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それは無理なく続けられるか?

最近、社長が肉体改造中。

プランク(腕立て伏せのようなポーズをキープして体幹を鍛える運動)を1ヶ月続け、今は腕立て伏せを継続中。

三日坊主という言葉は社長のためにあると言っても過言ではない。

と思っていたが、意外なことに今なお継続中である。


社長は僕よりもずっと痩せ型で、吹けば飛びそうだ。

ヘリコプターが近くに着陸することがあれば間違いなく吹き飛ぶ。

体型が物語るように、筋トレとは無縁で、僕たちが良く知る腕立て伏せは1回もできない。

ところで、意志の力とか、目標とか、実際にそれを成し遂げたときの自分をイメージするといったことは、物事を継続する際に重要だと言われることが多い。

そこにもうひとつ、社長の事例から重要だと感じたことがある。

「無理なく続けられるかどうか?」


プランクはシンプルな体幹トレーニングとして有名だし、社長の腕立て伏せも1日10回。(しかも膝をついた状態で)

(プランク中の社長)

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学生時代に運動部所属だった人からすれば「たったそれだけ?」と思えるだろうし、僕自身がそう思っていたけれど、続けることによってかなり効果が出ている。

念のために言っておくが、社長は筋骨隆々を目指しているのではなく、体力維持のためにトレーニングをしている。

その甲斐あってか、2ヶ月前よりもずっと体力があるように感じる。

良い睡眠も取れているようで、起床から出勤までの準備もびっくりするほど早くなっている。(僕が起こされる日もあるほど)


最近始めたコーヒー教室の中でも、「無理なく続けられるかどうか?」が重要だなと感じる場面が多い。

とくに「はかる」という点において。

コーヒーを淹れるとき、多くのお店では「はかる」ことを重視している。

自宅で淹れるコーヒーをより一層楽しむことが目的の場合、「正確にはかる」ことは外せない要素ではあるのだけど、それが苦になるのなら本末転倒。

実際、生徒さんのほとんどは計量スプーンを使うとか、蒸らし時間は自分で数えるとか、抽出するコーヒーの量はなんとなくこれぐらいとか、そうやって自分なりの基準を持っている。


ようするに、「だいたいこれぐらい」が続けるための要素になっている。


物事を続けようとするとき、目的を意識しつつも「それは無理なく続けられるかどうか?」も考えるのも大事だなと思った話。



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