メトロノーム

メトロノームのように。両方に振れる仕組みづくり。

僕がHRデザインで心得ていることの一つに「メトロノームのように動けること」があります。それは、何かに一辺倒にならずに、対極のスタイルを自由自在に行き来するということ。僕の持っているメトロノームの右と左(とその間)を簡潔にシェアします。

<HRデザイン>
HR(Human Relations)のデザイン。成果とチームのメンバーの幸福度の両立を目的に取り組んでいます。HR(Human Resources)の領域の1つ。

発散と収束

何に取り組んでも、ベストアンサーを見つけたいシーンは常にある。ベストとは他と比べて1番良いということ。真のベスト、つまりベスト中のベスト、つまり”より”ベストなものを見つけるにはたっくさんの選択肢が必要。

そこで、発散しまくる。次、十分に選択肢が増えたら、適切な評価基準で選択肢を絞っていく。どちらかが欠けると、手札が悪いかカードの切り方を知らないチームということになる。

論理と直感(形式知と経験知)

収束させるシーンで、論理は非常に重要な役割を果たす。なぜなら収束は基本的に、評価基準に基づく判断によってされるから。評価基準をクリアするかどうかは、基準に見合うこと(見合わないこと)を論理的に説明できるかどうかと同じ。評価基準そのものも、どのような観点が重要だろうかという論理的な検討によって作成される。

しかしながら、論理的判断には大きな欠点がある。それは、説明できる理屈(形式知)しか使えないということだ。誰でも生きてたら様々な経験をして様々な学びを得る。学びの中には説明できるものもあれば、言葉にはできないけど身体が感覚的に知っているもの、つまり直感(経験値)がある。直感とは論理を補うものであり、あてずっぽうではない。れっきとした、人生経験の賜物だ。

説明責任と質問責任

自分の考えや自分の知っていることを相手が理解できるように説明する責任と、理解できなかったところを質問する責任。話す側と聴く側、どちらかがサボるともう一方に負担が偏るか、もしくは質の低いアウトプットが出てくるといった形で組織全体が皺寄せを喰らう。

わかりやすく伝える努力とわかろうとする努力

説明責任と質問責任もこれに入るのだけれども、他にも。相手にわかりやすい表現で伝える努力と、日々研鑽しボキャブラリーや概念的な理解を豊かにして理解する土壌を整える努力。これも両方の歩み寄りが無いと、コミュニケーションの正確さとわかりやすさがトレードオフになる。

任せる責任と引受ける責任

任せる側は、いつまでに何をしてほしいのか、どれくらい時間がかかるかなどを明確に伝えて任せる。それを引き受ける側は、いつまでに何をすればよいのか、どれくらいで終わらせられそうか明確に理解して引き受ける。後になって「思ってたのと違う」「そんなこと聞いてない」なんてやりとりは不幸でしかない。「0から言わなくても常識でわかるだろうだろう」「注意点があるなら依頼者が明言するものだろう」はお互いにナシにしたい。

自責と他責と環境責

問題が起きた時、その原因は自分と相手とその間にある環境に原因を求めることができる。例えばAが要点を明言してBに仕事を任せても解釈違いが原因でうまくいかなかったとき、Aに原因を求めるならば、「AはBが正確に要点を理解できる伝え方ができなかった。」Bに原因を求めるならば、「BはAの言ったことを正確に把握することができなかった。」

Aにとって、前者は自責で後者は他責。個人間の問題として考えるならこの2つで良いのだが、HRを整える立場としては環境にも原因を見出して同じコミュニケーションエラーが起きないようにしないといけない。わかりにくい業界用語を辞典にしてまとめるとか、仕事を頼む・引受けるときのチェックリストを作るとか、オウム返しを徹底するとか。一見個人に問題があるようでも、組織(環境)の問題に昇華させるのが良いチーム作りのカギだと思っている。

ニーズとシーズ

ニーズは消費者に求められているもの。シーズは作り手ができること。ただ求められるものに応えるだけでは、敢えて自分たちがする理由がない。真似をされたら、そこで勝ち残る理由は無い。逆にシーズだけでは、買い手がつかずビジネスが回らない。

マーケットインとプロダクトアウト

マーケットインとは、マーケットに応える、つまり既にニーズのあるものを作るスタイル。プロダクトアウトとは、作り手が作りたい、喜ばれるに違いないと思うものを作るスタイル。「ニーズとシーズ」同様、マーケットインだけでは敢えて自分たちがする理由にならない。自分たちが作りたいと思っている、絶対に喜ばれると確信しているという事実が、ただ追随・真似している競合とのブランド差を生む。プロダクトアウトだけでは、シラケて買い手がつかない。自分たちが心の底から作りたいと思えてなお且つニーズに応えるものを作りたい。

マーケットインというと顕在ニーズに応えるという印象が強いが、潜在ニーズに応えるプロダクトアウトでもいいと思う。なんならそちらの方が好き。

デザインとアート

デザインは問題解決の手段。アートはそれ自体が目的。デザインではアプローチする(刺しに行く)ターゲットが決まっている。一方アートでは作り手が表現したいものを表現して、勝手に刺さった人が勝手に集まってくる、それでいいというスタンス。しっかりターゲティングしてアンケートまで取る西野カナは、アーティスト風デザイナー、もしくはデザイナータイプの「アーティスト」だと思う。(←「」が重要!)逆に、デザイナーを語って仕事を受けつつ自分の作りたいものを作る人はデザイナー風アーティストだと思う。就活のGDを荒らす人もこんな感じだ。潜在ニーズを狙うならアート的発想の企画になるだろう。しかし世間に受け入れられる手段を考えるときには、デザイン思考が欠かせない。

ブランディングとマーケティングとPR

ブランディングは作り手の「コレが自分たちだ!」をひたすら貫き継続するもの。マーケティングは、市場を把握して「○○に求められているのは○○だ!」に応えていく。PR(Public Relations)はこの両者の視点を行き来しながら、「自分たちの本来の姿を貫きながらもマーケットに受け入れられるにはどのような関係を築けばいいのか」を考え設計する。

アジャイルとウォーターフォール

アジャイルはとりあえずやってみて改善してやり直して改善してやり直して…1歩進んで2歩下がる次は3歩進んで2歩下がる…そんなプロジェクトの進め方。一方でウォーターフォールという進め方は、プロジェクトの開始から完成までの流れを明確に区切る。そして滝のように順々にステップを進み(下り?)、逆流することは無い。収束させる観点が1つ明確なフェーズはウォーターフォール、複数の観点から総合的な判断が必要になるフェーズはアジャイルが向いていると思う。

信頼と疑い

チームメンバーの意志・善意・努力を信頼する。twitterは動いているのにレスが遅かったり突然連絡が途絶えてしまったら、サボってんじゃねーよ!ではなくしんどいのかな、何かあったのかな、と思えるか。今日読んだ本で、「信頼の小さいチームでは誰かが休むと『サボっている』と思われる。信頼の大きいチームでは、主のいないデスクを見てみんなが幸せな気持ちになる(家族や恋人と過ごしてるのかな?)」とあった。すごくいい。無駄なストレスが無い。

一方で仕事を任せたとして、予期した通りの結果が出るかどうかは疑う…というか、気に掛ける、の方が適切だ。全力を尽くしてくれることは疑わないが、こちらの伝え漏れが無いか、誤解が無いか、途中であまりに大きな壁は無いか、などは気に掛ける。任せる相手との関係にもよるが、放任にはならないように注意しないといけない。僕は放任になりがちなので気をつけます。

自己開示と他者理解

心理的安全を築き上手に連携するために欠かせないのは自分を知ってもらうことと相手を知ること。自己開示して自分の価値観などを伝えることによって、その後周囲は何か配慮をしてくれたり、これまでだと不可解だと思われていた行動が受入れられたりする(と思える)。しかし、伝えて満足してはいけない、周囲が自分を理解してくれたように、自分も周囲を理解する。そうすることで今まで不可解だった他社の行動が腹落ちしたり、どうしようもない溝を作ることを避けたりすることができる。片方だけだと…当然意味は無い。

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