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「ごめんね」よりも「ありがとう」を言うようになった父


だいぶあたたかくなりましたね。
むしろ、暑いですね。

こんな暑い中、父はセーターを着ていました。
温度調整が難しく、夏にセーター、冬に薄着もあります。こちらが促さないとなかなかちょうど良い服装ができません。父は全く気にしていないのです。暑くないし、寒くもないようです。

我が家から車で10分程の家に住む父。
福岡に住んでいる時に比べると、比べ物にならない距離。

でも、すぐ会えるからこその悩みもあります。
生活が見えるので、その分やることも増える。
有り難い悩みに聞こえるかもしれないし、実際そうかもしれない。
遠距離介護の大変さも経験したので、どちらも悩みも分かります。介護は悩みがつきませんね。

介護が始まった頃のわたし。

約2年前のある日。急にやってきた介護生活。
介護が始まった頃は、身体も気持ちも休む暇がなかったです。
ある日の出来事。子どもの書類を記入していた時に、子どもの生年月日の記入欄に、父の生年月日を書いていて自分でも驚きました。
その時に「私、結構いっぱいいっぱいになっているかも…」と感じました。
引越の手続き、介護サービスを受ける手続き、いくつかの事業所の見学、病院の受診、スーパーへの買い出し、日用品の補充、父の家の掃除、電話対応、父を髪切りに連れていく、、、これはほんの一部分に過ぎずタスクでいうと何百個あるだろうか。そして無給。(ここが介護する上で大変な部分でもあると思います)
ほぼ1日がつぶれても、手続きは終わらない日々。そして子どもたちや夫と過ごす時間は少なくなる。夫も子どもも急に変わった生活の中頑張ってくれているのに、大好きな家族にイライラをぶつけてしまう毎日。

そんな生活の中、私が自宅に帰る時に父は「ごめんね」とよく言っていました。
1日慌ただしく手続きをして、帰り際にごめんねと言われる気持ち。
ごめんねと言わせてしまう罪悪感と共になんだかどっと疲れたし、ありがとうってお礼も言わないんだってイラっとしたのも事実。
帰りの車で私は号泣しながら運転したこともしばしば。涙が止まらなかったです。私にも全く余裕がなくなっていました。介護鬱のようなものもあったと思います。

介護サービスが加わり、私もだいぶ楽になりました。
「子育ても介護も家族だけではしてはいけない」と私は思います。
家族ではない第三者の方が入るといい空気になっていくと思います。

約2年経ち、最近は「ありがとう」と帰り際に言ってくれるようになりました。それは何でだろうと考えると、子どもたちがきっかけでした。

皆さんに質問です。
「ありがとう」の感謝の気持ちはあるけど、言葉で伝えるときは「ごめんね」と言うことありませんか?子どもはそれがないのです。

ごめんねの気持ちは「ごめんね」
ありがとうの気持ちは「ありがとう」
と言おうと思ったのです。


そして、改めて自分を見つめていると、言っている、言っている、「ごめんね」を。そう気付き、父にもありがとうを伝えるようにしていきました。

すると、不思議と父からも「ありがとう」が増えました。
言葉って結構人間を操ると思います。
言葉を大切にしようと思う日々です。
そう気付かせてくれた子どもたちにありがとうです。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。
介護福祉の職員の方々いつもありがとうございます。
素敵な週末を♪




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