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入院2

僕が入院している病棟の5階では昼間から悪酔いした酔っぱらいのように同じ言葉を繰り返して大声で騒いでいる老人がいる。認知症だと思われるのだが、僕の知っている認知症とは少し違うようだ。もっと重度の症状のようだ。
 
叫んでいる内容はよく聞き取れないが「おーい、おーい、おーい」「きょう子、きょう子ぅ~」「シズぅ~」と複数の名前を呼んでいるようだ。

それを聞いていると、内容から情景が思い浮かんでくる。陽光差す快晴の初夏…田舎の川の土手の上、それも、かなり離れたところを歩く自分の兄弟たちを呼んでいる…。または、自宅の台所で洗い物などして働く奥さんや使用人の女性を奥の部屋から呼んでいる…といった情景だ。

あれだけ騒いだら夜は疲れて寝ちゃうだろうと思っていると、ところがどっこい、寝ずに同じ言葉を繰り返して騒ぐ。老人は自分が騒いでいるとは思っていない。見えない何かを意識しているから彼にとっては懐かしい記憶が目の前に広がっている。それは彼の現実なのだ。

翌日には隣の部屋から別な患者さんが女性の名前を繰り返して呼ぶ声が聞こえ始めた。声の音量は叫ぶではなく、まともだが「ミツコぅ、苦しいから、痛いから、こっちに来てくれ」と言う。それが昼夜続くのである。入院当時は、ただ、「うるさいな、眠れないじゃないか」と、彼らの叫びを騒音として感じるだけで、少しも恐ろしいと思わなかったが、今考えると、恐怖を感じる。

翌日の早朝5時、看護師さんに起こされ「採血します」と告げられる。驚いた。部屋が暗いから看護師さんはシルエットになっていて、まるで幽霊のようだ。目をこらして見ると霊でも妖怪でもないようなので安心した。同じ病棟の認知症のおじいさんが朝から朝まで(本当に24時間)騒いでいるので熟睡できなかったから、意識はしっかりしている。

「え、採血すんのは明るくなってからじゃないの?」と言うと、「点滴している右腕は駄目なので、左腕から採りますね」と、相手にしてくれない。しかも、左腕は困る。採血できる血管が見えないから、いつも痛い目にあう。「俺、左腕の血管見えないよ」と抵抗すると、俺の左手の甲に浮かぶ血管を見て、「ここから採血もありです」と言うや採血針を刺されてグリグリやられる。なかなか血が出ない。「痛いですか?」(痛いに決まってる)「あ、出た」と採血管1本採られた。手の甲の血管からの採血は痛いのである。

入院してみると、知らなかったことを知ることができて、おもしろい。看護師と話をしてみる。外来と入院棟の看護師の違い。そりゃ夜勤がある入院棟の方が良い給料を貰う。さらに、彼女らは一定の病院に腰をすえることなく、より良い条件の職場を求めてさすらっていることを知る。外来に検診に来ていても入院棟の看護師を目にすることは少ないから、そんなことは知らない。外来患者は病院の一部しか見ていないのである。

また、入院食は監理されていて、患者の食べた量によって、栄養点滴の種類や量が変化する。「食べられなかったから“点滴おかず”が、こんなにあるのよ」と医療用カートに積んである点滴の袋を見せながら看護師が言う。ご飯を残したりしたら、その分、点滴を増やすという意味だ。点滴を増やされるのはイヤだから「じゃ次からはいっぱい食べるよ」と言って愛想笑いをする。

シオノギ製薬のラピアクタという点滴薬を投与された。死亡事故で有名になったタミフルなんかと同じインフルエンザ治療薬である。調べると死亡例もあるらしい。死因はアナフィラキシィ症候群だ。

看護師が点滴交換に来た。「点滴がなくなった頃にまた来ますね」と言って出ていった。点滴の管を見ると、少し空気が入っている。「血管に空気を入れたら死ぬぜ」昔の映画の台詞を思い浮かべる。空気を見ていると微動だにしない。しかし、そのうちに凄いスピードで血管側の管に落ちていく。僕は慌てて点滴の管を押さえるが時すでに遅く空気は血管に吸い込まれてしまった。

ネットで調べると以下のようなことが分って少し安心した。

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