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才能を探す、今この瞬間を伝える。

僕たちは強い物語に毒されてて、自分の弱い物語を肯定できない。
ある日突然「っ!すごい才能だ!」と才能を見出され、今までの平凡な人生が変わるとか、「あなたは選ばれました」と異世界で無双するとか、そういった強い物語。でもその「強い」もあなたにとっての強さでしかなくて、本当は今あなた自身が生きてる物語こそが誰かにとっての「強い」物語かもしれない。朝起こされて「うるせぇ!」ってお母さんに言って、でも帰ってきたらワイワイ家族で唐揚げとか煮浸しとかであったかいご飯を食べて、寝る。こんなあなたにとってはつまらない日常が、一生かけても手に入らない誰かもいる。

どこまでいっても誰かの物語は自分にとって強く、自分の物語は弱い。それに気づいてる人とそうじゃない人がいるだけ。


「アクタージュ」という漫画。主人公はある日才能を見出された女性だけど、この作品でいちばん輝いてるのは、全てを持っている男の名脇役ぶり。持っているから、手に入らない。そんな葛藤とともに、その葛藤自体が誰かを輝かせるということを学んでいく。

少し引いてみると、強さは、答えなのかもしれない。これが正解だって言えると道が示せる。そうすると皆でそこに迎える。強い経営者は何か特別な能力を持っているわけではなく、皆が向かうべき未来を指し示すことができるだけ。無能力者と言ってもいいのかもしれない。だけど、誰よりも強さを発揮する。じゃあ、その「答え」を持ってない凡夫は、そしてその「答え」にどうしようもなく違和感を感じちゃう一般の人は存在価値さえないのか?
そんなことはない。その悩み、その不安、その葛藤それ自体がとてつもなく価値がある。自分にとっては辛く苦しい時間だし、意味のなさを誰よりも感じているかもしれない。だけど、誰かにとってはその存在は救いだし、誰かをとても輝かせることになるかもしれない。主人公から見た名脇役は、誰かからすれば憧れの主人公なわけだ。


「何のために生きてるんだろう?」「使命は?」「存在価値は?」真面目な人ほどそういう言葉しっかり考えてしまう。答えのようなものが見つかることもあるけど、それはまた新たな悩みによって、覆される。それの繰り返し。どこかに「正解」があるような気がして、その正解を探し求める。それは「好きなこと」かもしれないし「才能」かもしれない。もしかしたら「運命」かもしれない。わかんない。でも、今の自分の外にそれらがある気がしてしまう。今まだ手に入ってない、だから探すんだ、と。

でも、おそらくそうじゃない。その探している最中の葛藤や悩みや、諦めたくなってしまう気持ちみたいなものそれこそが今あなたが生きてる意味、いや、こういうとちょっとズレるけど、この葛藤の最中、もし無意味な時間を過ごしてると思うんだったら、それは違う。きっと違う。その時間。それを全身で悩み抜いてるその時間は、まだそこに至ってない人にはとてつもない輝きに、もうそこを通り過ぎてしまった人には眩しくて見えない何かになってる。なんかそういうこと。


学生の前で話すことが増えてきた。そこではやはり「答え」のようなものを求められる。「こうしたらうまくいく」「こうやってうまくいった」そんな話。そんなもん再現性ないに決まってる。大人の役割を考える。自分が大人だなんて全く思えないけど考える。やはり適切な悩みをくれる人なんじゃないかと。「これでいいんだ!」って強さは時にとても必要なんだけど、それ以外の時間は悩めばいい。何に悩んでるかわかんないと思うけど、悩めばいい。もっといい悩み方あるよ!みたいなのだけはアドバイスしてもいいかもしれない。


僕らは誰かの「強い物語」に憧れる。でも誰かに憧れられる物語を生きている。であれば、その物語を伝えよう。表現しよう。形は何でもいい。文章でも、友達に話すでも、音楽でも、TikTokでも、ダンスでも、なんでもいい。中身なんてなくていい。評価もされなくていい。何にも起こらなくていい。でもその瞬間、実は世界は変わる。ほんの少しかもしれないけど、変わる。あなたが変える。世界を変えてしまう。


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→『頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

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