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百物語10「妖刀」

出版社で働いていた時のことだ。

家電メーカーH社の子会社(システムエンジニア企業)が僕の顧客のひとつだった。そこの取材対応してくれていたのがF課長だった。彼は刀剣マニアで、たくさんの古刀を所有していた。実際に見たわけではない。彼自身と彼の部下たちから聞いた。

彼が所有している刀剣には値打ちがあるものも多く、「資産として集めてるんです」と言っていたのを記憶している。なかでも特に鎌倉時代の古刀のことを自慢していた。

「無銘だけど相当な価値があるんですよ。持ち主は鎌倉末期の五郎入道正宗って言っていました」

調べたら、五郎入道正宗の刀は、国宝級のようだ。五郎入道正宗は、鎌倉末期に相州(今の神奈川県)で活躍した刀工で、蒲生氏郷が所有していた刀は「会津正宗」と呼ばれて、代々徳川将軍に渡って、明治になってから有栖川宮家を経て明治天皇に献上された。

F課長が所有していたのは、その相州五郎入道正宗によって作られた1本のようだった。

それからF課長には毎月のように会っていたが、あるとき突然、F課長ではなく、彼の部下のKさんが取材担当になった。

Kさんに「課長はどうしたんですか?」と聞くと、言いにくそうにしながら「病気になったんですよ」と言う。
「え、それは大変ですね。お忙しいから無理をされたんでしょう」
「僕も詳しくは知らないんですがね、入院して今日で3週間くらいになるかな…」
「そうですか…。課長が復帰したら、また皆で飲みましょうね」
プライベートなことだし、会社としても社員の病気は禁句であろうから何の病気かは聞かなかったが、何だかF課長は重い病気のような感じがした。

その後、しばらくしてKさんからF課長が亡くなったことを聞いた。

「もしかしたら、刀の祟りかもしれない」そう感じた。

古いものには、それなりの歴史がある。血の歴史というのもある。ましてや日本刀である。F課長の所有刀は鎌倉時代の古刀であるから、もしかしたら鎌倉から室町、安土桃山、江戸といくつもの時代を経てきた刀だ。何人もの人を斬った代物かもしれない。

“村正”という刀がある。妖刀とも言われる。
妖刀の謂われは、村正が、徳川家に災いをもたらした刀だったからだ。

徳川家康の祖父・松平清康は、家臣に殺害され、家康の父・広忠も家臣に刀で傷つけられた、どちらも使われた刀は村正だったそうだ。さらに家康の命によって切腹させられた息子・信康を介錯した時の介錯人の刀も村正だったそうで、家康本人も村正で負傷したと言われる。村正は徳川家にとっては4代に渡って仇なす刀だったのだ。

僕は、作り話のような気がするし、本当の話であったとしても単なる偶然だろうし、そもそもが妖刀と言われるほどに大した逸話でもない気がする。しかし、幕末の倒幕派の単純な志士たちは、好んで“徳川に仇なす刀”の村正を腰に差したと言う。これもバカな話で、当時は飛び道具の時代だから、村正も銃には敵うはずがない。

村正の話はともかくとして、人が人を呪うとか祟るとかならわかるが、人を斬った刀が、斬った人間を呪うとか祟るとかいうのはお門違いだと思う。しかし、何度も人を斬った刀は物の怪(妖怪)となって、人に災いをもたらしたのかもしれない。F課長も、何振りもの刀を集めていたから、その中の一振りか何振りかがF課長に仇なした妖怪だったのかもしれない。

F課長の刀たちは彼の死後、刀屋に売り払われただろう。そして、今もその刀を買った人間たちを不幸にしているのかもしれない。

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