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キャリア迷子 3

就活開始からずっと手探りで迷子続きだった、当時28歳の私に、いよいよ迷いがふっきれる出会いがやってきました!「待ってたよ!これが私の仕事!」と思えると、時間も忘れて夢中になれるもの。という貴重な経験でした。

絶頂期がやってきた: 求めていた「軸」にはまった仕事

ITエンジニア(DBエンジニア)になってみようと思ったものの、MS Accessぐらいまでならいいが、SQL Serverとか本格的なDBは無理だなと悟ってしまったその時。ついでにいうと、毎日の英語の雑談とMTGとで、結構一杯一杯になっていた自分。さーて、次は・・・

所属する人材会社には、月に1回帰社して、ありがたい話を聞いたり、同じようなスタイルで働いている他のエンジニア社員と交流する場がありました。

ある回の帰社日。某マネージャーが、どうやって委託業務を提案して受注しているのか、提案書の一部をプレゼンテーションしてくれました。縦軸が技術の難易度の高低、横軸が定型化〜属人的業務。委託業務に向いているのは、技術難易度が中以下の定型業務寄りのもの、のを1枚で整理したもので、それで受注したとのことでした。

案件をどうやって取っているかなんて全く知らなかった当時の私は、この説明を聞いて、何か雷でも落ちたような、冬眠から冷めたような、「これだよ、これ!」とすごく感じるものがありました。こうやって物事を整理して、表現するんだ。すごい仕事。いいな・・・・。アイディアを組み立てて可視化する、という提案の作業が、就活の時に悩み苦しんで導いた自分軸、「何かアイディアを考え、具現化し、それによって変革した社会の中で、誰かが喜んでいる姿が見たい」に、どハマりだと直感しました。

後日、改めて帰社し、エンジニアとして勤務していた職場の派遣契約を終了し、本社に戻ってそのマネージャーのもとで働きたいと、申し出ました。当時の上長に、「簡単な仕事じゃないよ?難しいよ?本当にあきらめずにできるの?大丈夫?」と散々脅され、覚悟を試され、それでも縦に頭を振り続けた結果、念願かなって、そのマネジャーの新設部署に配属されることになりました。

このマネージャーMはその後、私の人生の大事なところで登場する、命の恩人的存在となるのでした。

配属されてから最初の1ヶ月は、テレアポ修行でつらかったのですが、それ以降は少しずつ案件を持たせてもらいました。営業がとってきた商談に同行し、業務内容などヒアリングし、提案書を作成し、ご提案。もしうまく受注したら、さらに現場担当者にヒアリングして細かい業務調査を行い、業務一覧や業務フロー図を作成。それをもとに受託範囲(責任分界点)を整理し、お客様と合意。さらに、業務移管のプロジェクトスケジュールを引いた上で、自分がプロマネのような動き方をして、お客様と社内(担当マネージャーやリーダー)と一緒に受託業務の習得と立ち上げを行う。3ヶ月ぐらいで立ち上がったら、現場を離れて次の案件へ。

この、提案から立ち上げまで一貫して携わることができ、雇用を作って(仲間を増やして)彼らが頑張る姿を見て、「何かアイディアを考え、具現化し、それによって変革した社会の中で、誰かが喜んでいる姿が見たい」を正に体現できていると実感しました。深夜残業も土日祝日の厭わず、とにかくただ、いい仕事をしたい一心で夢中になっていました。まるで何かに飢えていたかのように・・・

この後、恩人のマネジャーMさんがやめて、自分がその後釜になって、初めてのマネジメント業務がままならず、チームメンバーから突き上げを食らうという辛苦もあったのですが、10年近くこのポジションで思いっきり働かせてもらっていました。

第六の迷い時期: 売上追求 vs 現場支援

「コンサルタント」と呼ぶには泥臭すぎる仕事をしてきたのですが、やっぱりこの仕事は、一般のメンバーに比べて請求単価が高い。ある年の経営会議のような場で、事業のトップ(入社時の私の担当営業が猪突猛進で昇進)から、この「コンサルティング」単品で売上を伸ばしていきたいのだ、という趣旨の発表をしました。

「えーーー。」当時の私の感想。委託業務の運用メンバーが幸せに働く環境を作るのがやりがいだったのに、調査やアドバイスとか、単品で売るの?いわゆる戦略コンサルティングとか経験ないですけど、それやるの?売れるの?「自信がなくて怖いのか」「したい仕事じゃないのか」ぐるぐる悩み続けた結果、その経営目標にコミットできないと考えて、マネージャー職を降りて異動を希望しました。会社は大好きだけど、心が望まない仕事はやっぱりできません。

その後、ナレッジ・マネジメント、社内報編集、社員総会などのイベント主催、広報担当、品質管理、子会社立ち上げ、コールセンター業務、と色々な業務を担当しました。

ちなむと、途中で「管理職コース」と「専門職コース」を選ばなければいけないタイミングがあったのですが、「専門職コース」を選びました。自分が手を動かす方が性に合ってるから。

第七の迷い時期: 会社で骨を埋めないなら、次どうしたい?

10年以上同じ部署にい続けて、大好きだったプロジェクト立ち上げもマンネリ感、ぐるぐると異動もして、だいたいやり尽くした感あり。上長の意向で、別ビルにいる派遣事業に異動することになりました。望んだ異動ではありませんでしたが、慣れた環境から出てみるのもいいかと思い承諾。知っている人は数えるほどしかいません。

そこでは、女性のゼネラルマネージャー(現在、某編集長)の右腕的な形で、疲弊した組織の風土改革、新規事業立ち上げの事務局、事業企画のサポートなどをしていました。異動前に結婚していて、ここにいる時は妊活中。雇用形態を変えて時短で働かせてもらい、病院の急な呼び出しにも耐えられる状態にしていました。アラフォーの妊活で焦るなか、保育園ビジネスの事業企画の立案とか、ちょっと複雑な心境でしたが。女性の上長でありがたかったです。

同じ事業部内でちょっとした異動があり、別の女性マネジャー、リーダーの配下につくことになりました。リーダーは私のちょうどひとまわり年下。頑固で口うるさい、扱いづらい年上の部下にならないように配慮しよう。なるべく対等な関係を築こうと思っていました。

管理職にならないということは、今後このように年下の上司のもとにつくことになるのだと、身をもって実感。ここで、もやもや発動。残り約20年、こんな形で働き続けて、会社に骨を埋めるの?残り20年、会社にい続けて何がしたい?

もやもや解消に向けて、またもがき出します。

つづく (あー、終わんねー)


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