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SATORI

古山高麗雄「妻の部屋」中の「孤独死」を抜粋

戦争のことを小説に書くと、死について考えないわけにはいかなくなる。といって、死とは何かなどと考えてみても、これまた答えは出ないのだ。

答えの出ないことを繰り返し考えているうちに、私は飽きて来た。どうでもいい、何であってもいい、と思うようになった。(略)少しばかりの希望と適当な金があれば、それでよしとする生活である。そして時期が来れば死ねばよい。

そう思っていても、不運な人もいる。変質者に家族が殺される人もおり、肉親から変質者を出す家族もある。 そういう人はつらいだろうが、どうすることもできない。そういう人は救えないが、まあ人は、自分の甲羅に似せた穴を掘り、順次死んでいけばそれせいいのです。

自分の考える正義を他人に押しつけて争うようなことは慎みましょう。もっと長生きしろ、だなんて他人に言うのは、よけいなお世話です。長生きしたい人は、長生きしたがっていればいい。本人が思うのは勝手だが、そのために、ちゃんと食事をして、適当に体を動かし、タバコは健康に害があるからやめろ、やめられなければりょうをへらしなさい、塩分は取りすぎないようになど、相談を求められてもいないのに、他人に言い過ぎる人が多いのではないですか。

老いてなお生きいきと生きろだとか、年齢に関係なく、人は前向きに物を考えなければいけない、だとか、そういうことをいう人が多すぎるのではないですか。

(略)前向きであろうと後ろ向きであろうと、生きいきと生きるべく努めようと、しょんぼり生きることにしている人も、それぞれ自由です。

私は、もう前向きに生きようだの、これ以上長生きしようなどとはおもわな。あるのは死だけで、それでよい。

古山高麗雄:大正9年朝鮮新義州で生まれる。昭和18年マニラを振り出しに大東亜を転々。昭和21年戦犯容疑でサイゴン刑務所に拘置。翌年復員。昭和45年「プレオー8の夜明け」で芥川賞、平成6年「セミの追憶」で川端賞受賞。平成11年、妻明子心筋梗塞で死亡(妻の部屋に書かれています)、平成12年「フーコン戦記」など三部作により菊池寛賞受賞。平成14年3月死亡、享年81歳。

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