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緑色の島風〜沖縄ライフありんくりん〜 vol.08|『おじぃとシークヮーサー 』(2022年9月号)

オキナワをもうちょっと知りたくなるマガジン「ハイサイ!ウチナータイム!」に寄稿している原稿を転載しています。最新版はコチラからご覧ください。

「くみ、庭からシークヮーサー取ってきなさい」

祖父が刺身を食べる時には決まってその指令がくだりました。
シークヮーサーをキュッと絞った醤油で食べるのを好みましたので、シークヮーサーを見るたびにいつも祖父を思い出します。

私は横浜の大学に進学するまで、ずっと祖父母と暮らしていました。
大正生まれの二人の元に居ましたから、比較的、昔ながらの食生活のもと育ったのではないかと思います。

シークヮーサーの他にはバナナ、グヮバ、シャカトウなどの果物が庭になり、冷蔵庫には島豆腐と豚肉が常備され、昆布や干し椎茸といった乾物もよく登場しました。
さらには私の記憶にはないのだけれど、二つ年上の姉曰く「ばぁちゃん(祖母)が近所の道端でフーチバー(沖縄のよもぎ)を摘んでたよね」とのこと。
思い返すと、とても豊かな生活スタイルです。
自然の恵み・健康素材がごくごく身近にあることが、沖縄の暮らしの素晴らしさだなぁとつくづく感じます。

また、祖父に連れられて市場にもよく出掛けました。
肉は栄町市場に、野菜は農連市場にといった具合でしたが、祖父はモノを買いに行くというよりも「姉さん」たちとの会話を楽しみに行っていたのではないかと思います。
(お店を守っているのは大概女性で、年下でもうんと年上でも、女性のことは「姉さん」と呼んでいました。)

「姉さん、これ、ちゃっさ?(いくら)」
「あんし、たかさん!?(そんなに高いの!?)」
「冗談さー。だー、こーゆん(冗談だよ、なら買うよ)」

こんな調子です。

軽口ばかり叩く祖父を恥ずかしいとさえ思う時期もありましたが、長寿の秘訣にはコミュニケーションの量も大いに関係があるそう。
市場にせよ近所付き合いにせよ、人との交わりの多さは沖縄が長寿県であった要素の一つであり、祖父にとっても元気の源だったのだろうと確信します。

話をシークヮーサーに戻して。
シークヮーサーの使い方を広める数々の活動を行ってきて、なかでも印象的なことはマレーシアでのクッキングデモンストレーションです。シークヮーサー果汁を使った料理を幾つか紹介しました。
沖縄を愛し琉球史・伝統文化に詳しい祖父でしたから、海を越えて沖縄の県産品を伝えに行けたことは、少しは「おじぃ孝行」になったのではないでしょうか。

9月22日は「沖縄シークヮーサーの日」です。
生の果実が多く出回る時期になりますので、見かけたらぜひ入手を。
お魚に掛けたりビールに絞ったりと、旬ならではのフレッシュな香りと酸味を楽しんでください。
ゆず胡椒ならぬシークヮーサー胡椒を作るのもいいですね。

ちなみに朝ドラのヒロインが緑色の実のシークヮーサーをかじるシーンがありますが、さすがに酸っぱすぎるのでは…??と気になっています。(笑)
かじりたい衝動に駆られても、そのあたりはご注意を。


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