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宇宙の外の外の外の、そのまた外に何かあったら、またそのまた外のこと。


引越しをこれまで何回、したか数えてみた。

与野、東大宮、三室、瀬ヶ崎、元町、北浦和、三鷹、武蔵野、下目黒、世田谷、都立大学、笠間、八王子、諏訪、蓼科、玉川、米沢、G.H.V、名古屋、霞ヶ浦

20回くらいかな。

名古屋と長野をのぞけば、みんな関東。近場をウロウロしています。

今、私が住んでいるところは5年目になるので、もう限界がきています。引っ越したい引っ越したいと、うるさいくらいにことあるごとに家のものにも言っているのできっと呆れられています。

実際、この夏の初めに我慢ができなくて海の近くの物件を何件か、見にいったりしました。

引っ越し好きのDNAというのが流れ入っているのだと思います。私は直接、父から受け継いでいると思いますが、もう1人血縁に同じようなのがいます。

「もうそろそろ、ここも飽きたなあ、なあ」

と、家族のいる前で誰にともなく言っていた父を覚えています。

その言葉にワクワクするのは私くらいで、「どうせ、全ての準備は私よ、私ひとりがするのよ」と母の内面の声を、今だったら聞き取れます。俺には関係ないと白けているのが兄。

もう、悲しいくらい普通のど真ん中のサラリーマンと専業主婦の昭和家族4人暮らしで、そんなに意味もなく飽きたからと引越しをしている一家はめずらしいと思う。

田舎に祖父の残した土地があったので、いずれ引退したらそこへ引っ越すつもりがあった父は、ずっと借家暮らしを良しとしていて同年代が次々とマイホームを建てて落ち着いているのを横目に、のらりくらりと絵の道具や、いずれ陶芸窯を作るときのためにと耐火煉瓦をどこかから譲り受けてきたりしていました。

家族を養い、引退したのちが自分の趣味に没頭できる本当の輝く人生のスタートと思っていたのかな? 

ほんのちょっとでも、田舎に建てた小さな新築の家に住めたらよかったのにね。


 * * * * *


母の介護をするために

父が1日も住むことのできなかった、この家に

5年前、引っ越してきました。


あ〜あ、

もう5年も住んでるよ。


あ〜あ、

もういい加減、引っ越したいよ。。パパ






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