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離婚のススメ

母との楽しかった思い出を掘り起こすと、どうも、母と二人きりで外出している時のことばかりだということに気がついた。

私は三人きょうだいの末っ子だけれど、姉と兄とはとても歳が離れている。すでに母の手を離れた姉と兄は、日中ほとんど家にいなかったので、小さい頃の私は、一人っ子のような状態だった。

母が買い物に行くときは必ずついていったし、二人だけの時間というのは、母を独り占めしているようで私にとって特別な時間だった。

夕方、ミシン仕事を終えた母は近くの商店街まで買い物に行く。当然のように私はついていった。しかし、私の目的は買い物ではなく、商店街にある焼き鳥屋さんだ。

スーパーで好きなお菓子を買ってもらえることはほとんどなかったが、その商店街で買い物をするときは、当然の儀式であるかのように、母は私に焼き鳥(タレ)を買ってくれた。そして母が選ぶのはきまってレバーだった。
「これはお母さんのお薬だから」と母は謎の発言をしていたが、後に、母がレバーを好んで食べていたのは、貧血だったからというのを知ったわけだけれど、これはまた別の話

これも、大人な今思い起こせば、なるほど、父に無駄遣いを禁止されているからか、と納得する。
お菓子を買って帰ることはできないけれど、途中で焼き鳥を買ってその場で食べれば証拠を残すことはない。
それに母にとって、焼き鳥のレバーは貧血のお薬だから、これは無駄遣いではないのだ。きっと。
母は母なりに、そうして父の目を盗んで、ほんの少しの贅沢を楽しんでいたのかもしれない。

母は毎日ご飯を作ってくれていたし、母の料理は美味しかった。
けれど、思い出として強く残っているのは、商店街で食べる焼き鳥だったり、たまに二人で外出した時にお店で頼むクリームソーダだったりする。

だからといって、母の手料理の思い出がないわけではない。
母が作ってくれる料理で大好きだったのが、誕生日とクリスマスだけの特別メニュー。スパゲティナポリタンと、ローストチキンだ。

和食中心のメニューが多い中、この洋風なメニューの特別感は、子ども心にワクワクがとまらなかった。私が大人になるにつれ、自然になくなってしまったメニューだったけれど、社会人になってからその話をしたら、その年の誕生日に作ってくれたことを覚えている。

一番新しい記憶だからか、それとも父と離婚をしたあとだからかわからないけれど、どの誕生日やクリスマスよりも、その時に食べたナポリタンとローストチキンの味、そしてその時の母の笑顔を、鮮明に覚えている。

***

二人きりで外出している時の母は、とても伸び伸びしている。
いつも穏やかに笑っている。

しかし、家にいる母を思い浮かべると、父と険しい顔をして何か言い合っている顔か、虚ろな目で震えながら涙を流している顔だ。
私がテレビを見て笑っている隣で、ふと気がつくと母が泣いているのだ。

父がいる家では、母が心から休まることはなかったのかもしれない。
離婚してからの母は、自由にお菓子を買ってきたし、冷凍庫の中にはアイスがいっぱい詰まっていたし、誰にも文句を言われず趣味の社交ダンスを楽しんだ。

世間体を気にして、そして私達子どもが片親だと不自由すると思い、母はずっと耐え続けていた。

父と母の離婚は私達子どもからの提案だった。
私が高校を卒業するタイミングで切り出した。

母は「子どもたちが結婚するまでは片親になるわけにはいかない」と、やはり世間体を気にして反対した。

私は「片親をどうこういうような人とは結婚しないから安心して」と笑った。
(ちなみに、姉はその時、もう結婚していた)

だから大丈夫だよ、と何度も説得した。
もう母は、父から開放されるべきなのだ。

私が思い出す幸せな記憶の中には、父が登場しない。

私に幸せをくれるのはいつも母だった。
父から守ってくれたのも母だった。

離婚した後も、母は変わらず働き者で、仕事も家事も完璧にこなしていた。
相変わらず「うちは貧乏。無駄使いはできない」と父から長年刷り込まれた呪いは消えなかったけれど、自分の好きなものに、ことに、お金を使えるようになって楽しそうだった。
そして実は、そんなに貧乏でなかったことも、後にわかるわけだけれど。

離婚してまもなく、超がつくマザコンな私と、上げ膳据え膳が夢だった母のために、兄が、母と私の二人だけの箱根旅行を企画してくれた。
その旅行は本当に楽しくて、母の笑顔をたくさん見れたし、私もめちゃくちゃはしゃいだことを覚えている。

母は離婚してからはとても元気だったし、時間はまだたくさんあると思っていた。

元気なうちに、もっと美味しい食事を食べにいけばよかった。
もっと旅行に連れていけばよかった。

もっとたくさん、母を楽しませてあげたかった。

ふと気づいたら、元気だと思っていた母は、いつのまにか歳をとっていた。

もっとあの時
ああしていれば
こうしていれば

悔やむことばかりだけれど、あの時、離婚の話を切り出して、本当によかったと思う。

こうして思い出を書くことで、過去の記憶がつながっていく。
まだたくさんあるはずの母との思い出を、これからも掘り起こしていこうと思う。


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