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遠野物語

のブログ「消雲堂の安全対策」2012年8月20日の記事をそのまま転載。

柳田国男の遠野物語は、119話から成り立っています。
この間、柳田国男さんの遠野物語から一つの話(*)を引用しました。遠野物語の中に三陸津波における話があるというので、ペラペラと本をめくってみたのですが、見つからなかったのです。それでちょうど100話目の津波の被災地である船越の話を転用させていただいたのですが、その後、NHKのドキュメンタリーを見てびっくりしました。転用した話の一つ前の99話が、明治三陸大津波の話だったのです。僕がいかに本を読むのが嫌いか、いい加減に読んでしまうかがわかる事と思います。

「遠野物語:99話」

遠野の土淵村の助役、北川清という方に福二という名前の弟がいた。明治三陸大津波で、奥さんと子供を失って、生き残った二人の子供と元の屋敷があった場所に小屋を立てて暮らしていた。一年ほどすぎた、ある初夏の夜のこと。
便所に行こうと起きたが、便所は遠く離れたところにあり、その道も渚の波打ち際であった。霧が出ていて視界が悪い夜だった。

すると霧の中から男女二人が現れて、ヒタヒタと歩いて福二の近くを通り過ぎた。女の顔をよく見ると大津波で死んだ自分の妻であった。思わず二人の後をつけて船越村の祠がある場所まで来たときに、福二が堪らず妻の名を呼ぶと、女は振り返ってニコリと笑った。男の顔を見ると同じ村の者で、津波で死んだ男だった。福二が婿養子に入る前に妻と深く心を通わせていたと噂に聞いていた男だった。

妻は「今はこの人と夫婦になって暮らしている」と言う。福二が「子供が可愛くはないのか」と言うと、妻は顔色を変えて泣いた。妻と男は再び歩き出し、見る間に山陰に入って消えてしまった。慌てて追いかけてみたが、相手は死者であるからと立ち止まり、朝になってようやく帰った。その後、福二は暫く病患った。

この福二という男性は実在の人で、この話も実際に体験した話なのだという。遠野物語は、吉本隆明の共同幻想論を知らなければ、昔話的なファンタジーとして捉えられてしまいがちだが、実は、ある種のドキュメンタリー文学でもあるのだということがわかる。

田中貢太郎の日本怪談全集にも「月光の下」という津波で亡くなった妻を見かけてついて行き、発狂してしまう話がある。

幽霊とは己の意識の中から生まれ出るものであって、自分の中にある死者に対する悔恨を打ち消すために幻視してしまうのではないだろうかと僕は思うのだ。

「遠野物語:100話」

現・岩手県下閉伊郡山田町船越の漁師が仲間と一緒に吉里吉里(きりきり、上閉伊郡大槌町吉里吉里)から帰る途中の事。夜遅くに海岸沿いの四十八坂のあたりを通る時に小川の前に女が立っていた。よく見ると自分の妻であった。

しかし、この夜中にこのような寂しいところに来るはずもなく、「さては化け物だな?」と思い、魚切包丁で女を後から刺し貫くと悲しい声を出して死んだ。化物ならば、すぐに正体を現すだろうと見ていると、死骸はいっこうに妻の姿のままだった。

さすが不安になって死骸を仲間に託して自分は急いで自宅に戻った。すると妻は無事でいたが、「あまりにあなたの帰りが遅いので寝てしまったが、恐ろしい夢を見た」と言った。漁師は「どんな夢だ?」と聞くと、妻は「山道で得体の知れぬ者に脅かされて、命をとられるのでは?と思うと目覚めた」と答えた。

漁師が再び四十八坂に引き返すと、仲間たちは「しばらくはそのままだったが、そのうちに死骸は狐になった」と言った。


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