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自分を労ることは、愛する人を大切にするということ


孤独に陥ることで自暴自棄になり、自分を大切に扱わなくなる人は、多いのではと思います。

私自身省みてみても、人生の暗黒時代だなと思う時期は何度かあり、もれなくその時期は、

自分の身体を労わらない、
日常の環境を快適にしようとしなくなる、
食べるものは適当、コンビニが主食、
酒量がだらだらと増える、
表現などの創作意欲や創造的な発想は、まるで生まれなくなる、
人生の生きていく楽しみが無くなる、
いますぐ消えて無くなってしまってもいいかなと思っている、etc...(苦笑)

当時の私自身にとっては深刻で、
なにしろ、段階を踏んでエネルギーレベルの本当に低い状態を這いずっていたな、と思うわけなのですが、
それを一言で言うと、ずばり、

「自分が愛されている存在だということを、忘れてしまっている」(もしくは気づいていない)

に、尽きるなと感じます。


自己肯定感の欠如は、まわりまわると、
自分の健康を損なうことにもつながる、

そしてそれは、
自分を大切に思ってくれている誰かを、
自分が大切に思う人を、
場合によれば致命傷となるレベルで、傷つけることにも繋がってしまう訳です。


自分を大切にできないことは、
自分という存在に対して、
命の川の50億年を脈々と受け継がれた、かけがえのない自分の命に対して、
あまりに過小評価してはいないだろうか?
あまりに、失礼すぎないだろうか?

あなたを愛している、あなたを大切に思う「誰か」は、
本当に、ただの1人も、この世にいないのですか?
這いずっていた、当時の私自身に、贈りたい言葉です。

自分を大切にしたい、自分を誰よりも愛している。
心も身体も健やかに、大切に生きること。
それが、私を愛してくれている、かけがえのない愛する人たちへの、愛の証明にもなると、今は心から思っています。


先月5月、私が一年で最も愛する季節に無事、41歳のバースデーとなりました^ - ^
悲喜交交、右往左往、様々ありながらも、
ここまで生かせていただきました。


数年前から誕生日は、母と、そして天国の父に、「産んでくれてありがとう」と、伝える日になりました。


何とも不思議な言葉で、
口にして声に出して伝えると、胸のとても奥の方で、ジンと響き、魂が震えるのが、分かります。


たった41年、それでも、
誰かが切望する程に生きたかった、41年、かもしれません。
命の奇跡というものを、歳を重ねるごとに、
より感じるようになりました。


私は私の生の中で、どれだけのことが、
はたして何が出来るのか。
私なりに、今とても自分を、そして愛する人をこれ以上なく愛せているということに、
全てのご先祖様と、今、私を取り巻いてくれている全ての存在へ向けて、何よりの感謝を送りつつ、


今後はそういったことも含めて、
人生の歩みの中でもっと、私から与える側に、

世界観の全てを、世界に向けて表現して行けるように、
少しずつでもして行きたいと、思っています^ - ^

目標として、
今年はさまざまに、絵や創作の活動も含めて、自分を発信していくことを考えています。

いつまでも亀の歩みなの私なので、自分のお尻を叩かなければなりません。。
ですが、人生のテーマと思っている「愛と美と芸術、そして魂」で、迷わず真っ直ぐに、歩みたいと思います。

そのような訳で、これまでしていたSNSを超えて、noteを始めてみました^ - ^


今日も明日も、その後も、
全ての人にとって、幸せな1日を。

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