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2023年を振り返ったら「気づき」が101個あったよ。

内省が好き。
それだけやり続けたいと言っても過言ではない。

2023年は、紙ノートのメモとNotionの併用で「気づき」をメモしていきました。

今年は3冊。Notion分減った。
ただ紙じゃないと書けないメモもある。
B5が好き。見開きデカいから。


Notionは「メモ」と「写真日記」があるので膨大。


Notionのメモはいつでも振り返れるし、優先順位もつけて、ある種何度も目にし頭に入れたいものをまとめるのにとても向いてる。

一方で紙のメモは、どこに何書いたか忘れるし、字が汚くて読めないしと悪いところがたくさん。でも、やっぱその時に走り書きしたメモにはなんらかの怨念?が籠ってるから、改めて1年とかいう単位で見直すとフラッシュバックするものは多い。むしろメモそのものというよりも、そのメモを今見て気づくことが多い感じ


このnoteには、紙のノートを振り返って、改めて「たしかに..」って思ったものをメモしていきます。メモのメモ。概念が渋滞してます。さっき数えたら98個ありました。書いても忘れてるもんなんだなってのもまた新たな気づきでした(99個目)。



いちがつ

「やりたい!」と狙って作った目標より、不意に現れる大きな流れみたいなものに精一杯、今の全力で向き合う方が、本当にやりたいことに近づく。

自分の本質とは?
みたいな悩みをぐるぐる考えた。答えのようのものをつくったけど、でもそれは言語化してもしなくてもずっと無意識にあるもの。何かを変えようとしてること自体、自分自身を受け入れてないってことなのかもしれない。

外れ値っぽい動きをしてる人が好き

自分が頑張ると、誰かの活躍する場所を奪う。自分が適度に手を抜くと、誰かの活躍する場所を作る。

移動は基本的にポジティブな変化をもたらす

「ぼくをつかって」って感覚は大事かも



にがつ

新しい人に会うよりも、好きな人と何度も会う。その方が結果として良い出会いが増える不思議。

成功しててもしょうもない人はいる

チャレンジが好きなのではなく、チャレンジした時に自分が何を思うか、感じるかが好き。だから結果に興味がない。つまり、結果が出ない。

大体、こっちの心がオープンだと相手もオープンになる。傷つくことも増えるけど、そっちをとっていきたい。

亡くなる時は亡くなる。その時浮かぶ顔が、何年も前の顔じゃないように生きたい。

僕は「ぼくのことを好きな人」としか仕事ができない。

2年間で急成長した天才カストロの失敗はなんだったのか。

登壇に緊張しなくなった。「ありのままでいるしかないなぁ」って思ってるからか。とすると学びは減ってるのかもしれない。いや、どうだろう。。

手放すと入ってる来る、の、か、、?



さんがつ

Giveしなきゃ、から入ると消耗していく。まずは自分が何かを受け取ってるんだという気づきと体感から。

ほとんどのことはコントロールできない。「自分で決めた」さえも多くの意識化、無意識化の刺激によって決められている。だからある意味では、それ自体、目の前に現れているもの自体、全て「使命」といえるのかもしれない。

人を紹介するときに、その人のどこを一番買っているかわかる。

お金のことになると一瞬超短期的な感じになるの、そういう性質だと理解しとくと良さげ。

自利他利円満

自由とは、完全な己を生きること

「これすごいっしょ!」ってものをつくりたい

何かしなければならない、という焦燥感がある

もやもやしたとき書くとスッキリする。スッキリしたくないときは書かないというのも大事。

抽象的な言葉、たとえば「アーティスト」「クリエイター」とかにまとめる必要はなくて、ただ黙々と作品を作ればいい。自分が作品だと思えば、他者の評価はそこでは必要ない。


しがつ

まだ、「現状を変えなきゃ」と思っている自分がいる。満足できていないから生まれる心の動きな気がする。

ネガティブなものをそのまま抱え続けるということが大切。

その人のためになると思って、勇気を振り絞って伝えたことは、その結果がどうあれ、僕の人生にはとても大切なこと。良いリアクションが来ればなお嬉しいのは人間だから仕方ない。

繊細な感覚を言語化してしまう乱暴さがある。共感とは対角にある。

喜びを感じる時間を増やしていく。漫喫とか散歩とか文章を書くとか。

人の時間を奪って自分のプレゼンする人なんなの?僕らはそこで緩やかに殺されてる。憤りがある。普通に。

手放す恐怖。手放した安堵。




ごがつ

「好き」に自覚的になりすぎると、無意識の心地よさとかを見逃す。

バランス。ポートフォリオが大切。父親であり、経営者であり、クリエイターであり、個人であり、誰かの友人。全部大事。

自分の役割が浮くように浮くように動くと結果気持ちよく動ける。

所詮、「僕の話を聞いて聞いて!」以上に本質はない。難しく考えない。他者のためではなく自分のためにやってる。ただそれが誰かのためになったらいいなぁくらいはある。

応援してもらうために、「応援して」っていうのはとっても大事

チャンスはチャンスの顔をしていないってのはほんと。てことは、誠心誠意、精一杯、今できることをちゃんとやるって以上に戦略が立たない

すごくて、かつ人格者でも、面白くない人はいる。

自然体が導く方に行った方が、狙いすました行動するよりも学びが多い。学ばなきゃ、は大した学びなんてできない

自転車盗られた。どこかに「新しいの欲しいけど、今のもそこそこいいからなぁ」ってがあって、それが顕在化しただけと捉えることもできる。



ろくがつ

交流苦手なのを自覚する。その上でどうするかはまた別の話。

お金は、しっかり受け取るってのが難しい。

無理に何かや誰かに合わせるより、自分自身として正直にありのままでいる方が、いい人に出会える。それが人生の妙だし、損得を超えたところにあるのはそういうもの。

IVSというのは、プラスもマイナスも色んなものが蠢く場所だった。




しちがつ

「力」。権力、影響力、みたいなものは自分単独で増やしていっても意味ない。誰かのために使えて初めて意味を持つ。

ヒマであることを怖れない。

もやもやをそのまま書いたらバズり散らかした。誰もがそういうふうに感じてたいたのかもしれない。こういうのを書かないと出会えない人がいるからやっぱり書くっていいな。

やはり「いい人」とは、ありのままの時に出会ってる。




はちがつ

「自分」という外郭が変わってきている。思想、身体はまだ自分感あるけど、文章にしたコンテンツや作品は、結構切り離せているかもしれない。いいか悪いかはわかんないけど。

誰かに褒められる為に行動してる人は本当に魅力がないなぁ。

義理、不義理と人格は別の話。許す、許さないとその人自体は別の話。

資本主義は所詮ゲームなんで、そこに価値観や思想なんて入れなくてもいい。サッカーで手を使うことが本質とか言われても困るのと一緒。所詮その程度。

好きな人を優先するために、誰かに嫌われるのは仕方がない。

教育の本質は、自分を超える存在を作り出すこと。亀仙人。ビスケ。すき。

人には到底自分がわかるような理由以外の理由があると常に思っておく



くがつ

お金が、大切な人への贈り物になる。忘れない。

ポエムかいたり、ロゴ作ったり、そういう「作品」っていえるものを形にするの、やっぱ楽しいなぁ。

受け取ってるから、与えたくなる。この順番に逆はない。

感謝はするのではなく、自然に湧くもの。そっちがリアル。

不意に、死にうる。

将来のために体験するんじゃなくて、その体験自体が人生の目的。

ひとのvisionをきいて、言葉にするは楽しいな。言葉ってやつは、使いこなせればこなせるだけ現実の解像度が上がる。一方で何も知らないってのも解像度を上げるための1つの手段だったりしておもしろい。言語化したらズレるからね。

いつ死んでも構わないってことと、今日を生ききるってことは天と地ほど違う。

明確な「課題」とわかってるなら解決すればいいだけ。そうじゃなくてまだ「課題」とわからないけど、やらねばなぁってことに取り組めてるのが格好いい。そう在りたいし、そういう人が好き。

東京。この街はとてもマーケット的。アドレナリン的。ドーパミン的。刺激は確かにたくさんあるし、わくわくすることもいっぱいある。ただ、それだけ。真の意味で解脱。軸足を今いる場所に移そう。

誰に対しても存在に上下ないとして接すると、それを下に見られたと言って嫌う人がいることは仕方ない。その後始末してもらってんなら申し訳ないなぁ。

羨ましいなって思う人の人生が幸福かどうかはわからない。

言葉にしてるのは、言葉にできないことを探すため。


じゅうがつ

学びは結局人からが最強。その後、書籍やなんやかんやで補填する。これも順番が大切。

仲良くなると、全部一緒にやりたい!って気持ちになる。そしてそれができないと攻撃的になる。これはただ寂しいだけ。そういう気持ちにさせてくれてありがとうくらいだとバランスがいい。

朝「何しよう」からスタートすると退屈を感じる。だけど、「今日も1日受け取った!」からスタートすると、ただただじんわりと楽しくなる。

虫みたいな人と一緒にいたくない。だけど、虫を見るようにはみない。

起業家が発信を頑張っているのではなく、表現者が頑張って起業している。アイデンティティが逆。

つくるのって楽しい!

苦手な人はいる。エネルギーが奪われる人。そういう人とは関わらない。しっかりと距離を置く。心のエネルギーも使わない。ある種の攻防力の切り替え。なめらかに。意識せず。

本音と表現の距離。最適化される前の淡い感情。これを大切にする。見せないものに宿るのではないか。

「受→与→求」この順でメモすると、エネルギーが減らない。

文学。特定の出来事について特殊性と具体性に注目すること。反対なのは科学。文学が好みだから、数字とか一般化とかが嫌いなんだろうなぁ。

ツイッターは、考えてることを長文で書けば伸びる。その程度のものだった。逆にいうとそれを批判されても別に凹んだりしない。自分が考えてることだから対立しても、あなたはそう考えるんですね、以上の心の揺れがない。昔はここを一体化させてたから辛かったけど、今はない。成長なのかなんなのか。

アントレプレナーって言葉そんなに好きじゃないけど、この言葉の周りにいる若い人たちにできることは多い。というか変な大人を排斥する役目だけでもやる意義あるからやろうかなぁ。



じゅういちがつ

自分ごと化力の高い人たちと仕事すると、ここまで楽しいのか…。

大きいものがなくなると、また別のものが入ってくる。これはよく言われるけど、正確にいうと「気がつけるようになる」なんじゃないだろうか。

言語化は細分化のこと

いい人と仕事する、が最強

全ての人に価値を感じてもらう必要はなく、必要な人に価値を感じてもらうってのはなんかビジネスの本質くさい

周りの変化と内面の変化は別。言語化できてないけど、内面が変わった後、環境が変わってたりする。だからわかりやすい何かがなくても、十分変化は起こっている。

成長というものは、振り返った時に一番感じる。目的にするのではなく、実感するもの。

超ストレス。深掘りすると、「いい人」と仕事してないだけだったりする。



じゅうにがつ

「つくる」と「つくるをつくる」が好き。

結局、クリエイターと起業家が好き。ってところに行き着く。自分もそうあり続けたいってのも含めて。

「個」としての活動を明確化した方が動きやすそう。

ぼくたちは苦手な会話を避けるために会話しなければならない。

散らばりまくった行動を「1人でやる」というオリジナリティ。


まとめ

手書きメモを振り返ると、日付順になってるからか、この1年の自分の脳内ダイジェストを見たような気持ちになります。今となってはなんで悩んでたのかわからないない悩みや、今見たら「この時のオレ天才…?」ってなる気づきがたくさんありました。やってよかった。

メモの振り返りは、脳内ダイジェスト


2024年は下記のようなことしつつ、また内省捗らせていただきます。
内省のために仕事している説さえある。


そんなこんなでみなさま、今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えくださいませ!


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