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災害の多様性「死刑と冤罪」

また、まとまりのない記事で申し訳ありません。

2022年11月9日に行なわれた内輪の会場で、法務大臣に就任したばかりの葉梨法務大臣が、「法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけ…という地味な役職だ」と話したことが問題となり、更迭されるという騒動が起きました。

テレビのニュース番組のなかには「法務大臣に就任したばかりで、内輪の席でウケを狙って出た言葉。気の毒な気もする」という意見もありましたが、はたしてそうでしょうか?

日本の場合の死刑は絞首刑です。今さらですが、絞首刑は首に輪状にしたロープを通したあとに、絞首台の床が抜けて死刑囚を空中に吊して縊死させることです。その日の担当刑務官が死刑囚を縊死させるボタンを押すのです。縊死させる相手が死刑囚であったとしても、人間が人間を殺すのですから、常人としては大変な行為です。

「吉村昭 休暇」

吉村昭さんの小説に「休暇」という短編があります。主人公は子連れの女性と結婚します。新婚旅行の1週間の休みと引き換えに死刑執行時の死刑囚の支え役に手を挙げます。

日本では死刑執行官としての任命はないそうで、執行日が決まれば、死刑執行官を任命するようです。死刑囚の支え役も同じです。支え役というのは、死刑囚が立つ床が抜けて絞首台から吊された際に苦悶で暴れる死刑囚を抑えつける役割を担います。

「休暇」の主人公は、支え役を行なった死刑執行直後に新婚旅行に出かけますが、楽しいはずの旅行時に死刑囚のことを思い出します。執行時、間もないことですから無理もありません。死刑囚の身体を支える際の死刑囚の苦悶や体温を身体で感じるのですから精神的な負担は相当なものであろうと思われます。

死刑というのは、執行される方はもちろん、執行する方にも様々な苦悶を負わされるのです。それほどに重いものなのです。

「休暇」は、映画化もされています。執行官を小林薫さん、死刑囚を西島秀俊さんが演じております。

「マリア・モガッダム 白い牛のバラッド」

2017年から2018年にかけて、安倍晋三内閣時代の上川陽子法務大臣によってオウム真理教事件の麻原彰晃死刑囚らを含む15人の死刑が執行されています。ちなみに上川陽子法務大臣は、2007年に発生した闇サイト殺人事件犯を、2015年の法務大臣時に死刑執行命令を出しているので、計16名が彼女によって死刑が執行されています。特にオウム真理教犯たちの大量執行には驚きました。

僕がSNSで「一度に執行する裏には何かあるのではないか?」と書くと「大罪を犯した報いだ」という反応が多かったのを記憶しています。人を殺した者は殺されて当たり前という考えが一般的なのでしょうね。それにしてもオウム真理教死刑囚全員の執行です。僕は大量虐殺の印象しかありませんでした。

さて、法務大臣というのは「簡単に死刑執行の指令書にはんこを押す」だけなのでしょうか? そうではありません。死刑囚の中には『冤罪』という可能性もあるからです。

過去には死刑が求刑された「袴田事件」「財田川事件」など数え切れないほどの冤罪事件が起きています。冤罪の人間の死刑執行したとなれば精神的な負担は想像できません。

ですから死刑を軽んじた発言をする法務大臣は糾弾されて当然なのです。

1992年に福岡県の飯塚市で起こった「飯塚事件」では、容疑者が逮捕されて死刑判決を受けました。しかし、証拠に不十分な点があり、上訴していましたが、ある日突然として2008年10月28日に死刑が執行されてしまいました。死刑が確定してから僅かに2年という異例の早さでした。ちなみに、その時の総理大臣は飯塚市を地盤とする麻生太郎、法務大臣は森英介(敬称略)でした。これが、もし冤罪ということであれば、大変なことです。

冤罪が悲劇を生みます。「白い牛のバラッド」というイラン映画があります。

イランの首都テヘランの牛乳工場で働きながら聾唖の娘ビタを育てるミナ(マリア・モガッダム 監督・脚本・主演)は、1年前に夫のババクが殺人罪で死刑に処せられたことで喪失感に囚われています。夫を亡くして収入的に厳しいだけでなく、未亡人への偏見などに晒されているのです。

ある日、裁判所から意外な報告を受けます。夫のババクが犯人と思われた殺人事件を再精査した結果、別の人物が真犯人だったというのです。多額の賠償金が支払われると聞いても納得できないミナは、担当判事への謝罪を求めるが無視されてしまいます。さらに多額の賠償金に目が眩む夫の家族たちからも訴えられることになります。

そんなミナに救いの手を差し伸べたのは、夫の旧友と称する中年男性レザでした。実は、このレザこそ夫に死刑判決を求刑した判事でした。レザは冤罪のハバクに死刑にしてしまった罪悪感からミナを助けたいと思ったのでした。

ミナ、ビタ、レザの3人は家族のように親密な関係を構築していきます。レザにはひとり息子がいましたが、兵役に志願して家を出て行きました。その後、息子は覚醒剤の過剰摂取で死んでしまいます。深い悲しみに襲われるレザ。

やがて、裁判で敗訴した義弟からレザがババクを死刑にした判事だと告げられます。その真実を知ったとき、ミナが最後に下した決断は、驚くべきものでした。観る者を救いようのない深い喪失感に陥れてしまう結末なのです…と思ったら、実は違います。安心してご鑑賞下さい。といっても万人が幸福感を得られるような内容ではありません。

「モハマッド・ラスロフ 悪は存在せず」

イラン映画でもうひとつ。イラン本国では上映が禁止された問題作、モハマッド・ラスロフの「悪は存在せず」です。この作品も死刑をテーマとしています。何も知らずに観ると、物語の展開に驚きます。

吉村昭さんの「休暇」同様に、死刑執行を担当する刑務官たちの4つのお話なのですが、いずれもそれぞれに関連していて、死刑をテーマとした重い内容ですが、描かれている人間像は滑稽でもあります。

第1話のヘシュマットはごく普通の男で、なんてことのない日常から彼の仕事が何であるのかわかりませんが、仕事場に着いて小窓を覗いたあとにボタンを押すのですが、それが死刑執行のボタンなのです。当たり前の日常から死刑執行に向うヘシュマットは、吉村昭さんの「休暇」の主人公とは全然違います。死刑執行がヘシュマットの日常の仕事であり、事務的に死刑ボタンを押すのです。

第2話のプーヤは、兵役で担当することになったのが死刑執行官でした。プーヤは、事務的に死刑ボタンを押すヘシュマットとは違います。死刑を執行するのが人殺しであると思う彼には死刑を行なうことができません。結局、恋人との計画によって死刑執行官という職務を捨てて脱走してしまいます。

第3話の刑務官シャワドは、恋人の誕生パーティに出席して彼女にプロポーズするために3日間の休暇をもらうのですが、その3日の休暇をもらうために死刑執行役に手を挙げたのです。その死刑囚が恋人家族と家族同様の関係だった男性だったことから、そのことを知った恋人に別れを告げられる事になります。「休暇」と「白い牛のバラッド」を合わせたような話ですね。

第4話は、元医師のバーラムと、ドイツに住む医大生の娘ダルヤのお話です。バーラムは、死刑執行官という役目を逃れるために、脱走したという過去があります。ダルヤはバーラムの娘なのですが、脱走時にドイツに住む友人に預けていたのです。それを知ったダルヤは怒り、ドイツに帰ることになりますが…。

以上のように、死刑執行にまつわるエピソードが語られるのです。

人が人を殺さなければならない死刑執行役から逃れたいと誰もが思うのです。死刑執行を命令するのは常に安全な場所にいて手を下すことのない権力側の人間です。戦争も同じです。自分たちは戦地で戦うことのない安全な場所で勝敗を観ているだけです。

たとえ法的決定による死刑執行でも、人を殺すという行為を担う『責任』は重いのです。

何度も言いますが、死刑とは政治家がウケを狙って「死刑のはんこを押すときだけ注目される」などと軽口をたたくようなものではないのです。

東日本大震災後、安倍政権時代になってから自己責任論が飛び交い、「他人のことなんか知ったこっちゃない」という自己中心的な思考が世の中に蔓延ったような気がします。

政治家だけでなく、彼らを国会に送り出す私たちも反省すべき時なんだと思っています。

「渡辺あや+大根仁 エルピス」

今注目しているドラマがあります。長澤まさみさん主演の「エルピス」です。

これは冤罪をテーマとしたドラマです。今後の展開はわかりませんが、いくつかの冤罪事件を物語のなかに織り込んでいるようです。僕は主軸として「飯塚事件」があるような気がしています。

視聴率が低迷しているようなので、興味がある方はご覧になってください。

世界的には、冤罪を生まないためと、私刑という残酷な処刑手段は原始的であるとして、死刑廃止に動く国々が多いようです。以下に第二東京弁護士会さんのサイトから引用させていただきます。

 死刑廃止は国際的な潮流であり、10年以上死刑の執行をしていない事実上の廃止国を含め144カ国が死刑を廃止しており、存置国は我が国を含め55カ国ですが、このうち、2020年中に死刑を執行したのは18カ国でした。
 いわゆる先進国の集まりであるOECDの加盟国38カ国のうち、死刑制度を残しているのは米国、韓国と日本の3カ国だけですが、米国は23州で死刑を廃止し、3州が執行停止を宣言しており(2021年6月10日現在)、連邦レベルでも2021年7月以降、死刑の執行が停止されています。また、韓国は1997年を最後に20年以上死刑を執行しておらず、事実上の死刑廃止国です。
 日本は、死刑を廃止している世界の多くの国々と、基本的人権の尊重、民主主義、法の支配という価値観を共通にしています。昨年、日本は9年ぶりに死刑を執行しませんでしたが、死刑制度を存置し続けたままであることは、いまや国際的に重大な関心事となっています。にもかかわらず、国会や政府において、死刑廃止について十分に議論がなされていないのが現状です。

第二東京弁護士会サイト「世界死刑廃止デー」によせて(2021年10月10日更新)から引用。


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