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好きなことだけやってるとバランスが悪くなるという誰も知らない真実を知ってしまった。

今日は散文的に。

物語を必要とする日々

若い頃は物語が必要でした。物語に逃げ込んでいたと言ってもいい。現実が辛いってほどでもないけど、でも、現実以外の居場所が欲しかった。家族と仲良かったとしても、一人にはなれなかったような気がして。一人になりたかったんでしょう。物語は、圧倒的に一人を許してくれる。そんな物語をいつもいつも読んでいました。

最近はそこまででもないけど、ふとおすすめされた小説『何もかも憂鬱な夜に』を読み、現実とのピントがかなり狂った。僕が今認識してる世界ってやつは、世界ってやつの超超ごく一部で、ギリギリの膜の中成り立ってるんだって思う。今回内容には立ち入らないけど、冒頭の「自殺と犯罪は、世界に負けることだから」は、きっとこれから僕がそれらの場面に立ち入るとき何度も思い起こされるセリフだと思う。

現実世界。物語の世界がこれだけ深く、彩り豊かだと思い出してしまうと、現実のあれこれが薄くなる。「現実の方が面白いじゃん」ってのはその通りなんだけど、日々頑張る気力は奪われていく。端的にいうと、お金とか成功とかどうでもいい、、ってなる。逆に生きていこうって気持ちは強くなる。不思議なものだ。


やる気がでない

なんか最近やる気出ないなーって思ってたら、ご飯ちゃんと食べてなかった。あと、雨。この2つくらいで簡単に人生に絶望できてしまう。なんという肉体にコントロールされる脳、および思考、精神。


紡がれていくもの

高校時代から知ってて、大学生の時はインターンやってくれてた子が投資先のABABAに新卒入社した。なんというか。彼女がもう新卒!?って驚きはありつつ、こうして何かは紡がれていき、また新たに紡いでいくのかなぁなんて思った。彼女の人生にこれからも幸多からんことを。そして、ABABAのますますの発展を。


お金を集める

2号ファンドをつくっているので、いろんな方とお話しさせてもらってる。今まで自分たちのやってたことを超ファジーに捉えて、「10年後にも起業家と楽しくお酒飲めるように頑張ってます!」くらいでやってたんですが、まぁちゃんと話そうかと4つほどにまとめて話す。違和感はない。なぜなら自分で考えて作ったから。だけど、全部が伝わるわけではないというのをすごく実感する。本当に大切にしていることを、そのままの形で誰かに渡していくのはここまで難しいのか。

肯定的だったとしても、全部ではないよね。

そして、そのモメンタムみたいなものだけで集められる額にはキャップがある気がする。500万は即決できるけど、5000万円は難しい、みたいなやつが。僕らも次のフェーズに、職業としてのVCになっていく必要があるのだろうか。


誰かの頑張り

できるだけ誰かの頑張りを見逃したくない。そして見つけられたら応援したいと思っている。だけど自分にキャパがなかったり、一生懸命やってる他の子に入れ込んでたりするとその辺りを十分にできない。そしてできないことに自分自身が少しストレスを感じていたりする。捉われてるなー。

しかしこの話も、周りにマジで頑張ってる子がたくさんいるから生まれてる気もするので贅沢なストレスなのかもしれない。


人は配られたカードで勝負するしかない

若き日の僕の座右の銘。スヌーピー先生。とてもいい言葉。現状は何かを諦める理由にはならないって捉えてる。

一方で今は、人は配られたカードを完璧に把握することはできないし、その勝負はもっともっと裏技があるよ?って思ってる。逆に可能性を減らす言葉にもなるなーって。持ってるものは全部使えばいいんだけど、その「持っている」って思ってるものが一部の可能性に思いを馳せてるのか、と。
また、勝負ってのは、真っ向だけじゃない。仲間とのカードの交換当たり前、カードを薄っぺらな嘘で変えてもいい。そういう世界。「勝負」はもっと幅広い。一人で戦うって決めなければ、配られたカードは本当は無限。仲間がいれば無限だし、相手が「配られてるな」と思えば無限。つまり、無限で勝負できる。制限なんて最初からなかったんだってなる。

もちろんスヌーピー先生はそんなこと分かった上で、「人は配られたカードで勝負するしかないのさ、それがどういう意味であれ」って言ってるんだと思う。あと自分は人じゃないしってのも含んで。かこよ。


創作の曝け出し

創作してる人が好きなのは、みんな何かを曝けでして生み出してるから。というかそれがないものは創作じゃないって言ってもいいのかもしれない。

やわらかいものを誰かにジャッジされるところにおくなんて正気の沙汰じゃない。絶対メンタルに来る。クリエイターのみんながメンタルブレるの仕方ないと思う。自衛の方法を先に教えないと、SNS含め多くの声が良くも悪くも集まる世界、みんな潰れちゃう。

なんか心のどこかで、そういうクリエイターさんがこの世界生きてていいんだなぁみたいに思ってもらえるような言葉が書けたらいいなって思ってる気がしますね、僕自身の創作の動機みたいなところで。そのためには僕自身曝け出す必要があって、僕のメンタルはどうすればいいんだって悩みが最近生まれたんですが。相当上手くバランス取らないと僕は潰れると思いますね。むずかし。


ウケる文章

多くの人から読んでもらえる文章というものもある程度書けるようになりました。この辺りとか、それが実現できてるやつかなと。狙ったやつ狙ってないやつありますが。

前はこういう文章を軽蔑?してたけど、今はそんなことなくてバランスとして大事だなーと。自分にとって大切な文章を書いてたとして、それが誰からも評価されなかったとして、それでも続けていくために、どこかで何かの評価を手に入れるのはバランスって観点で超大事だなと。別に他の文章じゃなくてもいいけど、誰からも見向きもされないことを続けるためには、人間トータルで考えるとつながりや他者からの評価がいるのかもしれない。


好き、意義、評価、パルプンテ

ちょっと前まで「好きなことを100%できてたら幸せ」教に加入してたんですが、たぶんこれ違くて、徐々にバランス崩すなって思うようになりました。というのもこの毎朝書いてる文章ってまさに「好き100%」なんですよね。いや、もしかしたら95%くらいかもしれないけど、限りなく純度高く好きなことやれてるなぁって思います。だってこれ誰からも評価されなくてもやってますし、人によっては意味わかんなくないですか?月10万字書き続けてて、それで何も手に入れてないのって。超絶コスパ悪いし、タイパ悪い。

てか余談ですが、そういうコスパ、タイパの対極にあるのが好きなことな気がするので、好きなこと探している人はぜひ。

だとすると、ずっと幸せな気がするじゃないですか?好きなこと見つけた!そしてそれを続けられる環境がある!最強!最高!みたいな。
でもですね、なんかそれだけだとどんどん人間が薄くなっていってるの感じるんですよ。ヤバいなって思いました。多分人間ってそんなに単純じゃなくて、紛れがいっぱいいるんですよ。ごちゃっとしてるというか。純度100%なんてこの世界に本来存在しないんですよ。

自分の24時間の中で、誰かから評価されたい時もあるし、意義あることやってるなーって感じたい時もある。まさかこんなこと起こるとは!とパルプンテに驚きたい時も。そういうの全部いるんですよ。どれかだけって単純な話じゃありませんでした。最近の大きな気づき!びびった。





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