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徒然雲 導かれ、仏をなぞる

5月も後半になり、あれよあれよと2024年も過ぎてゆく。

少し前のおはなし。

時はゴールデンウィーク明けの世間が平常に動き出した日、
noteの友、奈良好きつきふねさんとの半年ぶりの再会@奈良。

今回はどんなご予定?といったやり取りで

つ「當麻寺で写仏を一緒にやりませんか?」
雲「やりまーす!」

たいがいものごとをあまり深く考えません・・・
誘われたら乗るタイプ。

しかし・・・そういえばnote写仏部のお誘いには乗らなかったな〜
うまく説明できないが、写仏、写経へはちょっと特別な思いがありますのでね。

ただ、写仏をやらない、というわけではないのです。

ということでシナノからお越しのつきふねさんと、橿原神宮前の駅で待ち合わせて
近鉄南大阪線にて當麻寺駅へ。

駅で見覚えのある黒いバックパック。
華奢な背中のほとんどを覆っているような・・・・笑

「お久しぶり〜!」

のどかなローカル線に揺られながらおしゃべりしてると當麻駅。



當麻寺でまずは本堂、金堂、講堂を見学。

何度来ても大らかに迎え入れてくれる印象が強いお寺。






最近凝っている・・・
灯籠覗き
こちら、日本最古の石灯籠



當麻寺の四天王像に我々の仏像談議に花が咲く。

「かっこいいね〜」
「衣がちょっとかわってるね〜」
「異国の雰囲気がしますね〜」



そして本題の写仏へ。

當麻寺塔頭 中之坊


中の坊



ここで長いですが、中将姫と當麻寺のお話を記録しておきます。


中将姫さまと當麻寺曼荼羅


當麻寺はもともと弥勒仏さまの寺として創建されたのですが、いつからか當麻曼荼羅の寺として親しまれています。この當麻曼荼羅は奈良時代に成立したもので、その謂われとして藤原家の郎女・中将姫(ちゅうじょうひめ)さまの尊い物語が伝わっています。
中将姫さまは、天平19年(747)藤原豊成の娘として奈良の都にお生まれになりました。観音さまに祈願して授かった子で、姫さま自身も観音さまを篤く信仰されました。4才の時には『称讃浄土経』と出会い、幼少の頃からこの経典を諳んじていたといわれています。
しかし、5才の時に母を亡くし、豊成が後妻を迎えるようになると、その継母に妬まれるようになり、次第に命さえ狙われるまでになります。周囲の助けで命を長らえながらも、あえて継母を恨むことなく、14才の時、雲雀山へ逃れ、読経三昧の隠棲生活を送られました。
その時の姫さまの境地を伝えたものとして『中将姫山居語』というものが残されています。これは「男女の境界もないので愛欲の煩いもない」からはじまり、「山の中で灯をともす油もないが、自分の心の月を輝かせばよい」など、心のありようを説いた姫さまの尊い言葉がつづられており、中之坊霊宝館に収蔵されています。
隠棲生活から晴れて都に戻った姫さまは、『称讃浄土経』の写経をはじめられました。毎日欠くことなく筆を採り、経典を書き写し続け、1000巻の写経を成し遂げられた16才のある日、太陽の沈みゆく西の空に神々しい光景を見たのでした。夕陽の中に阿弥陀仏が浮かび上がり、夕空一面に極楽浄土の光景が広がったのです。
その光景に心を奪われた姫さまは、あの夕陽の中に見たほとけさまにお仕えしたいという一念で都を離れられます。観音さまを念じながら姫さまはひたすら歩かれました。そして、観音さまに手を引かれるようにたどり着いたのが、夕陽を象徴する山・二上山の麓だったのです。 そこに當麻寺がありました。
当時の當麻寺は男僧の修行道場であり、女人禁制でした。入山が許されなかった姫さまは、門前にある石の上で一心に読経を続けられます。数日後、不思議にもその石には読経の功徳で姫さまの足跡が刻まれました。その奇跡に心を打たれた当時の當麻寺別当(住職)実雅和尚は、女人禁制を解いて姫さまを迎え入れたのでした。この時の霊石は「中将姫誓いの石」として、現在、中将姫剃髪堂の横に移されています。
翌年、中院の小堂(現・中将姫剃髪堂)で、剃髪の儀が執り行われました。天平宝字7年(763)6月15日のことです。姫さまは法如という名を授かり尼僧となられました。
翌16日、法如さまは前日剃り落とした髪を糸にして、阿弥陀さま、観音さま、勢至さまの梵字を刺繍します。そして、あの日夕陽の中に見た阿弥陀仏の姿、夕空に広がった浄土の姿を今一度拝ませて欲しいと一心に願われました。
その想いにみほとけがお応えになります。翌17日、一人の老尼が現れ「蓮の茎を集めよ」とお告げになりました。その言葉にしたがい、父・豊成公の協力を得て大和のほか河内や近江からも蓮の茎を取り寄せたところ、数日で百駄ほどの蓮茎が集まりました。そして、再び現れた老尼とともに、蓮茎より糸を取り出し、その糸を井戸で清めると、不思議にも五色に染め上がったといいます。
22日の黄昏時、ひとりの若い女性が現れ、五色に染まった糸を確認すると、法如さまを連れて千手堂の中へ入ったのでした。
三時(みとき)の時間が過ぎた翌23日。
法如さまの目の前には五色の巨大な織物ができあがっていました。そこには、法如さまがあの日の夕空に見た輝かしい浄土が表されていたのです。
これが国宝・綴織當麻曼荼羅です。
織物の中央には阿弥陀仏。その左右に観音さまと勢至さま。さらにさまざまな聖衆が集っていました。周囲には、『観無量寿経』に説かれているお釈迦さまの教えも描かれています。
多くの聖衆や鳥たちまでもがお互いに慈しみ合って調和の世界を築いている、
すなわち「マンダラ(mandala)」世界。
阿弥陀仏と観音さまが、それぞれ老尼と織女に姿をかえて起こした奇跡。
法如さまの願ったものがそこにありました。
曼荼羅の輝きに心を救われた法如さまは、人々にその教えを説き続けます。 そして12年後、29才の春、不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたということですが、曼荼羅の教えはその後も生き続け、人々の拠り所となっていきます。鎌倉時代以降には転写本も次々と作られて、代々受け継がれていきました。
また、法如さまの信仰された観音さまは、平安時代に木彫に刻まれ、こちらも多くの人々の支えとなりました。今でも、中将姫さまの守り本尊「導き観音」さまとして、広く信仰を集めているのです。

當麻寺HPより 



実際どうやって織り上げたのか、とても興味があります。
あの規模の織物をどんな織機で・・・


そんな中将姫さま縁の場所で写仏や写経体験ができるとのこと。

受付すると建物の奥へ奥へと案内され、途中で写仏する仏様を選ばせていただく。




奥の奥の広々とした写仏道場で二人のみ。


お線香の薫りと静寂と時折カエルの鳴き声が聞こえる中で
ひたすら仏様の線を追うということに集中できました。



ワタシが写させて頂いたのは、勢至菩薩さま

あまり深く考えず選びました。


お手本の画
勢至菩薩さま
中将姫の曼荼羅から作成された原画



出来上がりは、線はガタガタ、しかもなぞっているのにはみ出ている・・・
惨憺たるもの。

描かれている線の上をなぞったり、写経でもなぞりの用紙は苦手です。
なぜか線を外れたくなる・・・

これは性格ですかね?
敷かれたライン、道をあえて外れる・・・人生そのもの笑

そして心の乱れ?!

全てが線に出てましたわ。


スピードだけはあります、せっかちなんでね。



最後に額の白毫を書き入れ筆を置いてお隣を見ると、静かに真剣に集中する方。

すると

つ「ちゃんと写仏をしている証拠写真を撮ってください」

ということで写仏部の皆さまに証拠写真をパチリ。
そちらは彼女の記事の方で。

こちらではシルエットのつきふねさん。



集中





そしてそ〜っと席を離れ、お庭に向かって置いてある机と椅子に移動し
ぼけーっとお庭を眺めたり、天井絵を眺めたりしてお待ちしました。



花の時期はもう終わっていました






つ「終わりました〜」という声に、覗きに行くと

とてもとてもキレイに描かれた仏さま(導き観音さま)でした。

やはり性格が出ます。笑


しばらく道場でのんびりしていると


向こうの方で・・・・足が・・・


えっ?
つーさん、力尽きた?



いえ、こんな天井眺めていたのでした〜





そう、とても多彩な天井絵でひとつひとつ見ていると面白いものでした。


ちょっと若冲っぽい?





さて、そろそろ出ますかと、筆を洗い片付けをして迷路のような廊下を戻る。











お庭を散策。









ご本尊
導き観音さま
丸顔のとても愛らしい表情





東塔



若葉がイキイキと生い茂る。





ツルピカ



ニューシダ
















卯の花?





お庭を歩き、今回の當麻寺詣では終了。

初めて体験する写仏。
写経とは全く違い、筆で線を描くというのがとても難しいことがわかりました。
これまた奥が深そうです。

今は字に夢中なので、その修行をしっかりしたいと思いました。

今回も貴重な体験をご一緒させていただき、つきふねさんには感謝!




奈良をこよなく愛するシナノの方とヤマトの青葉の道を歩いた。






おまけ

當麻寺から少し北に行ったところにある石光寺中将姫の染の井がある。

昨年の秋に訪れていたが、記事はお蔵入り・・・


姫が蓮糸を染めたといわれる染の井





ならまちにある中将姫誕生の地

ここから葛城の里へ





二上の山に沈む夕日





奈良に導かれた不思議なご縁は、五色の蓮の糸のごとく繋がり広がる・・・




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