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うんこ座りをしながらタバコをふかしているネエやんの隣で何とも言えない表情でお座りしていた散歩中のプードルの気持ちを考察してみた

まず本題に入る前に、漫画や映画で深い考察ができる人を本当に褒め称えたい。様々な部分から伏線を回収し、そんなとこまで見ていたの?と感心させられる。おかげで、意味が理解できた漫画や映画もあり、私は素晴らしい考察によってたくさん助けられてきた。

それを踏まえて先に謝っておくと、私の考察は何も根拠はない。考察かどうかも怪しい。それでも良いという人だけ読んでほしい。


先日の土曜日、とある用があって外に出ていた。用が終わり歩いて帰っていたのだが、ふと歩いている歩道の右側を見ると、車庫があった。光が入らない構造になっていたので、お昼の12時前だというのに少し暗かった。そしてそこに、おネエやんがいた。そう、いたのだ、おネ…(大事なことではないので1.5回言いました)。
色が抜けて黄色っぽくなったブリーチ後のストレートヘアで、髪はみぞおちくらいまであった。服装は黒いダウンと黒いスウェットズボン。そんなネエやんは車庫の中で煙草を吸いながら、うんこ座りをして誰かと電話をしていた。
そのネエやんにぴたっと寄り添うように茶色のプードルがおすわりをしていたのだ。一匹と一人の距離は、私がマブダチと隣に並んで歩くよりも近かった。私はそのプードルと目があった。もちろん、犬に眉はない。動物の喜怒哀楽の感情をはっきりと人間が読み取るのは、難しいと思う。しかし、そのプードルには何故かどことなく表情があるのだ。

私は中学の時、天パで髪の毛がくるくるしていたこともあり、プードルと呼ばれていたことがあった。外でプードルがお散歩していると、「あ、くみこおるよ!」と言われイジられる。まんざらでもない顔で「もう~!」とか言っていたが、実際には私がそこにいて、私がもう一人散歩されているのである。今考えれば、「私が……二人……?」となってもおかしくない複雑な状況だった。そこから、どちらが本物かを巡り激しい戦いを繰り広げる映画に発展しても良かったと思う。何故あの頃の私は、その状況を軽く捉えられていたのだ。
そこはまあ置いといて、そういった思い出もありそのプードルに、より感情移入してしまったのかもしれない。

ということで、プードルと目があった後の20分ほどの帰り道で私は、あの少し違和感のあった状況とプードルの気持ちを考察してみることにした。

私が考えた犬の気持ちとしては、

①本当にやめてほしい

②でもいい飼い主やねんなあ

③かえってご飯食いてえ

④そもそも誰なんこの姉ちゃん


この4つだ。今からひとつずつ見ていこう。


①本当にやめてほしい

犬の嗅覚はヒトの数千~一億倍と言われている。その鼻を持ったうえであの距離で煙草を吸われたら、たまったもんではないのではないだろうか。そのうえ、けむたい。近距離で煙草の煙がくると、目がしばしばしてくる。個人的には、あのプードルのウルウルとした瞳が煙で更にウルウルとするのも悪くはない。しかし、プードルにとっては非常に辛い状況であり、ネエやんは飼い主で、かつ、あの見た目でもあるので、プードルは逆らえず下手に出るしかなさそうだが、あの子の心境としては心からやめてほしいと思っているのではないのだろうか。

次に、犬とお散歩の関係から見ていこう。私は、犬のお散歩はヒトの遊ぶ予定の心境と同じだと思っている。人によっては、遊ぶ前まではちょっと憂鬱に感じるが、いざ遊んでみると楽しい!となることが、状況に応じてある。犬のお散歩も、最初から喜んで出かけるイッヌもいれば、最初は乗り気ではないイッヌもいる。あのプードルを後者と捉えてみよう。
「散歩いくよ!」と言われ、「え、今?気分じゃないのに……」とプードルはちょっと嫌な気持ちではあるが、ネエやんはあの見た目であるので逆らえず、しぶしぶと散歩に出かける。しかし、天気も良いし段々と気分は乗り気になってくる。調子に乗って何度もおしっこをする。しかしそこで、だ。ネエやんの煙草を吸う頻度にもよるが、ネエやんが一服をすることによりお散歩は中断される。やっと楽しくなってきたタイミングでお散歩を中断されるのは、結構嫌なのでは?

②でもいい飼い主やねんなあ

しかし、そんな一面もありながらも、実は家族の中で誰よりも大事にしてくれているのがあのネエやんなのかもしれない。家ではあのネエやんが必ず決まった時間にあの子にご飯を与え、ネエやんが忙しい時は、母か弟にご飯を与えるように頼んでおく。仕事終わりで疲れている時も、おもちゃを使ってあの子と一番遊んでくれるのもネエやん。あの子にとっては、ネエやんがマブダチであり、飼い主であり、Top of 君主なのである。信頼関係ができているからこその、あの距離だとも考えられる。そう考えたらめちゃくちゃ良い関係ではないだろうか。

③早く帰ってご飯食いてえ

プードル側も、もうこの状況を受け入れているのかもしれない。見た目からして、あのプードルは成犬であった。ということは、数年から十何年ネエやんと一緒にいるとすると、この状況に慣れてしまっている可能性も十分に考えられる。そして時刻もちょうどお昼時であった。人も犬もお腹が空き始めるころである。
ここからは私の勝手な意見なのだが、犬という生き物は、三大欲求の中でも特に食欲に支配されていると思っている。三大欲求というものが犬に当てはまるかどうかはわからないが、私が小学校の頃におばあちゃん家で飼っていたレオンという犬はそんな感じだった。
レオンは野良犬から生まれた子ということもあり、少し気性も荒かった。私の言うことを聞かないことも多々あったが、食べることとなると態度が一変するのであった。ご飯やおやつをもらえると察するとめちゃくちゃ従順になり、口に入れれるものは何でも食べある。
「現金なやつめ」と思いながら、自分に懐いていると感じられるのが嬉しくて、おばあちゃんに内緒でこっそりドッグフードやセミをあげたりしていた。ここでは、セミについてはあまり触れないでおく。
そんな犬を飼っていたので、犬は食欲の忠実なしもべだと私は思っている。あのプードルはお昼前でお腹も空いてきており、頭の中はご飯のことだらけ。飼い主が隣で煙草を吸おうが何をしようが、お構いなしにご飯のことを考え続けていたのではなかろうか。そこでいうと、三大欲求グランプリの食欲部門1位を獲った私に似ている(めちゃくちゃ嘘)。

④そもそも誰なんこの姉ちゃん

今までは、あの子の飼い主がネエやんとして考察をしていたが、違った観点からも考えてみよう。
そもそも、うんこ座りをするということはその場にしばらくいるということだ。私の中学時代の経験では、ローソンの前でしばらく溜まっていたヤンキーも、皆うんこ座りをしていた。そのヤンキーを通り過ぎてローソンに入るのも怖かったし、「買い物が終わる頃にはもういませんように」と心から願っていたが、ローソンの「ピンポーン♪」という軽快な出入り口の音楽と共に外に出ると、彼らはたいていまだいるのである。うんこ座りとは、そういうものなのである。
そのうんこ座りの状態で、ネエやんは誰かと電話している。ということは、そこで誰かが来るのを待っているのかもしれない。もしかすると、ネエやんが待っているのはそのプードルの飼い主で、飼い主に何かしらの事情があってネエやんがそのプードルの面倒を少し見ているのかもしれない。
プードル側としては、何か知らん人が隣におって手綱を握られているし、どうしようもできず困惑しているのではないか。つまり、生殺与奪の権を他人(ネエやん)に握られている、そんな状況なのである。鬼滅の富岡さんが近くにいたら怒られているであろう。

私の考察は、以上である。最初でも言ったが、この考察はすがすがしいほどに何の根拠もない。ただの憶測である。他の考察や意見などがあれば教えてもらえると嬉しい。
さて、ここまで色々と書いておいて結局何が言いたいかというと、天気の良い日の散歩は楽しい。

最後に、こんな文章を読んでくれた皆、そしてあのプードルとネエやんが今日も一日良い日を過ごせますように🐶

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