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カーコラム「NISSAN BNR32 SKYLINE GT-R 備忘録 Part.1」

 40有余年に及ぶロケンローな我がスポーツカー人生の中でも、一際輝きを放つ一台のクルマがある。

 自らの所有したクルマとして、またモーター・ジャーナリストとして、そして一人のエンスジャストとして、深く心に刻まれ生涯忘れ得ぬクルマ。

 最高のクルマに出会えた喜びと、共に過ごした日々を回顧し、当時の取材メモを参照しながらその開発経緯、メカニズム、エピソードなどを備忘録的に書き綴って行きたいと思う。


 1973年、折からの排気ガス規制のため僅か197台を数えるのみで生産が打ち切られた幻の名車KPGC110型(ケンメリ)スカイラインGT-Rから16年後の1989年8月21日、空前絶後の超性能を携え栄光の赤バッヂは不死鳥の如く復活した。

 衝撃的とも言える復活劇の陰にはスカイラインを愛して止まない一人の男の存在があった。

 その男とは歴代8代目となるR32型スカイラインの開発主管・伊藤修令(いとう ながのり)である。

 伊藤はスカイラインの生みの親である桜井真一郎の愛弟子で、初代スカイラインに憧れて入社したほどのスカイライン好きとして有名な人物である。

 54B型スカイラインGTBやGC10型スカイラインのサスペンション設計など、一貫して技術部門を担当してきた伊藤は、1978年に設計部門から商品本部へと移り商品企画を担当していた。そして1986年、8代目スカイラインの企画担当責任者に抜擢された。

 7代に渡るスカイラインの変遷を知る伊藤は、歴代スカイラインが代を重ねるごとに肥大化しスポーツ性が損なわれる事に危惧感を抱いていた。そのため、自らのが担当する8代目スカイラインではスカイライン本来のコンセプトである " 徹底的に走りを追及したスポーツセダン " を目指すことを固く心に決めていた。言わば原点回帰、スカイラインイズムの復活である。

 そして、その中核となるのがスカイラインのシンボルとも言えるGT-Rの復活だった。

 伊藤のこの構想は、当時プロジェクト901活動(1990年までにシャシー及び走行性能を世界一にするという日産の社内目標)でモチベーションの高かった各開発セクションの士気を多いに鼓舞する結果となり、GT-Rの復活は全社一丸となってのビッグ・プロジェクトとして推進されることとなった。

 このプロジェクトは " GT-X プロジェクト " と命名され、社内でもその取り扱いは超極秘事項とされた。

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