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カーコラム「追憶 '85オールスター ダートトライアル フェスティバルin鈴鹿」

 その走りは後の世に「伝説」として語り継がれる事となる。

 1985年12月1日、鈴鹿サーキット・モトクロス場。天候・快晴。

 中部ラリー連盟が中心となり開催されて来た伝統のイベント「オールスター・ダートトライアル・フェスティバル」は、翌86年からその戦いの舞台を関東・栃木県の丸和オートランド那須に移して開催される事が決定していた。

 イベント当日、聖地・鈴鹿での最後の戦いをその瞼に焼きつけんと、全国からつめかけたダートラファンの熱気は鈴鹿降ろしの寒風をも吹き飛ばす勢いだった。

 A1クラスから始まった全国の精鋭ダートトライアラーの熱き戦いは、トップクラスであるDクラスへと突入した。

 安全基準さえ満たせば事実上改造無制限のDクラス。有力エントラント達は斬新なニューマシンを持ち込み頂点を目指す。

 駆動方式も変更可能なDクラスでは、トラクション性能に優れた4WDマシン方式を採用したマシンが大多数だった。

しかし、オールスター初の2連覇に挑む前年度チャンピオンの国政久朗は、敢えてミドシップ2WDの基本レイアウトを踏襲したMR2を選択した。

 多数派の4WD勢を相手に国政がいかなる走りを見せるのか? そしてニューマシンMR2の戦闘力はいかに?

 大観衆が固唾を飲む中、1本目のスタートフラッグが振り降ろされた。

 絶妙なクラッチミートから一気に加速体制に入ったMR2は、信じられないコーナリングスピードで外周、そしてフォレストコーナーを駆け抜けた。その怒涛の走りは寸分の隙、そして僅かのミスもない。

 それはまさに自らの「国政理論」を体現する究極の走りだった。

 「おまかせ克っちゃん」こと山本克典アナの絶叫が響き渡る中、インフィールドに突入した国政MR2は、テクニカルセクションをノーミスで走り抜け、そのままゴールへと飛び込んだ。

 2分01秒62、それは「オールスター2連覇は不可能」と言われたジンクスが破られた瞬間であった。


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