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脳髄とはらわたのバドラッド #4-4

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「やぁ」

 気がつくと、真っ白な何もない空間で、ダフネに膝枕されていた。

「ん───」

 ぼんやりと目を開ける。
 ダフネは、俺に覆いかぶさるような体勢で、俺の顔を覗き込んでいた。

「いつも通りの寝坊助だね」

 病的なほど白い肌に、ほんのりと藤色の赤み。黒髪をおかっぱのような髪型にしており、切れ長の目に真っ赤なアイシャドウ。少女ほどの体格。全裸一歩手前のような服装。
 意地が悪そうな笑みに、しわがれた声。
 慣れ親しんだ、ダフネの姿だ。
 彼女が死んでからたった一ヶ月ほどだというのに、なんだか数十年ぶりにあったように懐かしい。

「ここは、死後の世界? ……俺は、死んだのか?」

 周囲には何も無い。あるのは、俺と彼女だけだ。
 もし俺が死んでしまったなら、彼女の脳を取り返すことが出来ないままということで、それがとても悔しかった。

「死後の世界? そんな御伽噺みたいなモノ、あるはずないだろ」

 きゃらきゃらとダフネは笑った。
 そのリズムが、とても心地良い。
 死後の世界より、平行世界から物質を転送できるやつのほうがよっぽど御伽噺ではないだろうか。

「アンタがしっかりしないから、アタシの脳を収める容器が壊れて、バイオ溶液が漏れ出して、アンタの神経と接続したんだ。つまり今ここにいるアタシは、脳髄に残った思考の残り香というか、ノイズというか、そういうヤツさ」

 思考の残り香。つまりこれは、あくまで俺のイメージであって、現実の出来事ではないのか。
 だが、今目の前にいる彼女は、彼女の脳が作り出した本物ということだ。
 もう会えないと思っていた、ダフネ本人。
 
「けどアタシの脳が生きてるわけじゃないよ。コレが最初で最後。バイオ溶液が漏れたんだ、アタシの脳はもうすぐ壊れる。残念だったねぇ」

 そう、ダフネはまたきゃらきゃらと笑った。俺のことを小馬鹿にした、けれどちっとも嫌じゃない、あの笑い方で。

「ダフネ───お前、俺と一緒に暮らすために、娼婦を辞める気だったのか?」
 
 だとしたら、俺が彼女を殺したようなものだ。

「まっさかぁ! キミって意外と自意識過剰なんだねぇ!」
 
 ダフネは、大げさに両手を広げる。

「もう人にこき使われるのも飽きてきただけさ。それをキミ達は、不倫をバラす気だのベッドで言った自慢話を盾に強請る気だの、アタシを何だと思ってるんだい? キミだって、顔がいいからしばらく付き合ってあげただけだよ」

 彼女がそう言うなら、それは本当なのだろう。きっといつものように、気まぐれに決めた。それだけのことだったのだ。
 俺は、涙があふれて止まらなかった。

「ダフネ、死なないでくれ」

 俺は、すがるように彼女の頬に手を伸ばす。
 そんな情けない俺の手を、ダフネはため息をしながら逸らした。

「キミさぁ、前から思ってたけど、アレでしょ」

 ───アタシと寝る前まで、童貞だったでしょ?

 暗転。時間切れ。ダフネの脳の半分は壊れ、記憶を引き出すことも何も出来なくなった。
 世界に光が戻ってくる。
 血の赤と黒の色。泥と粘液と糞尿にまみれた、クソみたいな現実だ。

 俺の上には合成獣の死体が折り重なるように積みあがっている。身動きは取れない。
 生きているのが奇跡としか言いようが無い状況だ。
 やつらは、俺が死んだと思い込み、追撃の指令を出していない。今が、千載一遇のチャンスだ。

 ダフネの残滓が残した、最後の言葉を思い出す。
 なんて身もふたも無い言葉だ。
 自然と、口元には笑みがこぼれていた。
 俺は、生まれてから一度も呼び出すことのなかった最後の銃を呼び出す。
 一度も成功したことは無いが、今ならきっと出来る。

 ウェザビーMkV。
 象すらも一撃で倒す、この世で、最強の銃。

 大きな発射音。
 目の前にいた合成獣ごと、白衣の研究者を吹き飛ばした。
 一発で大型の合成獣の分厚い身体を貫通し、強化ガラスを突き破り、そのまま人間を殺傷したのだ。
 叫び声すら上げる暇もない。即死だ。

「あ……え?」

 ロッソは何が起きたか分からないようで、呆気に取られている。
 ロッソの前にある強化ガラスと、俺の間に合成獣たちを、ウェザビーMkVで一人ずつ順番に撃ち殺す。
 どのような高度なバイオミネラリゼーションを用いたとしても、生体由来の物質でこの銃弾を防ぐのは不可能だ。
 火と鉄と油の時代。この銃は、一撃で象や鯨を仕留めていた。

「え……は?」

 俺は一発撃つごとに一歩ずつロッソのいる『安全圏』へ歩みを進め、ついには強化ガラスの前にまで到達する。
 次々と吹き飛ばされる合成獣を茫然と眺めるロッソの腕と足を、ベレッタM93Rで撃ち抜く。

「ひぎぃ!」

 血の海に沈むロッソの額にベレッタM93Rを突きつける。

「な、なんなんだよお前はぁ……62匹の合成獣だぞ……62匹の合成獣だぞ……一個大隊だって相手にできるのを、お前一人で……お前はなんなんだよ……悪魔か?」

 懐から脳髄を奪う。右後ろ半分。
 残る脳は、あと一つ。

「あ、あのオンナが悪いんだ! あいつが急に娼婦を辞めたいなんて言い出すから、秘密を守るために殺すしかなかったんだよ!」

 銃声。ロッソを殺した。
 周囲を見る。
 まだ生きている合成獣は何匹もいたが、それらは指令が無くなり、何もない所へ視線を迷わせ、棒立ちとなっていた。
 俺は、そいつらを無視して『カンパニー』を後にしようとした。

 瞬間、俺の全身が最大の警鐘を鳴らす。
 平行世界に干渉する能力で得た未来視が発動。
 すべての未来で、俺が銃弾を浴びて倒れていた。

 どうにかして急所を逸らす。それでも、即死しなかったのは僥倖というしかない。
 腹には巨大な穴が開き、そこから大量の出血。
 銃での一撃。狙撃された。
 はるか遠方、窓の先には少女がバレットM82A1を構えているのが見えた。
 俺の意識は、そこで途切れた。



「パパの仇………」

『カンパニー』に隣接する高層建築。
 隣接する、といっても、その距離は1.2キロ離れている。
 そこの窓際に、腹ばいに寝そべり、1.5メートルもの巨大なアンチ・マテリアル・ライフルを構えるのは、わずか齢10の少女。

『白の塔』にて、父親を殺されたアナ・バティスタであった。

◇5-1へ続く

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