雲子35歳、焼け野原に降り立つ
35歳になる年の鳩の日に、私は前夫と離婚をしました。
離婚をしようと決めてから、時間にするとわずか2ヶ月足らず。婚姻届を出しに行ったその日と同じように、区役所まで歩いて一緒に離婚届を提出しに行き、その足で近くのスパ施設に直行。夕方の露天風呂に生暖かい風が吹いてなんだかセンチメンタルな気分になりつつ、階下の食堂ですっぴんでビールを飲んで2人でお疲れ様、みたいな緊張感のない別れの儀式をしました。
ただひとつ目の前の「幸せにしてあげられなくてごめんなさい」と号泣する男を肴にしていたことを除いては。
16年目の訣別
この元夫とはその後約1年半完全なるルームシェア状態で暮らしているため、完全なお別れはその後のこととなるのですが、18歳の時から通算で16年以上もの間一緒にいたこととなります。
今思えばままごとの延長線のような生活だったのかもしれません。大きな喧嘩や決定的な摩擦こそないけれども(これが幸か不幸か別れられない理由でもあったのだけど)手応えも成長もない、心踊らない生活から逃げ出すことをいつの日か夢見るようになっていました。
実は20代後半で一度別れるチャンスが到来したのですが、時を同じくして彼が失業していたため、「今彼を棄てるのはさすがに鬼、相手が上向きの時に別れた方がよい」という姉の助言を受け、見送りました。そこで辛抱した結果、状況があれこれと変わり、家族との別れで悲しみのどん底にいた私は結婚という決断をしてしまいました。
当時はしないで別れれば後悔するかもしれない、と思っていたのですが、目をつぶっていた懸念事項はしっかりと影響し、結果として自分を苦しめることになるのでした。臭いものに蓋をしてはいけませんね。
しかし、またこの結婚&離婚がなければ、おそらくは今そばに居てくれる愛する家族がいない。通る道だった、そう思うことで今思い出しても荒ぶる呼吸を落ち着かせています。
つわものどもが夢の跡
さて、これまで長い間恋愛相手や新規の出会いを求めることなく過ごしてきてしまったため、自分がぽつんと放り投げられた状況を整理するのに少しばかり時間と感覚の取り戻しの必要がありました。
すでに好条件のいわゆる「いい男」たちはすでにその多くが、学生時代に鑑識眼の鋭いスカウト女性陣に早々に青田刈りにあっており、子供をもうけ、マイホームを購入し、週末は家族行事やDIYに精を出していました。どんな覚悟を以ってしても、ここにはとても突っ込んでは行けない…
婚活市場はどうやら、そういった男性陣は軒並み姿を消した、戦後の焼け野原の様相を呈していました。方やこちらは35歳を超えたバツイチ女性。当時流行りの東京タラレバ娘を読んでも、20代で売り方を知らなかった独女にはもう起死回生のチャンスなどありそうにありませんでした。では、仕方ない仕事に精を出そうか…
しょっぱ過ぎる界隈に通い始める
そんな中、私がとあるきっかけで通い始めた店は、基本的には女性を嫌っている人達が多く集まる界隈だったわけですが、女は飲み屋のルールを守って、きちんとボトルやたまにはシャンパンを入れて、店子(みせこ:店員)さんや他のお客様に気を遣えば居させてもらえないこともない場所だったわけです。
当然恋愛の出会いなどなく、しかもわざわざそんなしょっぱいサービスの店に給料をはたいて何が悲しくて通うことになっていたのか…。正直私もトチ狂っていたとしか思えませんでした。
ただし、私が付き合っていた彼らと一度仲良くなると、たとえば寝起きに「あぁ週末か…天気いいな何しよう…」と体を伸ばしながら寝室のベランダから外を見やると「くーもーこちゃん、あーそーぼー」と雁首そろえて既に私をもう待ってる感じなんです。思考する暇を与えない…。
ハートが乙女でも体力や財力はオスなので、遊びの誘いが絶えない上に平気で夜中の38時(つまり翌日の午後2時)とかまで飲んで、また夜から都心を横断して飲み屋はしごしたりして、彼らがバイトで店子をやってる日などはまたその日も呼ばれて焼酎を浴びるほど飲んで… そんなお祭りを年中やってるんです。付き合いのあるママや店子さんの誕生日や店の周年、そのたびに不幸で笑えるおコゲ枠で呼び出される始末…。
大丈夫なのかバツイチ独身35歳の雲子。
しかしそんな苦行の中、ここでの愛についての学びは沢山あったわけです。
長くなりそうなのでまた続きはゆっくりと次回に。
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