当時のテレビ視聴環境(まえがき、つづき)

 まず、大前提としての当時のテレビ視聴環境について。

 家には居間に1台のテレビで、基本的には親や弟と一緒にテレビを視ていて、自分だけで(または弟と一緒の子供だけで)テレビを視る時間は、平日の限られた時間だけであった事。そしてビデオ装置は長らくありませんでした。(うちに初めて設置されたのが1988年暮れ頃だったか)

 子供の頃なので、基本特に平日夜遅くの番組はあまり視ていません。小学生の頃は、夜9時には寝る生活が普通で、夜更かし出来るのは土曜日とか休前日くらい。(ただ、小学校入学前は、やや夜更かししていた・・・ベストテンとか欽どことか視ていた記憶が)

 視聴出来た時間は、6時前後の早朝か、平日なら学校終わってから。土曜日は半ドンで、帰宅した12時半以降。日曜日は基本起きてから寝るまでくらい。もちろん、買い物だとかお出かけだとか、遊びに行ったりもあったので、一日中テレビ視ていた訳ではなかったですが。

 中学以降、平日夜9時以降もテレビ視る事がやや多くなりましたが、なにせ居間で親と一緒、隣の部屋は親の寝室。そんなに遅くまでテレビを視続ける習慣はありませんでした。まあ、勉強せずに遅い時間までテレビを視ていると小言を言われていたので、視づらくなった、という面もあります。その分、自室で夜のラジオ聴取時間が増えていった訳ですが。

 1台のテレビなのでチャンネル権問題もありそうですが、両親、特に父からはあまり「どうしてもこの番組」みたいな主張がなかった感じで、争った記憶はなかった気がします。基本チャンネル権は自分や弟に合わせた感じだったような記憶があります。これはNHKか民放2局かしか選択肢がなかったからという意味合いもあるし、視る番組が決まっていた親も子も同じ事が多い側面もあったかと思います。あと男の子兄弟でもあるし、小学校高学年頃から野球に興味が出てきて、ナイター中継でも不満がなかった、という点もあったかも知れないです。

 テレビの情報は新聞のテレビ欄や、学校での噂話くらい。あと親が読んでいた週刊誌などの情報を聞きかじったくらい(やや成長したあとは盗み読みしていましたが)で、今に比べれば入ってくる情報がほとんどなく、そのまま放送されたテレビ番組を視ていた時代だったような気がします。










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