見出し画像

高校生の時、これだ…!(社会福祉士)と直感した話。


元々は、臨床心理士を目指していた。


家の本棚には看護雑誌や闘病記の本、録画番組を開けば医療系ドラマやドキュメンタリー。

看護師の母の影響で自分で繰り返し見る中で、ぼんやりと「人の役に立てるような仕事がしたいなあ」と考えるようになった一方

実はその母との関係が良くなく、高校の担任の先生から紹介されたスクールカウンセラーの方にお世話になったことが自分の中でかけ合わさり

私も同じような立場の方の役に立ちたい!  

と思うように。  


そのため、模試で記入する志望校は、臨床心理士の指定大学院のある大学ばかりを書いていた。  

しかし、  

「もし今、永田さんと同じような状況の子が来たら、自分とは別の人として関われるかな?」  

自分が目指していた人から言われたたった一言が、進もうとしていた道を大きく変えた。  


それは無理だと思った。
一方的に母を責めてしまっていた私は、もし同じような状況の子が来たら、きっとその親を責めてしまう。  

今の私にはなれない。それでもやっぱり何かしたい…

でも、看護や介護など直接的なケアをするのは何か違う。クライアントさんと話すことを中心とした関わり方をしたい...  


臨床心理士以外に果たしてあるのか?と思いながらも、何か自分に合うものはないか、インターネットを使って探す日々。  

そこで見つけたのが社会福祉士だった。  

これだ...!と直感した。  

自分(母との関係・行きたい遠方の大学に進学するなら多額の奨学金を借りなければならない)の状況や、友人(不登校・虐待に近い環境・ひとり親で経済的に厳しい思いをされていたり...)を見て  

環境が人に与える影響の大きさを感じ、格差が起こってしまう理不尽な環境に対して何もできない自分へのもどかしさを抱えていた。  

人の環境側にもアプローチしていく社会福祉士なら、自分の想いが実現できるのではないか。  

※その後、コミュニティソーシャルワーカーとして活躍する勝部麗子さんの姿を見て、なりたい気持ちがさらに強くなった。  


「社会福祉士は、制度という環境も使って人と関わるから、きっと永田さんに合っていると思うよ」  

状況を客観的に見て、問いを投げかけて下さったスクールカウンセラーの方の言葉の意味は、当時よりも大学生活を経たことで、より一層分かった。

大学生になって
・物理的な距離が離れたこと(一人暮らし)で母との関係を客観的に考えられるようになったこと
・大学での児童虐待の事例分析を活かして母の背景を考えると要因は環境側にあったと分かったこと
それから、一方的に母を責める気持ちが変化し、和解することができた。

また、全然違う話ですが、最後のカウンセリングで、初回は「何をしても楽しくない」と言っていたそう。すっかり忘れていたので、自分がそんなに追い詰められていたんだと驚きました...笑


そんな夢だった社会福祉士になり2年目がはじまった今。

知識を活かしきれていない・そもそも知識不足な自分と向き合う日々ですが、今の自分にできることをこれからも。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます!わーい^^