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Essay

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鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
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#釣り

エッセー「追想 日本のルアーフィッシング草創期 " 津久井湖巡礼 "」

 バスフィッシングに本格的にのめり込みんだのは1972年頃からだった。  ブラックバスが釣れる湖の中で最も東京に近い津久井湖に、始発電車と始発バスを乗り継ぎ月2回は通った。  当時、日本で公式にブラックバスの存在が確認されゲームフィッシングのフィールドになっていたのは、神奈川県の芦ノ湖、相模湖、津久井湖、震生湖、相模川の一部(上流域)、それに静岡県の一碧湖のみだった。  相模湖と津久井湖は相模川の上流部をダムで堰き止めて造られた人造湖である。  建造されたのは相模湖の

エッセー「コンゴの大河に生息する幻の巨大魚 "ゴライアス・タイガーフィッシュ"」

 今を遡ること10年前、アフリカはコンゴ川の上流域において、イギリス人の釣り師Jeremy Wade(ジェレミー・ウェィド)氏がゴライアス・タイガーフィッシュ(Goliath Tigerfish)の捕獲に成功した。  余談だが、コンゴと言えば中央部にある神秘の湖テレ湖に存在するというUMA(未確認神秘動物)モケーレ・ムベンベ(首長恐竜)をまず真っ先に思い出す。  捕獲(釣り上げられた)ゴライアス・タイガーフィッシュは全長に1.5m、体重約80ポンド(36kg)という超大物

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 最終回」

 大路池二日目、午前5時に朝食を済まし、ラッパ荘を後にする。  例によって都道をてくてくと歩き、大路池入口を目指す。30分ほど歩くと入口看板が見えてくる。そこから都道を離れ、延々と原生林に覆われた山道を下ること10分、エメラルド色の湖面が煌めく大路池が見えてきた。  昨日のニア40センチクラスに気を良くしていたので、二日目は積極的にトップウォーターで攻めて見ることにした。  ルアーはボマーのロングA11cmのブラックをチョイスした。  キャスティングして着水後、波紋が

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 Part.3」

 宿から歩くこと約30分、原生林の樹海の中についにその姿を現した大路池。その澄んだ水面下に、黄金の背中を持つという伝説の「ブロンズ・バック」が潜んでいるかと思うと、いてもたってもおられず、そそくさとFenwick FC60のロッドをつなぎアンバサダー5000Cをセットした。  バークリーのカメレオンラインをガイドに通すと、黒金のジョインテッド・ラパラ11cmをダイレクトノットで取り付ける。これで準備は完了。湖面に突き出た展望桟橋に立つと、記念すべきファーストキャストを投じた

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 Part.2」

 ディーゼルエンジンの唸りを子守唄に、船倉近くの二等客室(ザコ寝)での狂乱の夜が明けた。  気が付くと客間のカーペットには一升瓶やらウィスキーの空瓶やら缶ビールの空き缶などが散乱し、足の踏み場もない状態となっていた。  新鮮な外気が吸いたくなり、長い階段を上りデッキに出た。鉄扉のハンドルを回して扉を開けた瞬間、東京では絶対に味わう事ができない、外洋上で生まれたばかりの新鮮な空気が肺腔一杯に流れ込んできた。  空気が甘いと感じた事は、これまでの人生でその時がただ一度切りの

エッセー「バスフィッシング熱風録 三宅島 大路池遠征 Part.1」

 1978年の5月の連休、気まぐれに「三宅島へ行きたい!」と思い立ち、そのまま竹芝桟橋へ直行。  気がつくと就航間もない東海汽船の新造客船「すとれちあ丸」の甲板で、出港を告げる銅鑼の音と「蛍の光」を聞きながらペプシコーラを飲んでいた。  やがて船はゆっくりと岸壁を離れ。。。。あ、旅行記ではありません。  そもそもなぜ三宅島なのか?   実は当時(1978年)、主要な釣雑誌(フィッシング、アングリング、釣人など)の誌面を賑わせていたある噂があった。  それは、伊豆七島

エッセー「日本のルアーフィッシング草創期 1970年代 後編」

 1970年代、日本のルアーフィッシング界のトレンドリーダー的役割を担ったのは産報出版(当時の社名)が発行する月刊誌「フィッシング」だった。  当時、高度成長期の恩恵を受け余暇産業は花盛り。とりわけ「釣り」は比較的お金のかからない手軽なレジャーとして国民的人気を得ていた。そうした社会背景が追い風となり、釣り具業界は活況に満ち溢れていた。その恩恵を最も受けたのが釣り雑誌だった。  1970年代は「釣りマガジン」、「つり人」、「フィッシング」といった総合誌のみならず、大小様々

エッセー「日本のルアーフィッシング草創期 1970年代 前編」

 1960年代後半から一般に普及し始めたルアーフィッシングは、戦後第2次ベビーブーマーである昭和30年代前半生まれの子供達が小学生高学年から中学生となった1970年代初頭、ついに本格的なブレイクポイントを迎えた。  1米ドルは360円の固定相場の時代。 東京オリンピック、大阪万国博覧会とビッグイベントを立て続けに成功させて高度経済の大波に乗る日本では、国民生活にゆとりが生まれ急速に欧米志向が高まっていた。  そんな中、ルアーフィッシングは舶来の「カッコイイ釣り」として釣り

エッセー 「1986年 我がバスフィッシング最良の年"ファット・ギジット"怪異譚」

 1986年、それは自分のバスフィッシング人生最良の年である。  偶然購入したファット・ギジットというソフトルアーが、神の御業の如き数々の奇跡を起こしたのである。  ファット・ギジットは、チューブベイトに分類されるソフトルアーで、その形状からスクイッド(イカ)タイプと呼ばれるものだ。  セットップは簡単。ファット・ギジットの頭に、1.5gほどのジグヘッドを取り付けるだけ。ライトリグなので、ワイドスプールのスピニングリールと、ティップが敏感な5.5ft~6.0ftのロッド