古道をあるく 瑠璃の道【北山辺の道】弘仁寺〜正暦寺
やっと月曜日が晴れる気配。
あるく道は決めていました。
道というより、訪れる場所。
道は北山辺の道、訪れる場所は弘仁寺と正暦寺。
以前の新薬師寺〜円照寺まで北山辺の道歩きの続きではあるのですが
今度は南から北へ向かいます。
スタートは天理駅から。
近鉄平端駅で乗り換え、終点天理駅下車。
いつものアーケードを通り抜ける。
賑わっているのかいないのかよくわからないが、高齢化が著しいのは確か。
石上神宮の手前まで上がって、そこから北へまず弘仁寺を目指す。
ちょっと道が不安だったので、今日はてくてくマップ片手に歩きます。
しばらく車道と並行。
名阪道の下をくぐり抜け、全然標識が出てこず合っているのか少々不安になっていると
右手に白川ダムが登場。
どうやら合っていた。
地図から道を見失ったようで、でもそろそろ山に向かった方がいいと判断。
大きめの道を東の山へ向かうと、標識が現れほっとした。
そして見えた光景に・・・
なんともいえないザワザワする感覚。
想像していたお寺のイメージとはかけ離れていた。
これは・・・
なんでしょう、この廃墟感、退廃的な佇まい。
弘仁寺
山号 虚空蔵山
創建 伝弘仁6年(815年)
開山 伝空海 (小野 篁 創建の説もあり)
開基 伝嵯峨天皇勅願
中興 宗全(寛永6年)によって再建
大同2年(807)にこの地に明星が隕ちたことから空海が神聖な土地としてこの地に寺を建立したとも伝えられる。
空海が自ら彫った虚空蔵菩薩像を本尊として安置してたという。
虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩」
明けの明星(金星)とは虚空蔵菩薩の化身・象徴とされる。
なるほど、空海と繋がるのがよくわかる。
もう一つの創建の物語は、嵯峨天皇の夢に老人があらわれて
「奈良の南に霊山がある。もろもろの仏があらわれて、お経の声がたえない。ここに寺をたてて、衆生を利益されたい。」
夢から目覚めた嵯峨天皇がその地を 探されたところ、現在の虚空蔵山にあたる場所がわかり、お喜びになった嵯峨天皇が建立された(815年創建)というもの。
ザワザワ感とモヤモヤを残したまま、今回はとりあえずこれにて次へ。
弘仁寺、不思議な不思議なお寺だった。
人を受け入れるような入れないような、仏様がいるようないないような。
あのお方の面影も姿も見受けられず、でも残る名(虚空蔵)にやはり繋がりを想像させられる。
とにかく文献資料があまりにも乏しく謎が多い、ミステリアスなお寺。
次は山辺の道から外れ、山へ上がっていく。
棚田の横を登っていく。
空気がひんやりと澄んできてるのを感じながら、緩やかな坂を進む。
そして入山
菩提仙川に沿って新緑のアーチが続く。
そう、これが(新緑の山)見たっかのが一つの参詣理由でもあります。
こちらのお寺、紅葉が見事なことでも有名なのです。
・・・ということは、青もみじが見事ということ!
ワタシは紅葉の名所にて青もみじを愛でる趣味あり。
景色は後ほどまたゆっくりと。
お寺参拝。
正暦寺
山号 菩提山
宗派 菩提山真言宗 (古義真言宗)
創建 正暦3年(992年)
開山 兼俊僧正
開基 一条天皇
正暦寺、青紅葉の景色以上に興味があったのが
こちらも大和五大山のひとつであること。
以前の北山辺の道で知った地名。
鹿野園・誓多林・大慈山・忍辱山
そして菩提山
東大寺盧舎那仏開眼供養の導師を努めた、インドのバラモン僧正菩提僊那によって
釈迦に由来する聖なる地の名を付けた場所。
それぞれの聖地に寺院が建立されたが、
以前訪れた忍辱山円成寺とこの正暦寺が現在残るのみ。
その他は地名だけが残る。
ガンジス川上流にある聖地リシケシに似ているということから、
菩提山(悟りの山)となったという。
その菩提山に一条天皇の勅願寺として建立された正暦寺は創建当初は100坊近い子院が立つ大寺院であった。
そして多くの奈良の寺院でよく見聞きするような衰退(戦禍や廃仏毀釈)を経て、再建され現在に至っている。
数多くあった子院のうち、現在残る福寿院を見学することができる。
貸切状態で音声説明に耳を傾けながら、正面の孔雀明王像やお庭に目を動かした。
先日の空海展で観た、高野山の快慶作の孔雀明王も素晴らしかった。
正暦寺の孔雀明王像も優美な姿で艶やかでした。
ご本尊は薬師如来。
秘仏なので、公開時期が限られています。
写真で見る限り、とてもシンプルなお姿。
音声説明の後、お寺の方が色々ご案内してくださった。
その中で印象的だったのが、薬師如来と瑠璃のお話。
今一度復習で調べてみると・・・
薬師如来は「東方浄瑠璃教主薬師瑠璃光如来」
直訳すれば「東の方向へ、十劫(ガンジス川の砂の数の十倍)というたくさんの
仏国土を通り過ぎたところに浄瑠璃という世界があり、そこの教主が薬師如来である」
薬師如来は瑠璃であり、ゆえに浄瑠璃世界、瑠璃光如来と表現されているのです。
瑠璃とはサンスクリット語の ヴァイドゥーリヤの音写で青いサファイヤのことである。 薬師如来の浄土はこれらの宝石に荘厳(しょうごん)されているといい、瑠璃光世界とも言う。
その瑠璃色は神聖なもので、この青紅葉(碧)と薬師如来に繋がってくる。
お寺の方曰く、真っ赤な紅葉も美しいが、この今の色が正しい?!本来現したい色の景色とのこと。
瑠璃色の仏像といえば・・・
そう、金峯山寺の蔵王権現さま達がワタシには最強の仏像!
あの青色はまさに瑠璃を染料にしたと、何かの文献でみました。
当時、金よりも高価であった瑠璃(ラピズラルリ)をあの巨大な御三方にふんだんに使ったというのは、相当な力と財力が動いたと想像できます。
そんなことを思い出しながら瑠璃の話が色々繋がった。
薬師如来について説かれた経典が「薬師経」。
玄奘さんが持ち帰った経典の中にある『薬師瑠璃光如来本願功徳経』
一度観てみたい。
そう、正暦寺で忘れてならないのがお酒の話!
境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、菩提泉という銘柄の清酒が日本で初めて醸造されたという伝承があるのです。
奈良県菩提酛 による清酒製造研究会」に所属する奈良県内7つの蔵元がその酒母を持ち帰り醸造した清酒を正暦寺福寿院にて販売している。
説明をお聞きして・・・そりゃ欲しくなるでしょう〜
一本購入!
最後まで一人で福寿院での時間を堪能することができた。
開け放たれた開口部から、爽やかな風が吹き抜け
菩提仙川のせせらぎと鳥の囀りが聞こえてくる、心地よい一時だった。
何時間でも黄昏ることができそうでしたが・・・そろそろ山をおります。
青葉のトンネルをご一緒に!
もと来た道をどんどん下る。
ひんやりしていた空気から、体感温度は上昇。
先程の標識まで戻り、そこからも西へ西へと線路へ向かう。
山辺の道、駅への距離がとにかく遠い。
今回もJR万葉まほろば線の帯解駅から帰ります。
いや〜今回は(も)かなり歩きました。20キロ近いのでは・・・
特にアスファルト道ばかりだったのもあるのか、疲労困憊。
久々に足もお尻も痛い痛い〜
しかし、歩いて辿り着いた場所は美しく清々しい空気がたっぷりでした。
車でピュ〜っと行ってしまうのももちろんありです。
でもそこまでの距離や景色とともに、空気や音や匂いの変化を感じ、
植物、動物、昆虫の姿を観ながら歩くことが、道を歩く醍醐味と思っている。
歩けることに感謝。
今日もいい古道あるきでした。
これで山辺の道、北と南を完歩。
長い長い記事、お付き合いいただき、ありがとうございました!
今日のお土産
おまけ
瑠璃色の青葉が重なる、大和の歴史と聖地を歩いた
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