【#一日一題 木曜更新】 親友のケイコ
山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。
わたしの親友がね、大人からそんな語り口を聞くとどうも気恥ずかしい。でも同時に、この人には親友がいるのだと羨ましくもなる。親友がと言い切るには、おそらくその親友もこの人を他の誰かに紹介するときに、わたしの親友がと言うのであろう。
このふたりは、わたしたちは親友であるという契りをいつ交わしたんだろう。幼い頃にブランコをこぎながら?それとも酒を飲みながら?わたしたち親友だよね、そんなまぶしい約束は小説や漫画の中だけのファンタジーだと思っていたけど、実際に口にする人に会ってくすぐったくなった。
でも、親友という関係性をまでをファンタジーだと思っているわけではない。これは親友だと言えるくらい心を許している友人は確かにいる。深刻な話ができるし、近居であれば、ちょっと今からスープカレー食べに行かない? みたいなざっくばらんな誘いだってできる。
だけど、なのである。
親友の契りを交わしていないと、親友がとはっきり言うのははばかられる。もしも向こうがこちらを親友認定していなかった場合を想像すると死にたくなるではないか。あ、親友だっけ…なんて思われたら、一体どうしたらよいのだ。
ケイコは、わたしの高校時代の友人だった。
卒業後も月になんべんか夕食を共にし、ドライブで遠出もした。三十代前半、彼女が許されぬ恋にやぶれたとき、当時、私とケイコの家は飛行機の距離ほど離れていたにもかかわらず、ケイコは有給をとり飛行機に乗り、私の家に恋の顛末を報告しにやってきた。私はよしよしおつかれさん、次は独身の男にしなよなんて言いながらケイコの背中をさすりごはんをつくった。
これは、親友、だよな。
でもケイコの結婚式後、しばらくすると連絡が取れなくなった。ラインが既読スルーになり、未読スルーになり、素っ気ないながらも届いていた年賀状もいつの頃からか来なくなった。
わたしはこれまでのケイコに対する行いを振り返った。
学校の廊下でケイコにおいコブタ!って叫んで怒らせたことがある。
ハタチくらいのころ、ケイコが高校時代に好きだった男の子とわたしが付き合って1年くらい疎遠になったことがある。
男の子と別れてからケイコとまた遊ぶようになり、ドライブの約束で早朝に迎えにいったらケイコのアパートの前にその男の子の車がとまっていた。わたしは時間を少しずらして車がなくなったのを確認してからケイコに到着の電話を入れた。ドライブ中、運転しながらケイコはセックスしたのかな?とずっと考えていた。最後まで知らんふりした。
ケイコが苦しそうに不倫を打ち明けてきたとき、一度は正論でばっさり切った。既婚者の相手の男をクソミソにけなした。
じゅうぶんか。
何かのきっかけで蓄積されたものがあふれるにはじゅうぶんかもしれない。
ケイコは三万円のご祝儀で、わたしに対する何かを精算をしたのかもしれない。
あのとき、ねえやったの?ってきちんと聞けていれば、あいつのちんちん大きいよねと笑って話せていれば、わたしはケイコと親友になれただろうか。
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