
思慮深く、礼儀正しく、遠慮深い人々だった。
しかも外交官のご主人はヨルバの王族の1人、部族社会でいえば『王子様』である。

3人の子供を連れて赴任したが、彼らの写真は残っていない…
家族が来日して、我々と仲良くする間も無く、世界的にコロナが蔓延し、早々に家族は帰国してしまったのだ。
以降2年間、彼は広い貸家に1人単身で滞在していたので、あまり深く付き合う機会がなかった…


7 アリさん一家

そして… 今現在、最後の家族は南海岸の少数民族イジョウ族出身のアリさん一家。
外交官は旦那さん。
日本が最初で最後の海外赴任ということで、60がらみの退任間際の外交官だ。
お子さんたちは皆成人されているらしく、夫婦だけで赴任してきた。

私の病状を心配してよく訪ねてくるアリさん夫婦

実はこの20年間、大型の賃貸家屋の需要はどんどん減ってきている。
特にコロナ以降、大家族で日本に赴任する外国人が激減しているのだ。
さらにここ10年は、世界的な経済不安定から、各団体や企業の職員に対する海外赴任費用が削減され続けている。
大使館も例外ではない。
我が家の貸家も、どんどん値下げを要求される。
特に我が家は200㎡とこの地域では数少ない大型物件。契約先の大使館も概ね100㎡前後の物件へと移行し始めている。
実際、当初貸家事業を始めた30年前と比べると今や家賃はほぼ半額だ。
年々メンテナンス費用も嵩んでくる。
私もいよいよ70を迎え、持病も抱え、老後のため、次の世代のために新たな展開を考えなければならない。
アリさん一家を最後にナイジェリア大使館との契約を解消することにした。

これまでの歴代のナイジェリア外交官家族と我々との付き合いを熟知するアリさん夫妻は、最後の貸家住人として親身になって我々に協力してくれている。

アリさんは大変堅実で真面目な性格だ。
赴任以来四六時中韓国や香港、ヨーロッパやアメリカ、さらには本国方面へとひっきりなしに出張を続けている。
クラッシック音楽が大好きで物静かな性格。
夫婦ともとても綺麗好きで、4家族目のウマーさんのように外見だけの綺麗好きではない。家の中もいつもとても綺麗に整えられている。

暇のある時にはよく我が家を訪れたり、招かれたりする。
あまりにも親切に付き合ってくれているので、赴任以来暇がなくろくに東京見物も出来ていない2人を、車に乗せて一日東京見物にご招待した。
彼らはオフィスは虎ノ門にあるのに、東京タワーすらちゃんと見に行ったこともない。
東京タワーから、天ぷら料理、浅草見物、皇居を一周して、渋谷のスクランブル交差点へ…
日本の着物にとても興味を持った奥さんに、亡き母が残した着物をプレゼントした。

東京タワーで…
天ぷら料理店
喜ぶと思ったらやっぱり大喜びの浅草見物
奥さんに差し上げた着物
奥さんが作ってくれたオクラスープとキャッサバ粉を練った『フフ』

来年春にはアリさんご夫婦ともお別れだ。
この20年間、良くも悪くも、数多くのナイジェリア人たちと深く付き合う機会を得た。
歴代の大使や領事とも話をすることができた。
たくさんの人から誘われてはいるものの、ナイジェリアには一度も行ったことはない。しかし、知らない国の知らない人々と、こんな風に長年日常を分かち合っていると、不思議とその国の在り様が見えてくる。
特に西アフリカの人々はとても魅力的だ。
急激な経済成長でアンバランスな生活の変化に翻弄されているせいだろう、我々から見れば狡く乱暴で即物的で思慮に欠ける様に見えることもある。
ただそれはほんの一面に過ぎない。
根本的にはいたって大らかで陽気、信心深く自然の営みをとても深く愛している善人だ。
そして、何よりもいつも元気でエネルギーに溢れている。

つくづく思う… 当たり前の話だが、国は人でできているのだ…





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