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【#一日一題 木曜更新】 「これは、私だ」

山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。ほらいつか岡山在住ライターとして一日一題から依頼が来るかもしれないし……し…? 

 待ち合わせ場所へ行ったら知人が泣いていました。その日の待ち合わせはとてもライトな約束だったので、ちょっとひるみました。
 悩みを聞いてほしいとか、話があるのとかの前置きがあれば覚悟して行きますが、その日はそういう雰囲気ではなくランチがてらちょっとミーティングしようかという話だったので。
 もうひとりの知人が彼女に何かあったのかと聞くと、いやいや何でもないからと言うし、私がコンタクト?目にゴミ入った?と聞いても、いやホント何でもない、あはは!元気。と言うんです。
 彼女の眼は明らかに泣いたあとの赤さで、鼻の頭もほんのり赤みを帯びていて。これだけの状況証拠があるのに何も言わないのなら、これ以上しつこく聞いてもどうしようもないと判断して、その後は何も聞かずにランチを楽しみました。

 帰路にもうひとりの知人と別れて彼女と私のふたりきりになった時に、こう言われたんです。「待ち合わせ直前にあなたの書いたものを読んだら涙が出ちゃって。色んなこと思い出して、これは私もそうだったなーって思い出しちゃって」と、また涙をにじませながら彼女は言いました。そういうことでしたか。

 私の書いたものに彼女の琴線に触れる何かがあったのは、とても嬉しい反面、ストレートな感想を目の当たりにするのはちょっとくすぐったくもありました。彼女の言う「私もそうだった」は、自分にも色々と覚えがあります。アーティストのつくる歌詞に自分の恋を投影したり、小説のストーリーに過去の自分に重ね合わせたり(プロの作品と並列させるなんておこがましいですけども)。彼女が私に感想を伝えてくれる様子を見て、「私もそうだった」なんて感じてくれるのは、とても光栄なことだなあとこちらはこちらでこっそり喜びを噛み締めました。
 
 最近、リアルな友人知人にnoteで書いていることを言うようになりました。ただ実際に読む人はどうやらごく一部のようで、文章を書く人同様に「読む人」もさほど多くないものだと感じています。
 
 それでも、「これは私だ」と感じてくれる人がひとりでもいるのなら、書き溜めた何十万文字はそう無駄なものではなかったかもしれません。

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