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【活動録】第26回カムクワット読書会

本日は川野芽生さんの「無茶と永遠」(『すばる2024年4月号』掲載)を課題作品に、横浜相鉄ジョイナスにあるUNI COFFEE ROASTERSにて開催しました。

参加者はキャンセルが出たため、2名。1名は初参加の方でした。

お茶ではなく珈琲

「無茶と永遠」読書会

招かれざるパーティに出席する

「ティータイムの効用」と題された特集に3作品の小説が掲載されました。本作を含め、2作品がアリスモチーフでした。

本作は、トランプの4つのマークで場面や語り手を描き分けている。

♠:女学校で3名の学生が『不思議の国のアリス』を読み、「無茶会」と称するお茶会を開催する。
♡:ある女性が女学校時代のお茶会を見た経験、その後の生活等を誰かに語り聞かせる。
♧:女王が催す招待客がいないお茶会に参加する少女のお話。
♢:現代の女学生が、教師からとある少女小説作家についての話しを聞く。

このように語り分けられることで、物語の流れがつかみづらかったという声があった。しかし、一読後に振り返ると、重層的な話の構造が面白く感じられる。再読の面白さがある作品である。

舞台が女学校であり、登場人物は少女や女性である。そのため、ある種のジェンダー小説として読んでしまいそうになる。

招かれざるパーティとは、女性の社会進出のメタファーであり、その困難を乗り越えるヒントとして「許可を求めない」こと。それはマッドハッターのお茶会であり、意味のないジョークやクイズが飛び交い、「効率、勤勉、節制といった美徳が喧伝された時代」で自由である手法なのかもしれない。

それは、老若男女問わず転用できる手法ではないだろうか。学校のクラスで疎外されたとき、やりたいことができない社会でやりたいことを始めるために、ある種の無茶することは、イメージという檻から自身を開放できるのではないだろうか。

少女と女性――大人と子供

あなたは自分のことを「大人」であると思いますか。

そもそも大人とは何だろうか。年齢、立場、ふるまい。様々な基準が考えられるが、ある基準で大人とされた人は常に大人だろうか。

「子供/大人」という二項対立に問題があるのかもしれない。
この二項対立というバイアスがあると、「子供は生意気である」や「大人はつまらない」などといった言説につながる。

少女小説の主人公が大人になったことを嫌がる少女に対して、

「大人になったからといって、つまらない大人になるとは限らないでしょう?」

『すばる2024年4月号』230頁

と、女王は答えている。

物語が閉じたとき、アリスは「つまらない大人」になっただろうか。ドジソン先生の理想を押しつけられた少女は、結婚をして家族をつくった。家庭に入った女性は、つまらない大人だろうか。

物語が閉じたとしても、それを読んだ誰かにとってアリスは生きていて、翻訳を変えて、メタモルフォーゼしたアリスたちが生き残る。

「アリスが夢から覚めても、夢の中の世界は消えてしまうわけではないっていうこと?」

同書235頁

時代を超えて読み継がれる物語は、その幻影が読者たちの背後でお茶会を続けている。

読書会後――ランチと書店へ

読書会後、ジョナサンへ移動してランチ。わたしはトマトラーメンを食べたのですが、写真を撮り忘れました。美味しかったです。

その後、そごう横浜内にある紀伊國屋書店へ行きました。本屋に入ると、それぞれまわり方が異なり、時折すれ違いながら、それぞれの時間を過ごしました。

多和田葉子さんの復刊本を購入

今後の予定

文学ゼミ的な活動は、興味を持ってくださる方がいるようなので、そろそろ動かそうと思います。

来月は課題作品が決まっていないので、5月19日(日)の文学フリマ東京に行き、戦利品を発表する会にする可能性もあります(下記は昨年の散財記録)。

読書会の場合は5月25日(土)を予定しております。現状の第一候補は『文學界』新人賞作品です。

課題作品の候補

引き続き、よろしくお願いいたします。

(また、書籍の記念撮影を忘れました……)

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