ちゅんはい

ヤドリギ と ハウルの動く城 が すき

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最近の記事

もう生きる希望の光を見失い、海底へぶくぶくと沈んでいます。だから、その差し伸べてくれている手にすら負の感情を抱いてしまうのです。だからどうか、どうか。 ほんとうにごめんなさい。

    • 突然泣きたくなるとき 突然孤独に感じるとき 私は私に何もしてあげられない。 でも、それでも、正解と不正解なんてないんだよと心にそっと唱える。

      • 捻挫

        数年ぶりに、バスケやってた時以来に、 思いっきり捻挫をした。 キリキリキリって筋っぽいものが裂けたような音はしたけどバキって音はしなかったから折れてはないなって思った。 母も私もバスケ経験者だ。 なんなら、家族全員バスケ経験者。 私と母の冷静かつ迅速な応急処置でしっかり青みはあるものの、それほど腫れずに済んでいる。 普段は2階で母と猫と川の字で寝ている。 けど階段も上がれないので1人1階で寝床をつくりそこで寝ている。今日も。 1人きりで寝るっていつぶりだろ。 母と寝

        • 肌触りとぬくもり

          あなたはいつもほかほかしている。 ぬくぬくしている。 その背中をそっと撫でるとそのぬくもりと日頃から手入れを怠っていない艶やかな毛並みがフワッと手に触れる。顎の下を撫でると目を細めて顎をしゃくれさせ心地良さそうな顔で満足げに、にんまりしている。 テレビを見ながら、スマホを眺めながらなんとなく撫でれば手の中でも皮膚の弱いところをカプっと噛みついてくる。 撫でて欲しくないタイミングで必要以上にこちらから撫でるとガッッブっと小さな穴が開くほど噛みつくてくる。 おいでと声をかける

        もう生きる希望の光を見失い、海底へぶくぶくと沈んでいます。だから、その差し伸べてくれている手にすら負の感情を抱いてしまうのです。だからどうか、どうか。 ほんとうにごめんなさい。

          もう頑張れないんだってば

          私と他人を見比べて自己評価をするようになったのはいつからだろうか。 自分の気持ちを思うがままに表現、発散出来なくなったのはいつからだろうか。 私が私を悲しい想いにさせてしまったまま置き去りにしたのはいつだろうか。 私のわたしは、今どこにいるんだろう。 何もしないことは簡単であるが、 何もしないものが 何かをしなければいけないことは難しい。 何も出来ない人が何かを考えることは難しい。 何も出来ない人が何かを表現することも難しい。 だから、わたしは今、苦しい。 すごくす

          もう頑張れないんだってば

          私と猫

          2023年10月18日 私は私に刃物を向けた。 うっすらと直線に伸びた赤黒い血はそのまま手首の裏まで垂れていった。 「こんな感じなんだ。」思いえがいていた以上に痛みも悲しみも苦しみも感じることはなかった。 自室に1人でいたはずだったが、足音をたてずに、そっとその様子を遠くから見つめて何をどう思ったのかは分からないが足元にスリスリと近寄って小声で愛猫は鳴いた。 そこから私は、1人になる時間をつくり、リストカットを繰り返した。 傷口も深く大きく開いたところは血が止まらずその

          感じて考える

          親友や、家族にさえも話せないような心の中の秘密 ってみんながみんな持っているのかな。 私にはある。 それは、できるなら今すぐに苦しまない方法で死にたい。たったこのひとつ。 死にたい気持ちが私のとなりにそっとそびえ立っている。涙が突然溢れてくる日も増えてきた。 失声症になってもうすぐ半年が経つ。 いつになったら、声が出るんだろう。 最初の職場は愉快な人達に囲まれて充実した日々を送りつつもスキルアップのため3年後に円満退社。次に転職した職場では、最悪な出会いと出来事を経

          感じて考える

          今。過去。

          あの出来事は パワハラか、イジメか、何なのか。 嫌がらせでもあるようで、悪夢のようでもあった。 一生、忘れられないだろうけど あの職場でのこれまでや、沢山のいろんな感情は 一切無くなった。 無くなったというか、どうでもよくなった。 職場や、あの人や、あの人たちの存在、 今もずっと続いているあの店のあれやこれ。 全てがどうでもよくなった。 でも、これまでずっと ちゃんと苦しかったし、悔しかった。 何度、言っても、考えても おきたことは変わらないし、消えないけど、 その上で、

          えりんぎさん

          “ えりんぎ “ さん という保護猫のお話です。 約6年前、我が家の庭に現れた小さな子猫。 3つ上の姉が頭から尻尾までの模様を見て、 『 えりんぎ 』と、名付けました。 (正直なところ、初めて聞いた時は   『おっ、マジか。』と心の中で呟きましたが。) すくすくと育ちながらも、一緒に産まれたであろう他の子猫たちと比べると、ダントツの臆病者で、いつも母猫にくっついてまわっていました。 ミルクの時も、カリカリごはんを食べられるようになってからも、みんなとの場所取り合戦に負けて

          えりんぎさん

          人間もどき

          よく「人のせいにしてはいけない。」と言うけれど、例外もある。 と、私は声を大にして言います。 この感情、この症状、この涙。 そして苦しすぎる毎日。 あの存在はもう人間とは言い難い。 そういえば昔、友人が言っていた。 「この世界には人間の形をした “人間もどき” がいて、人間もどきは人間ではないから、人間にはあるはずの心が無いんのよ。」 あぁ、そうか。あれが友人の言っていた人間もどきだったのかと、。いまになって確信した。 あれは人間もどき。人間ではない。 じゃあ、私は

          昔と今を繰り返して。

          私はマイナスな事があると、 きまってこう自分に言い聞かせる。 『1年後の今になったら、1年前の今に何が起きて、喜んでいたのか。または苦しんでいたのか。そして悲しんでいたのか、大抵の事を私の脳は憶えていない。 これは、時が経てば経つほど曖昧に不確かになっていく。だから、今、気にしすぎる事もないし落ち込み続ける必要もないんだよ。』 この言葉を何度か心に唱えると、 大抵の事はやりすごせます。 そして昔はこの言葉に加えて、もう1つ。 ストレスと呼ばれるモノがつのると、好きな曲を

          昔と今を繰り返して。

          母「今日は誰と遊んだの〜?」 私「粘土!」

          幼い頃、人気のある遊具で遊ぶためには順番待ちの列に並ぶ必要があった。 そんな中、並ぶ子の背中をドンッと押し、我先にとその遊具の楽しみを味わいたいと行動をとる子どもを見かける事も少なくない。俗に言う、割り込みだ。 大人の先生は、その子に注意をする。みんなが並んでいるのだから、きちんと並びなさい。と。幼い頃に学ぶことはかなり多い。 大人の世界にも、順番を守ることを知らない人がいるほどなのだから。 砂遊びにスコップとバケツを使おう。それぞれ1つずつあるが、砂遊びを3人でするとなっ

          母「今日は誰と遊んだの〜?」 私「粘土!」

          言葉と献身を振り翳す私へ。

          まず、言葉の熱量や重み。タイミング。 そして、脳内のフェアリー達がせっせと言葉を取捨選択し、選りすぐりの言葉で究極の優しさを表現し、見えない思いやりで仕上げた言葉の集大成を、慎重に、 そして大切に私の心と表情を用いて相手に伝える。 それはきっと今までのたくさんの経験からだ。 しかし伝える対象全てが、これまでの過程に共感を持ってくれるのだろうか。結論からするとほとんどの対象にはこの言葉は響かず、共感も得られない。ちょっぴり残酷な事実だ。残酷だなんて言われても、この一連は全て

          言葉と献身を振り翳す私へ。

          色のない世界で

          人には色んな性格とタイプがあって 当然気の合う人も合わない人もいるわけで みんな違ってみんないいというけれど 自分と違ったタイプの人間を全否定し 人格や存在全てを否定する人すらも 果たしていい人と呼べるのだろうか。  そして全否定されてしまった私は これからどのようにして 生きていけばよいのだろう。 あの日から、見える景色には色がなく、 大きな不安がずっと隣に張り付いて 消えてしまいたい気持ちが何度も込み上げてくる。 あなたが送りつけてきた言葉や、あの表情、態度を 私は、

          色のない世界で

          あかるいよるに

          2021.09.28 久しぶりの風は秋そのもので空はさわやかな黒に深いグレーを散らした色。星が広く強く光り、月は大きく美しい夜。 「好きなことなに?」  「・・・・。」 「え、じゃあ趣味は?」 「んー、趣味・・・」 「趣味も好きなこともないの?」 「そういう訳ではないですけど、」 「・・・・。」 「・・・・・、すみません。」 「いや、なんで謝るの……?」 「なんとなく……」 「俺、自分のこと好きなんだけどさ、自分を好きなことって意外と大切なんだよね。」

          あかるいよるに

          ばっちゃん

          今日はわたしの大好きなおばあちゃんのお話しをしたいと思います。 いつも「ばっちゃん」と呼んでいるのでここでもばっちゃんと書かせていただきます☺︎ ばっちゃんはとても可愛くて優しくて、そして料理が上手です。ばっちゃんが作るご飯はいつも美味しくて、台所に立ち、料理を作っている小さなばっちゃんの後ろ姿とそこから軽やかに聞こえてくる調理音はわたしのココロを穏やかにしてくれます。絶対的に母の味付けはばっちゃん譲りなので、娘であり孫である私も引き継ぎたいという一心でいつもお腹いっぱい頬

          ばっちゃん